第51話:イスラム過激派のフランスでのテロ

文字数 1,696文字

 その後、茂田先輩の葬儀と甘太の長男の引越が一段落して澄子さんが、最近、健康のためにランドマークのジムに通い始めたと話した。甘太夫妻にも景色の良い素晴らしいジムよと言い一緒に行きませんかと誘うので、連れて行ってもらった。甘太夫妻も気に入ったので契約して健康のためジム通いを始めた。そして甘太夫妻が、電動自転車を2台買って時間のあるときにはサイクリングに出かけるようになった。

 すると元町も中華街も港の見える丘公園、外人墓地や素敵なレストランにも出かけた。そして、5月を迎えた。これから良い季節になり6月は山下公園と港の見える丘公園のバラ庭園に色鮮やかなきれいなバラが見頃となる。ウチキパンのイギリス食パンやポンパドールのフランスパンを買ってきたりして、よく出かけた。また、元町梅林という、美味しい日本料理屋も見つけて通うようになった。

 また今年も猛暑の夏が来て昼間は部屋の中でエアコンで涼しくして生活、涼しくなる9月下旬まで、涼しい日以外、外出を避けた。しかし11月から、また中華街の安くて美味しいランチ目当てに電動自転車で出かけた。そして12月になり土曜日に長男の寛一の4人と甘太夫妻と澄子さんの7人で聘珍樓で忘年会をして、美味しい紹興酒とお料理を食べ、歓談してきた。その後、2015年があけた。

 2015年1月7日午前11時半「現地時間、黒い目出し帽をかぶった男らがパリ中心部に近い同紙の事務所に押し入りカラシニコフと見られる自動小銃を乱射した。建物の外に出た後も銃を放ち車で逃走した。仏政府によると容疑者は3人だといい捜査当局が行方を追った。死者のなかには2人の警官も含まれてた。

 容疑者らは重装備で自動小銃の扱いにも慣れていることから米CNNは専門家の見方として「軍隊式の訓練を受けているのではないか」と報じた。AFP通信によると同紙は編集会議中だった。犠牲者には風刺漫画家や記者ら5人が含まれ、うち1人は同紙の発行人も務めるステファン・シャルボニエ氏だった。その後、春になり、やがて夏。最近、猛暑の夏が続いた。

 2015年7月25日から甘太夫妻が釧路へ長期の避暑旅行へ出かけた。滞在は9月10日までの長期滞在。気が向いたときに摩周湖や、帯広、遠くは襟裳岬までレンタカーを借りて出かけた。今回の滞在で一番、良かったのは、ホテルの部屋の窓を少しあけて寝ると、涼しく、熟睡することができたことで食力も落ちずに夏バテ知らずで、1ヶ月半を過ごし、9月11日、橫浜へ帰って来た。

 話が、変わるが、アフリカの難民が大挙してヨーロッパへ移動して社会問題になってきた。そんな折、2015年11月13日にフランスのパリ市街と郊外のサンドニ地区の商業施設でイスラム国の戦闘員と見られる複数のジハーディストのグループによる銃撃および爆発が同時多発的にテロが発生。死者130名、負傷者300名以上を生んだ。最初、21時頃、サッカースタジアムで爆発が起きた。

 次に21時30分頃パリ10区と11区の料理店やバーなど4か所の飲食店で発砲し多くの死者が出た。犯人らはイーグルス・オブ・デス・メタルのコンサートが行われていたバタクラン劇場を襲撃し劇場で観客に向けて銃を乱射後、観客を人質に立てこもった。14日未明にフランス国家警察の特殊部隊が突入し犯行グループ3人のうち1人を射殺、2人が自爆により死亡したが観客89人が死亡、多数の負傷者が出た。

 同じ年の11月30日からパリにおいて国連の地球温暖化対策に関する会議COP21・が開かれることになっており、会議には日本、アメリカなど各国の首脳が出席する予定であることから治安対策としてフランス政府当局は入国管理を厳重にする方針を明らかにするなど、フランス国内でのテロ活動に対する監視態勢を強化していたという。

 この事件により、フランス政府は全国に非常事態宣言を出し、テロリストの侵入を抑制するために国境封鎖を決めたほか市民に不要不急の外出を控えるように呼びかけた。また、1500人以上の兵士を動員し警戒にあたらせた。こんな物騒な2015年が終わり2016年を迎えた。
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