第53話:旅行後、熊本地震発生で募金活動

文字数 1,429文字

 ホテルで、夕食をとり、早めに、床に着いた。翌、3月19日は、10時にホテルを出て、新幹線で鹿児島へ向かい、12時前に鹿児島に到着した。駅で昼食をとり、枕崎線の乗り換えて、14時前に、枕崎に到着し、タクシーで指宿温泉の予約した温泉ホテルに到着した。ホテルの近くの砂蒸風呂に行って入ると、少しして、すごい汗が噴き出して体が暖まり部屋に戻ってきて、少し仮眠した。

 その晩、熊本の焼酎を飲んで昔の話を夫婦でして床についた。翌、3月20日は、19時半に時にホテルを出て列車で鹿児島中央駅に昼前に到着。その後、鹿児島市電に乗って天文館に行き昼食をとった。その後、城山公園へ行き展望台から鹿児島の町の景色と桜島を間近で見た。西郷隆盛の銅像を見学し西郷隆盛洞窟を見学した。ここは、薩軍と政府軍との城山攻防戦という西南戦争の最終段階の時に立てこもった場所。

 政府軍の城山包囲網の中、西郷隆盛が、明治10年「1877」9月19日から同24日未明、この洞窟で過ごし、最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として重要な史跡だ。その後、もう1人有名な大久保利通の像も見てきた。今夜は城山ホテルに宿泊するのでタクシーでホテルに入った。このホテルの夕食は、うわさに違わず、おいしかった。その晩、ホテルのも一つの目玉である展望風呂からの景色をみた。

 すると、すぐ前に煙りたなびく桜島が見え、眼下には、鹿児島の市街が一望できた。そして、早めに、床についた。翌、3月21日、朝8時に出て、桜島港フェリー乗り場から、桜島に渡った。所要時間は20分で、景色は最高だった。桜島校に着いてから、桜島溶岩なぎさ公園へ行くと、足湯があると聞いて入って見た。公園には、桜島から流れ出した溶岩が至るところにあった。

 その長さ、驚くほど長い。その後、近くの自然恐竜公園を散策して、桜島港から鹿児島にフェリーで帰った。その後、天文館で昼食をとって、鹿児島中央駅から鹿児島空港行きのバスで15時発、羽田空港行きの便にのって、羽田空港に17時前に到着して、自宅に帰った。そして、翌日、橋本へ行き、以前の仲間達とあって、お土産と土産話をして、カフェで、雑談をして来た。

 その時、甘太が、もし東日本大震災のような大災害が起きたら募金をしようと話し合った。そして暖かくなり4月になった。しかし4月14日、夜21時26分、マグニチュード6.5の大地震が起きた。熊本の隣町の益城町では震度7で多くの家が潰れるという大惨事となった。その28時間後の4月16日1時25分・真夜中に、同じく熊本県熊本地方を震央とする震源の深さマグニチュード7の大地震が発生。

 西原村と益城町で震度7を観測。震度は1995年「平成7年」に発生した阪神・淡路大震災と同規模。その後も大地震が続き南阿蘇一体の山が崩れ通ずる道路、橋も破壊し尽くされた。4月16日には震度4以上の地震が熊本県だけで11回と頻発。その結果、家に帰る事ができず、マイカーの中で過ごす人が増え血流が滞り血栓ができ心臓や頭血管に飛び梗塞を起こすエコノミークラス症候群で地震後の死者が増えた。

甘太は、4月16日に橋本の喫茶店に仲間を集めて甘太が1億円、仲間達で合計1億円の募金する事にした。そして募金活動を6グループに分けて7人ずつで八王子、橋本、町田、橫浜、みなとみらい、桜木町駅前で募金活動を始める事を決めた。そして、10回継続して、10月末までに、募金活動で総額が2千万円を集めた。
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