風の伝え 2

文字数 2,794文字


 アティリオの病床のある商館の一室──。ドアの前には、既に多くの者の顔があった。
 ルージュー、コレオーニ、その他アティリオが〝周到の人〟として組織した情報網を支える者共が、言葉少なく廊下に居並んでいる。その中にはアロイジウス・ロルバッハの姿もある。
 アベルの先導でクロエたちがドアの前に現れると、待っていたベタニア・パルラモンがドアを開けた。先ずアベルとクロエだけが通される。──今、室内(なか)にはマルティの家の者だけが居た。

 ──ルージューの〝周到の人〟が先に逝く、か……。

 階下に下りればすぐホール……脇には応接の間も幾つかある……という造りの商館で、然して広くない廊下でアティリオの容態の変化に備える者の多さに、あらためてアニョロは感じ入る。
 彼を次期当主に、と推していたアブレウの閥の者は、この後どう動くのだろうか──…などと考えつつ、所在の無い身を同じ廊下の片隅に置いた。

 アティリオ・マルティは知らぬ者ではない。妹を愛してくれ、その仇討ちを共に成した男である。その友と言ってもよい男の末期に、彼の死で後に生じる〝波紋〟について考えている……。
 そういう自分という男に、溜息が出る。
 アニョロは、ふと同じ廊下の端に居るアロイジウスを見遣った。
 ──たぶん、アティリオ・マルティは、こいつ(アロイジウス)が羨ましかったろうな……。

 それは、アニョロの〝思い〟でもある。


 程なくしてドアが開き、アニョロとアロイジウスの名が呼ばれた。
 思わぬ指名に顔を見合せた2人だったが、もう1度商館長のベタニアに入室を促され部屋に入る。部屋に入るや、真っ直ぐにアティリオの臥せるベッドまでをマルティの者が脇に退いて迎えられた。
 流石に気後れを覚える二人をクロエが肯いて励ます。アニョロは意を決してベッドまで進んだ。

「──来てくれたか……」
 アティリオが笑って迎えた。衰弱の進んだその顔が痛々しかったが、彼の向ける目には確かに〝親愛〟があった。
「長官府の方に使いを遣ったのだが、繋ぎを得られなかったと聞いて、間に合わぬかと思った……」
 アニョロは(しゅく)と低頭をし、長官府を私事で下がったことで生じた行き違いを詫びた。
 アティリオは頷くとアニョロの目を見上げた。
「貴殿に2つほど〝提案事〟がある…──」
 アニョロがわずかに顔を傾げて先を促すと、アティリオは続けた。
「先ず1つ……マルティの者に……なる気はないか?」
 邪気のない──それは彼にしては珍しいことだ…──表情(かお)のアティリオがそう言ったとき、最初、アニョロは何を言っているのかわからなかったが、やがてその意味を捉えたとき、真意を計り兼ねてアティリオを見返した。
「なにを…──」
 疑義が口を吐いて出かけたアニョロを、アティリオが手を挙げ遮る。
「──そうして、2つ目。我が〝周到の人〟の二つ名……継いでくれまいか」
 穏やかに笑って彼は言った。

 その言で今度こそ言っていることの意味を捉えたアニョロは、クロエに視線を遣った。
 彼女も聞かされていなかったことなのだろう……その表情に、1度受け入れた〝覚悟〟をかき乱される様子が見て取れた。
 いま彼女の胸中では、〝ルージュー=マルティの娘〟としての矜持──その長姉たることの自覚と、1人の(おとめ)としての感情とが鬩ぎ合っているのだろう。

 彼女の揺れる瞳を確認したアニョロは、次いでジョスタン・エウラリオを見た。
 ルージューの御曹司、〝果断の人〟は、初めて言葉を交わしたときと全く変わらぬ、〝他人に(かしず)かぬ者〟の顔で真っ直ぐに視線を受け、口を開いた。
異母弟(おとうと)はお前に代わる人材(ひと)が見当たらんという。……受けてくれ」
 そんな言い方に苦笑しつつも、アニョロはこの言葉に思いを定めていた。
「私に異存はないが……」 チラとクロエを見る。「──…クロエはどうなのか?」

 クロエは、2人の異母兄の言に、まだ惑いの表情でいた。
 ──そういうことなら、もっと早くに云ってくれればよかった……。〝女の覚悟〟など、取るに足らぬものとでも……。

 そのクロエの静かな憤りを見て取ったのか、アティリオが口を開いた。
「これまでクロエ(いもうと)のことを気遣ってやる余裕がなかった……気付けばいよいよ時間がない、ままならぬもの……。だがクロエ……これを気怖じする理由はない。これは〝策〟…──シラクイラの側の策士を1人ばかり取り込むだけのこと……。それを成すのにおまえを使う」
 ルージューの〝周到の人〟の微笑を浮かべ、兄は妹を諭した。
「どの道シラクイラとは戦う……。が、ルージューが勝つとは限るまい。 ──…エリシアかビベカ(ビビアナ)……、(いず)れかがシラクイラで子を成せば、少なくとも父上(マルティ)の血は残る……。おまえの役はそれではなく、そこの御仁(アニョロ)篭絡(ろうらく)することだ。……不服か?」

 クロエは、病床の異母兄の浮かべるその微笑に、〝怒りたいのに泣けてくる〟といった態で、終に首を縦に振った。
 それに満足したふうに、アティリオは深く息を吐いた。

「アロイジウス…──」
 アティリオは次に若い竜騎を見て頷いた。
 アニョロと場所を替わり病床に侍したアロイジウスに、アティリオが言う。
「……悪いが先にいく。あの世とやらには私の方が先着だ…──」
 このときにアティリオが浮かべた笑みには、もう〝周到の人〟の()()()()()はない。
「アニタ嬢と再会したら、その時はもう、貴殿の来るのを待つことはしない」
 アロイジウスも微笑んで返した。
「貴方には〝それを言える〟資格があります」
 それを聞き、アティリオが〝何かを思い付いたよう〟にアロイジウスを見遣り言う。

「一つ、賭けをしないか……」
「……とは?」
「貴殿がくるまでに、彼女の心を射止めることができるかどうか……」
 そう云ったアティリオには、アロイジウスがどういう表情を浮かべるかわかっていた。
「……受けましょう」
 そしてその通りの表情で彼が云うのを聞いた。

 アティリオは目を閉じると、再び満足したように何度か小首を動かした。
 と、お道化たふうな声で言継ぐ。
「だが、この賭けにはハンデが必要だな……。貴殿は精々生きて、ゆるりと来てくれ……」


 再びアティリオは目を開けると、家族の顔を見渡し、名残惜しそうに目を細めた。
「──…さて……、すべきことは、全てし終えたか…………」
 そうして目を閉じると、その瞼が開くことはもうなかった…──。


 アティリオ・マルティ・アブレウは逝った。

 雲の流れの速い夜、
 月が雲に呑まれるように…──。



 このときアベル・サムエル・マルティは、敬愛する異母兄の早すぎる死を招いたのは自分であったことを知っていた。
 異母兄の口から聞かされたことを当の少女に訊き(ただ)し、悪びれぬ貌の本人から告げられていた。
 アベルの中で何かが壊れたその日を境に、少女の姿は消えた……。

 この過ちは、正さなければならない……。

 アベル・サムエルは、ユスティティア(正義の女神)の名にそれを誓った。
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登場人物紹介

■エリベルト・マリアニ(12 →19 ⇒22歳/♂)


竜騎見習い →聖王朝宮中竜騎(アレシオ・リーノ近習衆筆頭)




本作の主人公の1人。蒼い瞳、「麻くず」の色の髪トウヘッド。幼少時より〝物静かな〟顔立ちながら、その瞳に怜悧さを宿していたという。成人後は精悍さが強調されるのはお約束。もちろん均整のとれた長身。


生家は聖王朝の武門プレシナ大公家に代々使える宮中竜騎の家柄で、父リスピオは大公麾下の〈プレシナ大隊〉にあって筆頭の竜騎長である。


アレシオ・リーノの竜騎見習いへの志願の折での〝とある行い〟がアレシオの目に留まり、取り立てられることとなる。以後、彼の半身とも言うべき存在となった。




主人公の1人アロイジウス・ロルバッハの竜騎の師であり、そのアロイジウスの姉ユリアを妻に迎えた。


そのユリアを巡り権門マンドリーニ公の勘気を被り、第1部の後半では近習衆を解任され閑職に左遷の憂き目となっているが、アレシオ・リーノからの信頼は些かも損なわれていない模様。




<メイキングこぼれ話>


モデルは『銀河英雄伝説』のキルヒアイスですよ、それは。(笑)


物語の幕開けの視点の主人公なのに、以降、第1部ではほとんど出番がありません。(汗) 失敗ですねぃ。


でも物語全体ではアレシオ・リーノの片腕として活躍することが約束されているので〝問題無しノープロブレム〟なのですよ!

■アレシオ・リーノ・プレシナ(11 →18 ⇒21歳/♂)


竜騎見習い →プレシナ第2大隊第3中隊長 ⇒第2大隊次席指揮官(プレシナ大公家嫡子)




本作の主人公の1人で、聖王朝三公の1つ、武門のプレシナ大公家の嫡子。黒曜石の瞳、射干玉ぬばたまの髪の美丈夫──女性と見紛う美貌ながら溢れる才気、命令することになれた物言い、美しきモノへの憧憬、貴族たる気概と魂……、そして前線に兵と共に在ることを厭わぬ剛健、という真の武人。(盛り過ぎw)




自らの竜騎見習いの志願の折に出会ったエリベルト・マリアニを〝竹馬の友〟として側に置き、緩慢な衰退の中にある聖王朝にあって、火薬を始めとする科学技術を利用した軍制への改革を推し進めている。


かつては元老院派の論客ランプニャーニ宮中伯に学び武威に慎重な姿勢を見せていた。


なお、自身の傲慢を戒めるためか、幼き日に施しをした〝へロット下層民の娘〟から突き返された小金貨をペンダントとして常に身に付けている。




<メイキングこぼれ話>


当然こちらはラインハルトと思いきや、黒髪の美しい貴公子。現在なら『キングダム』の嬴政な感じでしょうか?


本作全般の主人公。やはり真価は第2部以降……ということに。


ちょっとだけネタバレな感じで言うと、〝ジブリ作品『風立ちぬ』の主人公は自分の理想的な美にしか関心のない残酷な男〟というキャラ分析を読んでインスパイアされてみました。そういう複雑なキャラを描いてみたいです。(笑)

■アロイジウス・ロルバッハ(8 →14 ⇒17歳/♂)


戦利奴隷 →竜騎見習い ⇒独立竜騎(西方軍長官府附き武官/ロルバッハ家当主)




本作の主人公の1人で最年少の少年竜騎。鳶色の目と同じ色の巻き毛の髪。頭の回転が速く弁も立つ。


元はアンダイエの工房職人の子だったが、アンダイエが聖王朝に攻め落とされたことにより姉ユリア共々戦利奴隷となった。奴隷市でロルバッハ砦の独立竜騎ファリエロに救われたことで姉と共にロルバッハの養子となり竜騎となる。




竜騎として養父とエリベルト・マリアニの薫陶を受け、優れた若武者であると共に〝知識の間〟ではアニョロ・ヴェルガウソと同窓という文武両道の者である。


その人物像の最大の特徴は〝誠実な為人ひととなり〟で、理よりも情で行動する。


アニョロとはその妹アニタと共に兄妹同然に育つ。そのアニタとは互いに憎からず思う間柄であるが……。




<メイキングこぼれ話>


いたって〝普通の〟主人公です。多くを語る必要はないという……。(笑)


モデルは安彦良和の『アリオン』の主人公アリオン。


……でも、ちょっと不幸な出来事が続いてますね。ごめんよ、アーロイ。

■アニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソ(18 ⇒21歳/♂)


竜騎見習い ⇒アンダイエ商館長代理(ヴェルガウソ子爵家当主)




本作の主人公の1人。17歳で父を流行り病で失い子爵家を相続した。ヴェルガウソ家はタルデリ宮中伯家を補佐する官吏貴族の家で、画に描いたような中級貴族の家柄。貴族社会の体面は立てるが個人にへつらうということをしない性格で、少々扱いにくい人物。


一応、竜騎見習いの資格はある(師は友人でもあるエリベルト・マリアニ……)が自他共に認める文筆の人で、聖王朝の学術機関〝知識の間〟で学ぶ学徒である。知恵者を気取っている。


アロイジウス・ロルバッハの身元引受人を父から引き継ぎ、彼とは兄弟のような仲。アニタという名の妹が1人いる。




主家の主ポンペオ・タルデリの西方長官着任に伴いルージューの地に赴任、アンダイエ商館の館長代理として聖王朝西方の情報収集を取仕切っている。そういった〝裏向き〟の活動の中でルージューの姫君クロエと出会い、見初めることとなる。


左利き。




<メイキングこぼれ話>


立ち位置的には『アルスラーン戦記』のナルサス(当然ダリューンはエリベルト)。……なのだが、キャラの造形は『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリックな感じ。気の措けない〝身内〟に見せる気さくさと、貴族社会の中での達観した立居振舞とのギャップが魅力……に描きたいものです。

■ジョスタン・エウラリオ・マルティ・ポーロ(20 ⇒23歳/♂)


ルージュー辺境伯マルティ家 次男




本作の主人公の1人。物語の序盤から西のカルデラの側に居る〝いま一人の〟貴公子。(……なのだが、アレシオ・リーノ同様、第1部では余り目立っていない。)


西のカルデラの地に6つの邦を束ねるルージュー辺境伯を世襲するマルティ家の御曹司で、多くの兄弟親族がいる。


聖王朝に先駆けて火薬主体の軍制を模索するなど天賦の〝戦の才〟を持つも、一族に関わる諸豪族の干渉に嫌気がさしており、すぐ下の異母弟アティリオと図って〝出来た弟〟と〝うつけの兄〟をそれぞれに演じ、周囲の目を欺きつつ韜晦していた。


〝果断の人〟の二つ名を持つ。




その二つ名の通りの〝動くべき時の果断さ〟と〝動くべからざるそうでない時の泰然さ〟を合わせ持ち、〝過去に縛られない柔軟さ〟と〝こうと決めたら梃子でも動かぬ頑固さ〟がある。


欠点は、大邦ルージューの御曹司として育ったためか他人の風下に立つことに慣れておらず、侮られることを嫌うこと。が、傲慢であるかと言えばそういうばかりでもない。


政略で名門ユレ家の姫オリアンヌを妻に迎えたが、夫婦仲はたいへんに睦まじい様子。


プレシナ大公家の嫡男アレシオ・リーノを高く評価し、警戒してもいる。




<メイキングこぼれ話>


アレシオ・リーノの好敵手ライバル。精悍で豪快な兄貴系。イメージは『十二国記』の延王 小松尚隆かな。


〝戦バカ〟を触れ回っていますが実は深慮の人のよう。


でも人間としては判りやすく、裏表のないナイスガイを目指します。

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