第46話:東日本大震災

文字数 1,479文字

 2011年に入り、風邪を引かないように、甘太夫妻は、うがい、手洗い、マスク着用を心がけて、過ごして、多少、熱が出てだるくなったが、無理せず、睡眠時間をとり、ひどくしないで済んだ。またインフルエンザにかからない様に、冬場の外出を極力控えて生活した。そして、3月を迎え、少しずつ暖かくなり始めた、3月11日、昼食をとって、ゆっくりしていた14時47分過ぎに、強い揺れを感じてた。

 少しして、ゆっくりと高層マンション特有の大きく揺れが襲った。甘太の奥さんの恵さんが悲鳴を上げた。どうしようと甘太に聞くので、少し様子を見ようと言った。すると、数分後、揺れがおさまり初めて15分くらいで、揺れが止まった。MMタワーのマンションは、暖房も電気も一括して制御されていたために復旧が早かった。そして心配された液状化もマンション周辺では起きずに、ひと安心した。

 夕方電話が復旧すると、相模原の状況を茂田さんに電話聞くと、3人の先祖から受け継いだ古い農家の壁が崩れたり、壁に亀裂が入ったりして、大きな被害が出たようだが、人的な被害はなかったと知らされた。数日後、一度、橋本へ行って、仲間を集めて被害状況と今後の対策を話し合おうと言うことになった。その後、テレビで東北の悲惨な惨状の情報が入ると、奥さんの恵さんが、可哀想と涙を浮かべた。

 特に大津波にのまれる人や車、川に流されてくる家をじっと見ていた。眠れぬ夜を過ごした。その後の、福島第一原発の事故を聞くと、いたたまれなくなった。何か厭世的な気持ちになり何もする気になれずにいた。その後、3月13日に茂田さんから電話が入り電車が動き次第、橋本で仲間を集めようと言われ、翌日に橫浜線が復旧した。そこで3月15日に橋本のいつもの喫茶店に11時に集合するように連絡が入った。

 茂田さんと彼女と甘太夫妻はみなとみらい駅から横浜経由で、橋本に11時前に、喫茶店に入り、11時過ぎに28人がそろった。そして、奥の6人掛けテーブルに集まり、茂田さんが、今回の地震で、大きな被害はなかったと聞くと、3人の男性が、家が半壊で、もう一度、大きな地震がくると耐えられないと言い工務店に来てもらうと修理する寄りも、最近の格安木造住宅を建て直した方が良いと言われたと話した。

 いくらかかるかと聞くと、4LDK、3千万円から5LDK、5千万円と言われた様だ。その他の被害を聞くと、賃貸アパートで壁に亀裂が入り、引っ越したいという人が10人、古いマンションで不安だから、新しいマンションに引っ越したいと言う人8人いた。それぞれ個人でできる人やって下さいと言い、もしどうしても足らないとか金を貸して欲しいと言う人は、茂田に遠慮なく報告するようにと話した。

 すると、了解しましたと、みんなからの声が聞こえた。やがて、費用がかかるので、株投資を再開して欲しいという意見が多くなった。そこで、再開すると、茂田さんが宣言した。そして、ここに、茂田さんが、困っているグループのメンバーから話を個別に聞いた。そして、午後15時に会合が終了した。その後、みなとみらいに帰り、レストランの個室に茂田と甘太が入った。

 そこで、茂田が、家の建て替えの必要な3人が、合計1.2億円貸して欲しいと言われ、必ず、数年後には完済する話した事を打ち明けた。その他、借家の借り換えで、1、2年の間、合計3千万円を貸して欲しいと言われたそうだ。1.5億円なら茂田が貸せると言い問題ないと言ったが、日本株投資を始めるしかないと述べた。そこで、また、甘太に電話を入れて指示すると言い了解と答えた。
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