第1話:中卒後18歳から投資家に

文字数 1,467文字

 父の名は青山茂、俺の名は青山甘太、八王子の郊外、神奈川県の北の果てに住み。父は売れない作家で、娘が八王子の農家の息子と結婚して姉夫婦が相模川近くの高台に宿屋を経営して生計を立てている。

 父は1つの作品が以前、ベストセラートップ10に入った、その小説の本を書いて脚本化され映画になりヒットして大金が入ったが、その後、いくら書いても売れなくなってしまった。そこで、株で少しずつでも、お金を増やそうと考えていた。

 主人公、甘太は金の計算速くて性格で絶対に損しない様に、気迫も持っていて数学が得意だが、それ以外は駄目だった。勉強も好きではなく、父・青山茂のように、何かで、一山当てたいと考えていた。

 現在、小学校に入ったばかりで近くの農家の跡取り息子と遊ぶ毎日だった。1962年が終わりを告げようとしていた。やがて1963年が空けた。頼りにしていたのは、昔から仲良くしてくれている近所の茂田作蔵先輩だった。

 彼は小さい時から、兄の本を読んで、両親から新聞を読む事を命じられていた。両親の英才教育のお陰で、小学校に入ってからも数学も既に中学生並で、英語のカセットを聴かされて、英語とのふれあい始めていた。

 自宅は、それ程、裕福というわけでないが、お父さんが、橋本郊外の外資系企業の技師として働いていたので、アメリカ人と一緒に仕事をして、英語を完璧に話していた。そのため、長男の茂田作蔵の教育には小さい頃か熱心だった。

 中学に入って、学年でも抜きん出た成績で橋本地区では賢いと有名になった。やがて、高校受験の時には叔母の住んでいた立川に下宿し立川高校に入学した。おばさんの家が商店を経営して、その店番を手伝っていた。

高校に入ってからも勉強を続け、東京大学理学部に合格して、大学近くに下宿して通った。夏休み、冬休みに橋本に帰ってくると、青山甘太に日本や世界経済の話、政治の話をわかりやすく説明してくれた。

 これからの時代は、物をつくるのが主流ではなく、流通、販売など商業、経済が主流の時代がやってくると、常々話していた。そこで大学卒業しても教師や技術者になるのではなく投資の仕事に就くと語っていた。

その公言どおり、茂田先輩は卒業後はN証券に就職した。そうして、彼はこれからの日本は、経済が伸びるはずだから株投資が有望だと話していた。そうしているうちに2月を迎え、青山甘太も、今後の進路も決めるように担任の石田肇先生にせっつかれた。

 ここままだと中学卒業で終わるが良いのかと言われ、仕方ないので、姉の旅館で働きますと告げて、とうとう中卒で4月を迎えた。茂田作蔵先輩も中央大学を卒業しN証券に就職した。そんな1971年4月に姉の宿屋で下働きする事になった。

 月の給料5万円で食事、寝床付き、ボーナスなし、昇給は儲けが増えればという条件で就職した。しかし宿屋は、あまり繁盛せず、甘太は相模川の釣りのお供について行ったり鮎を購入し周りの宿屋に卸販売したり漁協に入漁料を支払った。

その他、津久井湖の手こぎボートの手配をする位のしかなく仕事は土日祭日中心であった。そのため昇給はのぞめなかった。それでも部屋と風呂と食事が無料で毎月5万円の給料から3万円を積み立てていた。

 すると茂田先輩から久しぶりに電話が入り彼は、証券会社でアルバイトしながら夜間大学に通い、今年卒業して証券マンになったと連絡してきた。そして1973年4月10日・日曜、お昼に橋本の「喫茶店・コロラド」で会おうと言ったので出かけて行った。
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