第8話:甘太の奥さんの妊娠の橋本駅の変化

文字数 1,312文字

 最後に3人掛けの大きなソファーが欲しいと言われ、ホームセンターに行き買ってきて、リビングに置いた。その後も恵さんは、実家の木下呉服店で仕事を子連れで通っていた。やがて、夏、秋、冬となり1984年11月28日、恵さんの3度目の妊娠が判明した。出産予定日が1985年5月28日をわかった。そして恵さんが妊娠がわかった時、またと本音が出た。やがて12月になり1984年が過ぎて1985年を迎えた。初詣に行き家族の健康、家内安全、商売繁盛を願ってきた。

 今回は、恵さんのつわりがひどく実家に行っても、気分が悪く戻す日が続いた。しかし徐々に暖かくなる3月頃から、今度は食欲が出て来て、食べた後、1時間もするとお腹が空くようになり、一度に、多くは食べられないが、何回も食べるようになり、恵さんのために好きな塩昆布と梅干し入りの小さめのおにぎりをいつでも食べられるように用意してくれた。4,5月となり、大きなお腹で、動くのが辛そうになった。5月25日に近くの産婦人科病院に入り1985年5月28日に元気な男の赤ちゃんが誕生した。

 大きな子の育って得欲しいと大輔と命名し、青山大輔が誕生した。1985年1月3日に茂田先輩から電話で甘太が呼び出されて橋本駅近くの喫茶店・コロラドに呼び出れた。会って株の成功を喜んでくれた。数日後、茂田先輩に呼び出され、茂田先輩が、これから本格的な日本株上昇時期が来ると言い日本はアメリカとの戦争に負けて何もかも失った。
それが持ち前の不屈の精神と働き者で人に優しい文化を持っているので必ず復興する。国が復興するためには優秀な企業が必要だ。

その優秀な企業に金銭面で支えるのは株式投資家達、つまり甘太のような人間なのだ。その優秀な企業とは、ソニー、トヨタや総合商は、資産、資本を動かし世界で活躍する総合商社である。これから誕生する企業が新しい産業を生み出す思う。だから、今後10年、20年、日本においての株投資の黄金期が来る確信していると言った。この話を聞いて甘太は俄然、株投資に情熱を持つようになった。

 昔から使われていた橋本車両センターが1984年2月1日に貨物取扱が廃止。北口の東側に1面2線の貨物ホームが存在したほか、国鉄工場線から分岐し大和製罐東京工場へ続く専用線も存在した。その年の3月に橋本車両センター閉鎖され、その後、設備は解体されて更地となり、しばらく放置されていた。その後、1984年に橋本駅のホームが解体された土地の跡地に、ダイエー買収後、いったん閉店の後、東急ストア,その後、閉店と所有者が数回、変更された。しかし最終的に忠実屋橋本店が開業した。

 これによって橋本駅周辺の再開発が始まり、その後、少し離れた多摩ニュータウンの広大な土地開発が呼び水になって、京王線相模原線の橋本への延伸計画の話題となった。そして、この情報が自民党関連の仲間で密かに,利権争いの動きが出て来て、その地区の相模原市の市会議員や有力地主、取り巻き連中を巻き込んで、徐々に土地投機が、水面下で進行しつつあった。そのため茂田先輩は、政治家のパーティーには,身銭を切って参加するようになっていた。
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