風の子ら 2
文字数 4,121文字
山々に隠されたかつての辺境の地は、いまや残り少ない人の生きることのできる領域として重要な地となっている。
その西のカルデラと聖王朝の枢要部との間に〝島嶼諸邦〟と呼ばれる在郷の町の連なる領域がある。
島嶼とあるが勿論、海に浮く島々ではない。瘴もまた水と同じく高きより低きに流れるものであり、大海の上には瘴が流れ込みそのまま留まった。いまでは輝く海原に浮かぶ島に人の姿はない。
この西の空の島嶼とは、古の魔力によって持ち上げられた大小21の〝浮き島〟のことを言った。
これら21の浮き島の主は聖王朝の官吏や貴族ではない。
規模は最も大きなものでも人口で3000人に満たない小さな浮き島であったが、それぞれが邦として自治権を与えられた島なのであった。
とある島は領主ともども菜園を営む惣村であり、またとある島は小なりとはいえ自由な商いを仲介する交易の町であった。その町の自治は町人の合議によって営まれている。半ば私掠(≒海賊行為)を生業とする竜騎の砦もあった。彼らは表向きには他の島々の商いの警護を担っている。
このように21の島々に生きる者たちは様々であったが、それぞれの島の成り立ちに聖王朝の魔力が関与していないことで共通している。彼らの祖先は、あの〝終末の始まりの日〟から始まった災厄に際し自らの力を信じて空へと逃れ、運命を切り拓いた者たちであった。
故に彼らは聖王朝の権威にただ屈するということはない。
陽光に煌めく〝瘴〟の雲を眼下に眺め船団は空中を進んでいる。船団の舳先の向く先には島嶼諸邦を代表する浮き島ムランがあり、この分では陽がまだ高いうちに空中桟橋に飛空船を着けることができるだろう。ムランは交易の館を持つ商人の島。西域の各処から伸びた航路が交わり聖王朝の枢要部との結節点となっていて、島ではあらゆる物の商いがなされている。
船団は順風を帆に受け順調な飛行を続けた。
その船団の中、とりわけ大きな船の船首楼の上に二人の男が立っていた。二人共鎧を着込んでいる。一人はもう老境に差し掛かっているものの天を衝くような偉丈夫であり、鍛えられた肉体は衰えてはいない。いま一人も上背は人並みながらその体躯はよく引き締まっていた。身に纏う雰囲気からして、共に歴戦の者である。
偉丈夫は名をファリエロ・ロルバッハと言った。〝島嶼諸邦〟の一つロルバッハ砦の主で小邦在野の竜騎である。いま一人の武人はリスピオ・マリアニ。聖王朝の武門プレシナ配下の軍役貴族でシラクイラ第2大隊の竜騎長を務める男である。エリベルト・マリアニの父であった。
「酷い
重い口を開くようにしてリスピオは言った。
「戦? あれを戦と云われるのであればそうでしょうな。確かに酷いは酷かった」
応じた老ファリエロの口も重かった。二人はしばし口を閉ざし、互いに次の言葉を探すふうに時が流れた。やがて年少のリスピオの方が再び口を開く。
「錬石の知と技に係る盟約に触れたとて、まさかアンダイエがあのような事になろうとは……」
「云いがかりに注ぐ云いがかり。あれではアンダイエの浮き島を奪うことは既定だったとしか」
「まさか……」
リスピオは即座に否定はしたが、自身その疑いを振り払うことができず言葉を継げなくなった。
プレシナ大公の嫡子アレシオ・リーノが竜騎見習いを志願した年の翌年、大公家は一門を上げて西国の雄アンダイエの浮き島に出兵した。
アンダイエは西のカルデラの地ルージューより少し南に下った位置に浮かぶ浮き島である。飛行石の精錬に長けた工房の島であった。そのアンダイエが聖王朝との取り決め以上の飛行石の精錬を行っているとの告発があったのである。報告の中には、古王朝 (帝国期)時代の技を復活させ、島を浮かすほどの力を納めた飛行石の結晶を造り出そうとしているともあった。
聖王家は軍事力の源泉たる飛行船を浮かす飛行石に関して気を使っている。石を生み出す錬石の師には高位を与え、在野に技を持つ者に対しては硬軟織り交ぜて服従を強いた。
アンダイエの太守の長子モーリックにはプレシナ家に並ぶ家格を持つ魔導の名門アルソット大公家からトゥナテッラ姫を与え婚姻関係を結ばせている。
そのような中での告発に聖王朝は直ちに軍を動かし、対するアンダイエは一族の飛空船という飛空船を集めて浮き島の外周を固めた。聖王朝の軍船は島を取巻き、それを牽制するアンダイエの飛空船との睨み合いとなった。
そうして先ずは検使が派遣されると、次のようなことが明らかとなった。近年の錬石の技の低下により品質を保つことが難しくなったアンダイエの工房は、シラクイラへ献納する飛行石を確保するため粗悪な石が増えるのを見越したうえで増産をしていた。
それが明らかになったとき次なる問題が浮上した。
アンダイエの工房は聖王朝に隠れ、島を浮かせている〝古き石〟〈レクシェル〉を代替更新する新たな飛行石を精錬する準備を進めていると、そう密告する者が現れた。
聖王家は新たな島を浮かせられるほどの飛行石の精錬を許してはいなかった。
そのような強い力を納める古王朝(帝国期)時代の技など忘れられて久しい。全くの言いがかりであったが、錬石の師に〈レクシェル〉を診させていたのは事実であった。
アンダイエの島を浮かせてより280年を経て〈レクシェル〉の力が弱まりつつあるのは事実であった。いや、聖王家の在るシラクイラの飛行石〈ファシシュ〉ですらその力の減退は明らかで、いずれグウィディルンに浮かぶ島々は〝瘴〟の中に没することになる。それはこの世界で知恵を持つ者には公然の秘事と言えることである。ゆえに石を診させるようなことは何処でもしていた。だがそれを聖王朝に届け出ずに行ったことが拙かった。
そうこうするうち、さらに状況が悪化する。アンダイエに嫁いだトゥナテッラ姫が流行り病で亡くなったのである。これをアンダイエの一族が毒殺したと讒言するものが現れた。真偽のほどは判らない。だが病弱な姫はアンダイエの家中にあって孤独だった。
犯人は
事ここに至って聖王朝は検使を引き上げ島に軍を進駐させた。軍の威圧によってこれ以上の不穏な動きを封ずるのが狙いであった。が、これにアンダイエ側が態度を硬化させる。させざるを得なかった。アンダイエ一族は遅まきながらこれ以上の忍従に意味がないとの結論に達し、遂に開戦となった。
戦いの趨勢はその日のうちに決したのだったが、その後の処置──残党狩り──の有り様の方が戦そのものよりも余程酷かった。
島の男どもは工房で錬石の技を修めた者を除いて全て殺された。老人は男女を問わず眼下の瘴へと追い落とされた。女子供は捕らえられ奴隷市場へと送られることとなった。
これらの処遇に出自の貴賤は無かった。太守の家系も戦士の家系も自由民も農奴も、皆一様に捕らえられあるいは殺された。例外は魔導の心得のある者だけであった。
残党狩りは10日間続いた。
その戦い──それを
「わしは、これにて軍役は最後と決め申した。今回の出陣を最後に隠居させてもらおうかと」
「…………」 リスピオは視線を老武人の横顔にやった。「──しかし、それでは盟約に……」
「この年齢となるまで終に子に恵まれなかった。砦の跡を継ぐ者がない……。できれば貴殿のような男に貰うて欲しかったが……。ロルバッハの砦は〝島嶼諸邦〟が管理することとなりましょう」
島嶼諸邦の邦々は自治権を認められてはいるが、その代わりに聖王家の求める使役に応じることを課せられている。老ファリエロのような独立の竜騎は、戦となれば飛竜を駆って参戦する義務があった。それが盟約である。盟約は世襲であったが今年で齢50となるファリエロには子がなかった。
このままファリエロが隠居するとなればロルバッハの空中砦は聖王朝に〝返上〟という形になる。
老竜騎とは長い付き合いであるリスピオは元気付けるように言葉を継いだ。
「なんの。ファリエロ殿の弓の技、一向に衰えてはおりませぬ。まだまだ盟約を果たせましょう。そのうちに良きご養子を迎えれば…──」
だが老ファリエロは鼻を鳴らすとリスピオの言を遮った。
「…──実の所、疲れ申した」
わずかに気拙くなった空気に、老ファリエロは飛空船の下の瘴の煌めきに視線を遣った。「世界は着実に沈んでいっている。それがわしのような武辺の者にすらわかる。なのにシラクイラの内も外も、此度のような争い事ばかりだ」
投げ遣りな様にも感じられるその言い様に、リスピオは次なる言葉を見つけられなかった。老竜騎と違い聖王朝の軍役貴族である彼であったが、その想いは同じである。
「あのようなもの、戦とも呼べぬ。もはやわしのような者が必要な世ではない」
そう嘆息する老竜騎の気概を持つ者が、フォルーノクイラの王宮のもとにどれ程いるだろうか。
だが、それを口にすることは出来ないリスピオであった。