嵐気 7

文字数 4,077文字


 陽が落ちてから3時間程が経った頃、アティリオ・マルティの姿はコレオーニ商館のベタニア・パルラモンと共に、市中の西を受け持つ警衛の詰所にあった。
 此度ばかりは異母弟(アベル)は同行を許されず、不測の事態が生じた際のに於ける指示を説かれて商館に留め置かれている。推移に()ってはアニョロ・ヴェルガウソと合流し、善後の策を講じなければならない。

 ベタニアが〝コレオーニ商館がアロイジウス・ロルバッハの身柄を引き受けに来た〟、と告げると、詰所の門衛は一旦奥に消え、程なくして戻ると2人を中へと招じ入れた。
 先に遣った商館の使いの者を通じ〝袖の下〟を握らせた形を取ってはいたが、恐らくこうして訪問するであろうことは先方も承知していると、詰所の小さなホールに入るや、アティリオはウィンプル(頭巾)を下ろし、素顔を晒した上で商館長(ベタニア)互い(主従)の立ち位置を入れ替えた。ベタニアもそれを受け、一歩下がってウィンプル(頭巾)を下ろす。

 然程待たされることなく、奥の扉が開いた。入って来たのは1人……、魔導の者の纏う暗い色のローブ、という出で立ちだった。

 誰の姿が現れるのか…──実はアティリオにも見当など無かったが、長官府の首席文官オリンド・ドメニコーニかそれに連なる手下(てか)の者、と踏んではいた。それが〝魔導の者〟と思しきローブの人物が現れたとは……。
 怪訝に眉根を寄せたアティリオに、ローブの人物が深く被ったフードの下から声を発した。
「随分と時間が掛かりましたのね?」 若い声…──そして、それは女性のものだった。

 アティリオは警戒を深める。
 これ迄の状況(うち)に、(いささ)かも〝魔法を扱う者〟の介在に思い至らなかった自分を迂闊と思ったし、この女性とドメニコーニとの関係が読めない。魔法が係わってくるのであれば、ドメニコーニとルーベン・ミケリーノとの〝連繋の線〟の捉え方も、より広がりと深さの中で吟味し直す必要がある。
 そんな内心を隠しつつ、会話の主導権を奪われぬように表情(かお)を作ってアティリオは応じた。
「ドメニコーニ殿が赴かれることも有ろうかと(じかん)を取った。──アティリオ・マルティだ。……面識は無かったと思ったが?」
 言いつつ、ローブの女の目深に被ったままのフードを見下ろして、わずかに首を傾げてみせる。
 それで女も自らのフードを下ろし、正面からアティリオを向いた。
 蝋燭の灯りに顕となった貌は、成熟した女性(おんな)の美しいものだった。
 側らのベタニアの娘と言ってよい年頃と見て取れる。22歳のアティリオと同年輩だろうか。
 そんな若い女のその貌には、翳があった。


 女が、静かに口を開いた。
「失礼の段はお許しを……。わたくしに()()()()()()()
 揺らめく灯りに浮かぶ女の顔に表情は薄い。微かに笑みを浮かべると、落ち着いた声でそう言った。
「…………」
 一層警戒を深めたふうのアティリオを一顧だにせず、女はいきなり本題を語り出した。
「──…アロイジウス・ロルバッハは聖王朝への謀叛の廉で軍に引き渡すことになります。早晩、ルーベン・ミケリーノさまの面前に引き出されることになりましょう」
 その言葉の内容と慇懃ながら礼を失した言動に、側らでベタニアが息を呑んだ。アティリオも目を細めて問い質した。
「オリンド・ドメニコーニによる手配か?」
 女は曖昧に肯いて返した。
 アティリオは目を瞑ると鋭く嘆息した。
「ドメニコーニを見誤った、というわけだ。〝周到の人〟などと(おだ)てられているうちに俺の目も曇ったか……」
 自嘲の笑みを浮かべそう悔恨を口にするアティリオに、女が言葉を重ねる。
「──…いいえアティリオさま。これも〝ルーベン・ミケリーノを除く〟という目的の一環……」
 不思議な事を口にし出した女にアティリオの目線が探る様なものとなる。すると女は、その目線を確かめるや嫣然とした笑みを初めて浮かべた。
「アロイジウス・ロルバッハには、ミケリーノさまを見事討って頂かねばなりませぬ。そのために一芝居を打たせて頂いた次第……」

 どうやら女には〝彼女の事情〟があり、アティリオらの与り知らぬ処で〝ルーベン・ミケリーノを除く〟ために動いているらしい。そのためにアロイジウス・ロルバッハを利用させてもらう、と言っているわけだが、何でその様な〝手の込んだ〟手配をするのか。アティリオには解らない。
 ただ、アティリオの側に〝拒否〟という選択肢は無さそうである。
 ──余程に大きな話の流れの中にアロイジウスもルーベン・ミケリーノも組み込まれているらしい……。

 アティリオは、女の表情(かお)に今一度目を遣った。
 内から覗く〝凛としたもの〟と、その人生で意に沿わぬもの──例えば〝世を渡る上での不浄〟──を多く見てきた故だろう若いに似ぬ〝諦観〟とが同居している女の顔には、場のペース(流れ)を握ったという余裕が見て取れる。
 アティリオは不本意ながら後手に回ったことを自覚した。が、〝芸が無い〟のを承知の上で、鳴いてみせねば気が済まなかったのも事実である。
 咄嗟に、しれっとした表情を顔に浮かべ、
「さて……、一体どういう事なのか?」 小首を傾げて見せる。

 女は、そんなアティリオをあしらう様に微笑んで返した。
「多くは申せませぬ……ですが、皆さま方がミケリーノさまをお手にかける……それは〝我が主人(あるじ)〟も望まれていること──」 臆せずに不穏なことを口にした。「──〝手をお貸しする〟よう申し付かっております」
 劣勢の挽回は成りそうにはなかったが、女には〝主人(あるじ)〟がいるということは口にさせた。
「その主人とやらは一体誰なのだ?」
 それには応えず、女は目だけで嗤って返した。どうもこれは、〝主人がいることは口にさせた〟のではなく、そう仕向けられたというのが本当の処かも知れない……。

 そんなアティリオの心中を見透かした様に、女は先を続けた。
「アロイジウス・ロルバッハの身柄はお預りします。引き渡しを装ってミケリーノさまに近付ける段取りについてはお任せを。連絡はコレオーニの商館に遣いを遣りましょう」
 有無を言わせぬ言で語られた彼女の筋書きの中に、しっかりとアティリオらは組み込まれていた。
 言うまでも無く拒否権はない。彼女の許にあるアロイジウスの身柄は、そのまま()()である。尤も、アティリオらの目論見とも変わらぬ筋書きであったから、拒否する理由は無かったが……。
 面白くない、という表情を押隠すアティリオに、女は最後に念押しのように言い付けた。
「──皆さま方は西方軍の〝束ね〟を。〝網の(ほつ)れ〟の無きように」

 アティリオは片方の頬の筋を引き上げただけで無言で応えた。
 〝竜の巣〟だと思って踏み込んだ先は、どうやら〝魔女の宴の館〟であったらしい……。



 ──それより少し前……。
 囚われの身のアロイジウスは、()()()()女の手下(てか)によって秘かに詰所の獄の中から移されていた。
 担架に乗せられたアロイジウスの傍らには硬い表情のソニアの姿がある。感情を無理に押し殺した顔のその目には複雑な光が宿っていた。
 カルデラでの戦いで味方を裏切ったアロイジウスを〝許嫁の仇(エレウテリオ)〟と定めた彼女に取り、彼の介抱を〝あの女〟から命じられたことは納得し難いことだった。
 獄に繋がれ抵抗しないアロイジウスを警棒で打ったときの感触は嫌なもので、とてもあのまま打ち続けて彼の命を奪うことは彼女には出来そうになかったが、それでも暗く冷たい獄の床の上に放置された彼が、衰弱し死に至るのは構わないと思った。アロイジウスはエレウテリオ(ウテロ)が命を落とす原因を作った裏切り者なのだから……。

 だからあのローブの女が意識を失った──彼女(ソニア)にはそのように見えた…──アロイジウスを獄から出すように指示し、あまつさえ自分に介抱するよう命じたときには、納得し難い思いを声にして女に詰め寄っていた。

 だが女は、そんなソニアにフードを下ろすや豹変した。
 女の素顔はソニアが思っていたよりもずっと若かったが、その老成し感情を十分に御す術を知る綺麗な貌が、冷たく彼女を見下ろして言ったのだ。
「小さなことに拘って、いつまでも我が身を儚んで泣くのはお止し」 と……。


 女は、反駁の言葉を探すソニアの口を開かせずに続けた。
「オマエが想い人を奪われた不条理は、この男を殺したところで消え去りはしないだろう? そんな不条理はいつだって世に溢れてるんだからね。
 そういうこと(不条理)と無縁なのは、そういうふうに生れついた者──貴族だけさ。
 それでも〝そんな不条理はご免だ〟って、そう思って、(わる)に成ろうと決めた……、違うかい?」
 そう言った女の目は、どこまでも暗かった。
 〝(わる)〟という言葉の響きが、ソニアの心を少しばかり動揺させた。でも、言葉が出てこない。女は続けた。
「なら小さなことに拘ってるんじゃないよ。
 この男(アロイジウス)1人を傷め付けて気が晴れたとして、それじゃ何も変わらない……。そうだろう?
 つまらないじゃないか。
 自分のしたことに罪の意識を感じながら、この先ずっと生きていくのに吊り合うようなことじゃないよ」
 ソニアは逡巡し、息を呑んで女を見遣る。

 それは事実と思えた。
 現に暗い獄の中で無抵抗のアロイジウスを打ち付けた際の感触が、まだ手に残っている。

 女はそんなソニアの顔を両の手で挿むと、一つ頷いて、云い聞かせるように言った。
「理解できたかい? ならここはあたしに任せて言う通りにするんだ。
 アロイジウス・ロルバッハは()()()殺さない。大事な駒として使う身体(からだ)だからね……」
 気圧されたソニアが小さく肯く。
 それを見て女は、口元に残忍な笑みを浮かべた。
「どの道この男は〝我が主〟の不興を買った。(いず)れ身も心もズタズタにされ、この世界を呪いながら死んでいくことになる…──」
 それから女は、何気ない感じに付け加えた。
「──オマエが望むなら、この男が苦しむ様を見届けられるよう、〝我が主〟の下に迎え入れてやろう」


 ソニアは女の持ち掛けた話を呑んだ。
 だから今はアロイジウスは殺さないでおくことにしている。

 女の暗い光を宿した目をまともに見とき、吸い込まれるような感覚を覚えたのを、ソニアは憶えている。
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登場人物紹介

■エリベルト・マリアニ(12 →19 ⇒22歳/♂)


竜騎見習い →聖王朝宮中竜騎(アレシオ・リーノ近習衆筆頭)




本作の主人公の1人。蒼い瞳、「麻くず」の色の髪トウヘッド。幼少時より〝物静かな〟顔立ちながら、その瞳に怜悧さを宿していたという。成人後は精悍さが強調されるのはお約束。もちろん均整のとれた長身。


生家は聖王朝の武門プレシナ大公家に代々使える宮中竜騎の家柄で、父リスピオは大公麾下の〈プレシナ大隊〉にあって筆頭の竜騎長である。


アレシオ・リーノの竜騎見習いへの志願の折での〝とある行い〟がアレシオの目に留まり、取り立てられることとなる。以後、彼の半身とも言うべき存在となった。




主人公の1人アロイジウス・ロルバッハの竜騎の師であり、そのアロイジウスの姉ユリアを妻に迎えた。


そのユリアを巡り権門マンドリーニ公の勘気を被り、第1部の後半では近習衆を解任され閑職に左遷の憂き目となっているが、アレシオ・リーノからの信頼は些かも損なわれていない模様。




<メイキングこぼれ話>


モデルは『銀河英雄伝説』のキルヒアイスですよ、それは。(笑)


物語の幕開けの視点の主人公なのに、以降、第1部ではほとんど出番がありません。(汗) 失敗ですねぃ。


でも物語全体ではアレシオ・リーノの片腕として活躍することが約束されているので〝問題無しノープロブレム〟なのですよ!

■アレシオ・リーノ・プレシナ(11 →18 ⇒21歳/♂)


竜騎見習い →プレシナ第2大隊第3中隊長 ⇒第2大隊次席指揮官(プレシナ大公家嫡子)




本作の主人公の1人で、聖王朝三公の1つ、武門のプレシナ大公家の嫡子。黒曜石の瞳、射干玉ぬばたまの髪の美丈夫──女性と見紛う美貌ながら溢れる才気、命令することになれた物言い、美しきモノへの憧憬、貴族たる気概と魂……、そして前線に兵と共に在ることを厭わぬ剛健、という真の武人。(盛り過ぎw)




自らの竜騎見習いの志願の折に出会ったエリベルト・マリアニを〝竹馬の友〟として側に置き、緩慢な衰退の中にある聖王朝にあって、火薬を始めとする科学技術を利用した軍制への改革を推し進めている。


かつては元老院派の論客ランプニャーニ宮中伯に学び武威に慎重な姿勢を見せていた。


なお、自身の傲慢を戒めるためか、幼き日に施しをした〝へロット下層民の娘〟から突き返された小金貨をペンダントとして常に身に付けている。




<メイキングこぼれ話>


当然こちらはラインハルトと思いきや、黒髪の美しい貴公子。現在なら『キングダム』の嬴政な感じでしょうか?


本作全般の主人公。やはり真価は第2部以降……ということに。


ちょっとだけネタバレな感じで言うと、〝ジブリ作品『風立ちぬ』の主人公は自分の理想的な美にしか関心のない残酷な男〟というキャラ分析を読んでインスパイアされてみました。そういう複雑なキャラを描いてみたいです。(笑)

■アロイジウス・ロルバッハ(8 →14 ⇒17歳/♂)


戦利奴隷 →竜騎見習い ⇒独立竜騎(西方軍長官府附き武官/ロルバッハ家当主)




本作の主人公の1人で最年少の少年竜騎。鳶色の目と同じ色の巻き毛の髪。頭の回転が速く弁も立つ。


元はアンダイエの工房職人の子だったが、アンダイエが聖王朝に攻め落とされたことにより姉ユリア共々戦利奴隷となった。奴隷市でロルバッハ砦の独立竜騎ファリエロに救われたことで姉と共にロルバッハの養子となり竜騎となる。




竜騎として養父とエリベルト・マリアニの薫陶を受け、優れた若武者であると共に〝知識の間〟ではアニョロ・ヴェルガウソと同窓という文武両道の者である。


その人物像の最大の特徴は〝誠実な為人ひととなり〟で、理よりも情で行動する。


アニョロとはその妹アニタと共に兄妹同然に育つ。そのアニタとは互いに憎からず思う間柄であるが……。




<メイキングこぼれ話>


いたって〝普通の〟主人公です。多くを語る必要はないという……。(笑)


モデルは安彦良和の『アリオン』の主人公アリオン。


……でも、ちょっと不幸な出来事が続いてますね。ごめんよ、アーロイ。

■アニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソ(18 ⇒21歳/♂)


竜騎見習い ⇒アンダイエ商館長代理(ヴェルガウソ子爵家当主)




本作の主人公の1人。17歳で父を流行り病で失い子爵家を相続した。ヴェルガウソ家はタルデリ宮中伯家を補佐する官吏貴族の家で、画に描いたような中級貴族の家柄。貴族社会の体面は立てるが個人にへつらうということをしない性格で、少々扱いにくい人物。


一応、竜騎見習いの資格はある(師は友人でもあるエリベルト・マリアニ……)が自他共に認める文筆の人で、聖王朝の学術機関〝知識の間〟で学ぶ学徒である。知恵者を気取っている。


アロイジウス・ロルバッハの身元引受人を父から引き継ぎ、彼とは兄弟のような仲。アニタという名の妹が1人いる。




主家の主ポンペオ・タルデリの西方長官着任に伴いルージューの地に赴任、アンダイエ商館の館長代理として聖王朝西方の情報収集を取仕切っている。そういった〝裏向き〟の活動の中でルージューの姫君クロエと出会い、見初めることとなる。


左利き。




<メイキングこぼれ話>


立ち位置的には『アルスラーン戦記』のナルサス(当然ダリューンはエリベルト)。……なのだが、キャラの造形は『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリックな感じ。気の措けない〝身内〟に見せる気さくさと、貴族社会の中での達観した立居振舞とのギャップが魅力……に描きたいものです。

■ジョスタン・エウラリオ・マルティ・ポーロ(20 ⇒23歳/♂)


ルージュー辺境伯マルティ家 次男




本作の主人公の1人。物語の序盤から西のカルデラの側に居る〝いま一人の〟貴公子。(……なのだが、アレシオ・リーノ同様、第1部では余り目立っていない。)


西のカルデラの地に6つの邦を束ねるルージュー辺境伯を世襲するマルティ家の御曹司で、多くの兄弟親族がいる。


聖王朝に先駆けて火薬主体の軍制を模索するなど天賦の〝戦の才〟を持つも、一族に関わる諸豪族の干渉に嫌気がさしており、すぐ下の異母弟アティリオと図って〝出来た弟〟と〝うつけの兄〟をそれぞれに演じ、周囲の目を欺きつつ韜晦していた。


〝果断の人〟の二つ名を持つ。




その二つ名の通りの〝動くべき時の果断さ〟と〝動くべからざるそうでない時の泰然さ〟を合わせ持ち、〝過去に縛られない柔軟さ〟と〝こうと決めたら梃子でも動かぬ頑固さ〟がある。


欠点は、大邦ルージューの御曹司として育ったためか他人の風下に立つことに慣れておらず、侮られることを嫌うこと。が、傲慢であるかと言えばそういうばかりでもない。


政略で名門ユレ家の姫オリアンヌを妻に迎えたが、夫婦仲はたいへんに睦まじい様子。


プレシナ大公家の嫡男アレシオ・リーノを高く評価し、警戒してもいる。




<メイキングこぼれ話>


アレシオ・リーノの好敵手ライバル。精悍で豪快な兄貴系。イメージは『十二国記』の延王 小松尚隆かな。


〝戦バカ〟を触れ回っていますが実は深慮の人のよう。


でも人間としては判りやすく、裏表のないナイスガイを目指します。

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