風の子ら 6
文字数 4,451文字
2か月をヴェルガウソの館で過ごしたエリベルト・マリアニは、プレシナ第2大隊の営地であるメツィオ郊外の丘陵に戻っていた。
秋に向かう穏やかな陽の光の射し込む天幕の中で、卓の上の報告書に向かっていたエリベルトだったが、積み重なる書類の束に一区切りが着くとようやく手を止めた。遠くから練兵の声が聴こえてくる。
事務方の仕事を厭うエリベルトではなかったが、さすがに2か月分の書類には閉口させられていた。
この数か月で輜重 (軍需物資)の流れが大きく変わっていた。従来の〝弓の戦〟の備えではない。魔力とも異なる力──物理・化学の力を利用した戦いへと様変わりしつつある。そのように兵制が改まってゆく過渡期の混乱が見て取れた。
(アニョロの言うように戦い方が変わるのか。少なくともアレシオ様は変えるお
瘴に沈みつつあるグウィディルンでの戦とは、飛空船と
となれば如何に効率よく飛空船を無力化するかの算段となる。
最も効率が良いのは魔法の力を用いることだ。古事によれば聖王朝の戦巫女リゼルバラは火球を操り、大小20隻もの飛空船を数刻のうちに灼き沈めたという。また聖王家直轄の『御座艦隊』の大船には〝
だが、そんなことは〝今は昔〟である。
アニョロ・ヴェルガウソによれば聖王朝の力の根源たる魔力は、世界の在り様の中で確実に減退していっている。かつての戦巫女らのような魔力が戦場で発揮されることなど、望めなくなって久しい。〝
代わって竜騎が戦場の華となった。
竜騎は矢で飛空船の射手を排除し、抵抗が薄くなれば移乗してこれを制圧する。
そのために弓の技を磨いてきたのが竜騎である。
その戦い方も変わるとアニョロは言った。
魔力に依らず火を操る術はある。火薬の技である。この技に限らず物理・化学の知識を組み合わせることで──魔法には及ぶべくもないが…──より簡便に強力な破壊の力を開放することが可能となりつつあった。
ふとヴェルガウソ館にいるユリアを想った。
エリベルトの目から見ても、彼女は古風な考えをする女性であった。竜騎を養父に育った彼女には、古き良き時代の〝
昨夕届いた手紙には、ヴェルガウソ家に伝わる薬草の知識を当家の娘のアニタと共に学ぶうちに彼女の胸中に湧いたという〝聖王朝は生命や健康に掛かる魔法の術こそを優先して復古させるべきなのではないか〟との想いが綴られていた。
彼女は女だてらに
(──美しく聡明で、心根が優しい……)
いつの間にやらユリアのことに想いが移ろっていたエリベルトだったが、その肩口に腕を回して強引に引き寄せた者があった。
「おいエリベルトよ! 何やら心が
ポリナーロ・カリスタ・アルベリーニであった。
7年前のメツィオで、当時11歳のアレシオ・リーノに
この7年間を、竜騎見習いとして4年半、竜騎として2年半、共にアレシオの下で過ごすうちに、同じく近習に抜擢されていたオンツィオ・アルバーノ・リオーネ共々、すっかり気心の知れた仲となっている。プレシナ第2大隊の厳しい軍律と、それにも増すアレシオ・リーノの〝美しくありたい〟という生き方が、大貴族の子弟の倦んだ性根をも洗い流したのであった。
「そんな腑抜けた顔で、我ら近習衆の筆頭が務まるのか?」
言葉はきつめだが声音の方は揶揄する様なものである。その目が笑っていた。
ロルバッハ家のユリアと文通を重ねていることをこの男に話してしまったことは迂闊だったと、今さらながらエリベルトは思う。とは言え後悔したところで後の祭りである。それに彼の言い様は正しい。
──そう、今やエリベルトはプレシナ大公家の次期当主アレシオ・リーノの側近育成集団『近習衆』にあって、その筆頭なのだった。聖王朝軍にあってアレシオ・リーノの現在の地位は常備大隊に10個ある中隊の一つを預る身でしかないが、家中においてはプレシナ家門の次期総帥である。その側近中の側近たる自分が女性のことで呆けているなど〝如何にも美しくない〟ではないか……。
「よく言ってくれた」
エリベルトは絡みつくポリナーロの腕を払うと、生真面目に表情を引き締めて言った。
「卿にそう言われてしまえば、俺も背筋を正さねばな──」
と、ポリナーロの広い肩幅の後の方から落ち着き払った声がした。
「あまりエリベルトで遊ぶな、ポリナーロ…──」
いま一人の近習、オンツィオ・アルバーノだった。
「エリベルトはオマエなどと違い女性に対しても律儀一遍だ。心の
ポリナーロの背中越しに見えるオンツィオの血色の悪い顔はほぼほぼ無表情である。が、面白がっているのは理解できた。長い付き合いである。
ポリナーロもニヤニヤと笑っている。
エリベルトはもうそれ以上何も言えなくなり、溜息と共に口を噤んだ。
頃合いだった。
「……さて、そろそろアレシオ様〝肝入り〟の座興が始まる時間だな」
ポリナーロがそう言うと、3人は頷き合って天幕を後にした。
天幕を出ると、聖王朝軍屈指の基幹兵団〝シラクイラ軍団〟の最精鋭たる第2大隊〝プレシナ〟の竜騎180騎が居並んでいた。何度見ようと、整然と統制され居並ぶ竜騎とワイバーンの隊列は壮観である。
3人の足はアレシオ・リーノ率いる第3中隊の列へと向う。列の中にはそれぞれの従士がワイバーンを
中隊長であるアレシオの姿は列の中には無かった。替わりに近習衆筆頭のエリベルトが列の最前列に立った。そのエリベルトの顔に濃い影がかかる。ふと目線を上げれば、軍団でも最有力の大船が数隻連なって上空を通過していくところであった。
それらの大船の中で一際大きな船の上にアレシオはいる。自らが推し進める兵備・戦術改革の成果を軍団首脳部に示すため、である。
そのアレシオらを乗せた軍団旗艦〈スタルニル〉に続き、3隻の大船が
正確には老朽し飛行石を外された廃船が、2隻の大船に挟まれて綱を渡され牽かれている。今日の〝座興〟──アレシオ・リーノの取り組む新兵器〝
〝
脇船に吊られた標的がメツィオ営地の上空で旋回を終え配置に付くと、大隊長からの命のラッパが鳴った。大隊から選抜された1小隊6騎の
標的船は敵の軍船という役割を与えられ、甲板の上には兵に見立てた
可能であれば標的船の甲板に射手を配したかったところではあるが、まさか火薬で鉄が炸裂する場に人は置けない。
本来の守りの射線とは異なるが、それでも守り手の有ると無しでは勝手も次第も大分違うはずと、少しでも実戦に近付けたい意識を持つアレシオ・リーノが発案したことだった。
そのような段取りを経ていざ実験が始まるや、大隊から選抜された一騎当千の竜騎たちは次々と繰り出される矢の雨を掻い潜り標的船への接近を試みる。脇船から矢を射る者も大隊屈指の射手である。当てることは出来ずとも容易には近付けさせなかったが、ついに1騎が甲板の上に〝
導火線を伝った火が
その隙を突きさらに3騎が鉄炮の投擲に成功し、標的船の甲板は次々と上がる火柱と濛々たる煙とに包まれることとなった。
アレシオは結果に満足するように微笑み頷いた。
数刻後──。
エリベルトは、詳細な調査のために営地へと降ろされた標的船の甲板の上にアレシオ・リーノと共に在った。
甲板に括り付けていた
(コレが使われれば、大量に人が傷つき死ぬな……)
エリベルトは暗い面持ちで息を吐いた。
なぜか
「思った通り、船体への被害は然程でないな──」
そのアレシオの冷静な声にエリベルトは我に返った。
「これなら
同意を求めてそう言ってきたアレシオに、エリベルトは肯いて応えた。
「船体を破壊するものではないことは確認されました。これであれば甲板は艤装のやり直しとなりましょうが、船体そのものは制圧して接収することが可能でしょう。心配された引火の可能性も、熱はともかく、瞬間的な火勢では問題にはならないと存じます」
そこまで淀みなく答えてから、最後に付け加えてみた。
「ただ……、甲板は血の海になります。 ──〝美しい〟戦い方と言えますでしょうか?」
そうエリベルトに真っ直ぐに見据えられ、アレシオはしばし押し黙った。
無意識に紐で首から下げている小金貨のペンダントに手が伸びる。
それから感情を消した声音で静かに言った。
「戦いの最中に〝美しさ〟というものはない。戦う前のその理由と、終わらせた後の対処にのみ〝それ〟はあろう……。
──最中にあっては、ただ速やかに戦いを終えるだけだ。勿論、〝勝って〟な……」
アレシオはそう言うと後は口を噤んだ。それから思い出した様に力強い笑みを浮かべ友に頷いて見せた。
エリベルトも、ただ黙って頷いて返した。