第54話:熱海と箱根温泉で療養

文字数 1,296文字

 2016年は、熊本地震の後、箱根温泉と熱海温泉に旅行に行っただけで、特に活動することなく、2017年を迎えた。2017年1月8日、朝8時半、茂田先輩の内縁の妻の澄子さんから体調が悪いので、助けてもらって良いかしらと電話が入った。甘太夫妻が、澄子さんのマンションに行き、そのまま、近くの「けいゆう病院」へ付き添った。

 内科に親戚と言うことで甘太夫妻も一緒に先生から話を聞くと、体調悪いのは心筋梗塞のせいだろうと言われ、直ぐ、手術をしますと言われた。先生が、ストレッチャーと用意させ、循環器内科の先生と話をして、甘太夫妻に手術の承諾書にサインをしてと言われサインした。その時、つまりそうな心臓を栄養する血管が他に3ケ所あるので、2から3年かけてステント手術をする必要がありますねと言われた。

その後10時前から手術が始まり11時前に終了。14時から面会許可が下りて澄子さんの所へ行くと、心臓近くの血管がつまっているなんてと少し落ち込んでいた。頻繁に、お見舞いに来ますから心配しないで下さいと言った。退院しても心配なら私達のマンショションは2人きりなので引っ越しませんかというと、それはありがたいと、でも、迷惑じゃないと言った。

「大丈夫ですよ、茂田先輩も、私達が亡くなるまで、みたのですからと笑顔で言った」
「それでは、お願いしようかしらと言ったので、甘太が、かしこまりましとと告げた」
 すると笑顔になった。この話を茂田さんの仲間たちにも知らせますかと甘太が聞くと首を振った。言わないでおいて下さいと答えた。

 わかりましたと言い1日も早く元気になって下さいねと言うと澄子さんが、お礼を言い涙をこぼした。すると甘太の奥さんが、茂田先輩には、返しきれない程の恩義があるので、これ位、当たり前ですと言い切った。やがて甘太夫妻が、交代で来ますからねと言って病室を出た。7月に2度目のステント手術をして3度目のステント手術が2017年1月と決まり4度目のステント手術が2017年9月と決まった。

 2017年1月15日、けいゆう病院を退院してきた。澄子さんが、以前住んでいたマンション契約終了の手続きと彼女の荷物を運んで彼女のベッドと机とパソコンを6畳の洋室に運んでおいた。その6畳で生活してもらう様に言った。4月になり熱海温泉に甘太夫妻と澄子さんの3人で静養のために2泊3日で出かけた。温泉に入り出てくると以前よりも顔色が良くなりましたねと甘太の奥さんが澄子さんに言った。

 やがて夏になり7月8日、澄子さんの2度目のステント手術のため入院して7月15日に退院してきた。その後も澄子さんが、2週間に1回、通院を続けた。11月4日から2泊3日で箱根温泉に、甘太夫妻と澄子さんで出かけた。

 芦ノ湖の遊覧船に乗って、箱根のすすきと紅く色づき始めた山を見たとき、澄子さんが、思わず、生きていて良かったと言った時には、甘太の奥さんの目に涙が浮かんだ。そして、澄子さんが甘太の奥さんを呼んで、小さな声で何かを話していた。箱根では、すすきで、有名な仙石原温泉に宿を取った。そして、11月6日にみなとみらいのマンションに帰った。
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