炸風 7
文字数 2,750文字
「ルーベン・ミケリーノ……っ!」
そのアロイジウスの抑えた声を耳にし、腰を折って苦悶していたルーベン・ミケリーノが動きを止めた。
面を上げ、背筋を伸ばすように、見えぬ目で若い独立竜騎の姿を捜し求めるように首を振る。
「ここだ──」 アロイジウスは、ルーベンの顔がこちらを向くのを見計らい声を投げ掛ける。ルーベンは首を振るのを止めた。
曲がりなりにも向かい合う構図となって、
「──…アロイジウス……ロルバッハ……」 ルーベン・ミケリーノが露悪的に口許を歪め、その名を口にした。
「満足だろう……小邦の独立竜騎ごときが、マンドリーニの男であるこのルーベン・ミケリーノを討つのだから…──」
嘲りを滲ませたルーベン・ミケリーノの声の中には、諦観があった。
「──べつに何を詫びろと言われたところでそうする心算もないが……わざわざこうしてきたということは、何か言いたいのだろう? ……聞いてやる」
アロイジウスは真っ直ぐに、ゆっくりと歩を進めた。
そうして衆目のある中ルーベン・ミケリーノの面前にまで進み、まだボネッティの血が滴る
くぐもった苦悶の声が、ルーベン・ミケリーノの口から漏れた。
「いや……貴様に言葉などない──」 仇の男の腹に刺さるグラディウスの刃を、体重を掛けてさらに押し込む。「──ただこの手で
ひゅぅ、とルーベン・ミケリーノの口から空気の漏れるような音がした。それから、くぐもった音がして……それに〝まとまって水が
口から血を溢れさせたルーベンが、必死の形相を浮かべている。
アロイジウスの顔に表情はなく、その目は
血の塊を吐いた後の
「そう……か……、最後に、貴様の顔を……見れないのが…………残念だ……」
それがルーベン・ミケリーノ・マンドリーニの最後だった。
併走する黒い
アロイジウスがルーベン・ミケリーノと弓を合わせたとき──……またマンドリーニの兵の溢れる艇の上に乗り移ったとき──…あわよくば彼の頭上に〝
その横顔を隣から盗み見遣った〝名の無い女〟は言葉を掛けることはせず、舵を操る手下の者にこの場から艇を離れさせるよう命じ、天幕の中へと消えた。
残されたソニアは、アロイジウスの乗った飛空艇が遠ざかり、蒼く霞んで見えなくなるまで目線を逸らさずにいた。
黒い
この後のアンダイエの収束は早かった。
マンドリーニ艇の兵らは、アティリオのルージュー艇に寄せられるや、すぐさま弓を下ろして降伏した。
ルーベン・ミケリーノが斃れてしまえば、後に残されたマ軍首脳…──グエルリーノ・トリヤーニのような男には、もはや自分たちが血を流す理由を見出せなかったのだろう。程なく〈ミアガルマ〉以下マ軍船団の飛空船・飛空艇はトリヤーニの指示に臨戦の構えを解き、アンダイエの上空から退いた。
同様に、アンダイエ市中に散るマ軍諸隊にも、西方長官府に入った首席武官より武装解除の命が下される。
ダオーリオの手下の先導で長官府に入ったボニファーツィオ・ペナーティは、西方長官、首席文官が不在の長官府にあって最上位の公職者であり、こと軍事面に於いては間違いなく〝聖王陛下の代理人〟であった。
こちらの方は、既に各所で小競合いに発展していることもあり、全隊が解除に応じるまでに数日の時間を要している。だがアニョロの指示で対応に出た西方軍は、
事件を通じ〝小競合い〟の類いはあったものの決定的な〝暴発〟にまで至らなかったことには、このアニョロの差配の妙とダオーリオの手堅い統率があったのは確かだった。
発生から4日目には市中からマンドリーニの兵の姿は消え、それぞれマ軍船団の飛空船に武装を解いて移されている。
全てが順調と思える中でそれは起こっている。
人知れず、〝魔〟は狙いを定めていた……。
その夜アティリオは、宿舎となっていたコレオーニの商館のベッドの上で目を覚ました。
何かの気配を感じた気がした。
窓の外からの淡々しい光に目が慣れると、アティリオは上体を起こした。
〝人の一日の始まり〟である日の出はまだ先で、〝人ならざるモノ共の一日〟がまだ続いている。
静かだった。
何が居てもおかしくはない……そう思える暗がりを見遣っていると、不意に、すぐ傍に人の気配を感じた。誰かがベッドに腰を下ろしているのに、
ヘッドボードには短刀を置いてあったが、それに手を伸ばすことを本能が止めた……間に合わない。
ゆっくりと静かに目線を動かしていくと、果たして視界に滑り込んできた懐かしい貌が、窓からの光を受けて淡く輝いて浮かび上がったのだった。
「…………」
言葉を失ったアティリオに、儚い光の中のアニタは悪戯っぽい微笑で小首を傾げ、動けなくなったアティリオにふわりとその身体を預けてきた。
彼女の体重を感じたと同時に、右の脇腹に熱さを感じた。
「──いい〝演出〟だったでしょう? ……アティリオさま」
アニタのものでない〝わずかに聞き覚えのある〟その声を耳元に拾ったとき、これが〝致命的〟なことだったことを──理由もなく──アティリオは理解していた。
身体が離れると、すぐ傍らの貌にはアニタの面影は全くなく、醒めた目が嗤っている。黒い艶やかな髪のその顔は
その白く細い指の手には凝った意匠の〝薄い刃の短剣〟が握られ、その緩い反りの入った刃が、窓からの光に濡れて光っていた。
急激に寒気が襲ってきた。右の脇に遣った手を見る。……赤く濡れていた。
「だいじょうぶ…──」 〝蝋燭売りの娘〟姿の女が言った。「すぐに死にはしないわ」
「毒……か……」
アティリオは女を睨んで返した。
「…──何を考えてのことか知らんが……随分と手の込んだことだな…………」
女が鈴を振るような声で応じる。
「貴方には、まだもう少しだけ〝
──最後まで、駒として使う、か……。
周囲の音が遠のいていく……。
この現実に、アティリオは怒りを通り越し絶望を感じた。