風鳴 5

文字数 2,566文字


 クロエは、思わず口を吐いて出てしまった自分の声に、今度こそ言葉を呑んだ。
 まさか1日目からこの様なことになろうとは……。彼女としては、もう少し素性を伏しておきたかったのだが、思いがけぬアニョロの吐露に言葉を発してしまっていた。
 アニョロが真っ直ぐに自分を見ている。
 クロエは、観念をして兜を脱いだ。
 目線をアニョロへと向ける。ブルネットが冷たい風にそよと揺れた。
 彼の表情(かお)が強張るのが判った。
「──お前……髪を…──」

 一瞬、胸を込み上げるものがあった。
 アニョロの前に立つ自分の髪は、いまは肩よりも上で刃を入れられ、昨日までの艶やかな出で立ちは見る影もない……。
 妹2人と比べ(たお)やかさに欠けることを自覚しているクロエにとって、髪だけは秘かに自慢であった。それに、今朝、自ら鋏を入れたのだ。
 カプレントの商館の中庭で、あるいは月夜のバルコニーで、アニョロが称賛してくれたあの髪は、今はまるで少年のように短髪となっている。
 そうしたのは、ジョスタンに云われたからだ。
 ──アティリオに付いて敵地(アンダイエ)に渡るというのなら、〝覚悟〟を示せ、と……。
 だから兄弟の前で自らの髪に鋏を入れたのだ。

 それなのに……その覚悟を強いたアニョロが、まるで〝そうしたこと〟を批難するように表情(かお)を曇らせ息を飲んだのを見て、クロエは反射的に声を上げていた。
「貴方には関係のないことです‼」
 それから、自分の声音を御するのに苦労しながら言う。
「──私は〝私の仕事〟をしています。警護に長い髪は邪魔でしょう……っ」
 自分で口にした〝邪魔〟という単語に、思わず涙が滲みそうになる。そんなクロエの顔を、アニョロは強張った面差しのまま見返すのだ……。
 言葉を失った態のアニョロの様がクロエにはいよいよ腹立たしく感じられた。思わず目許がキツくなるのを自覚する。
「それに……貴方に〝お前呼ばわり〟される(いわ)れはないわ!」 その自分の声の抑揚に驚きながら、「──貴方は私との婚約(はなし)を破約にした。もう貴方と私は無縁です。ルージューの女は、(えん)所縁(ゆかり)もない殿方に〝お前〟と呼ばせるようなこと(無礼)を許しません!」
 そこまで一気に言い募ってアニョロを睨む。

 一方、アニョロの方にも、そんなクロエの心情を推し測る余裕がないようだった。
「君は……馬鹿なのか?」
 反射的に声を上げようとするクロエを遮って続ける。
「君を巻き込みたくない、そう言ったはずだ。──聖王朝の権門に盾突くことほど詰まらぬことはないんだ。馬鹿な男に付き合って人生を棄てる愚を犯すつもりか?」
「私の人生です!」
 間髪も置かずに彼女の声が返ったことで、アニョロは口を噤んだ。
 クロエの、今度こそは抑制された声が言継ぐ。
「──私はアーティ(アティリオ)兄さまの警護を買って出たのです……貴方の警護をしているわけではありません。警護には長い髪は邪魔なのですっ」
 言うやクロエは踵を返すと自分たちの天幕の入口のカーテン(引き幕)を乱暴に()けて、そそくさと逃げるように中へ消えてしまった。

 アニョロは、憮然とそれを見送りつつ、溜息と共に頭を振るしかなかった。
 感情を素直に出したときの彼女(クロエ)の貌は、やはり美しい……と思う。が、それはそれとして、これを一体どうしたものかと思案を巡らせ始めたところで、自分たちの天幕から出てきたアロイジウスの目線に気付いた。
 アロイジウスの厳しい表情が云っていた。

 ──戦地に女性はダメだ……。〝守れなくなったとき〟どうする?

 と……。
 アニョロは、理解して(わかって)いると片手を挙げて返事をし、船尾へと足を向けた。


 船尾で舵を操っていたアティリオは、アニョロ・ヴェルガウソが表情を消して大股で近付いて来るのを見た。
 アニョロは舵を握るアティリオの前に立つと、その表情と同様に感情を消した声で質した。
「……図ったな?」
「はて?」 アティリオの方は韜晦して応える。「従士の人選はこちらの勝手。一々そちらに伺いを立てる必要が?」
「…………」
 アニョロはしばらく黙ってアティリオを見下ろしていたが、やがて〝致し方ない〟とばかりに肩を竦めると隣に腰を下ろし、訊いた。
「守り切る自信が?」
 今度はアティリオも慎重に応えた。
「クロエは自分の身は自分で守れる……弓を取れば、並の男よりも余程に腕が立つ──」
 それを、乾いた声でアニョロは遮った。
「──アニタもそうだった」
「…………」
 しばしの沈黙を挿んで、アティリオは白状した。
「……実はジョスタン(あに)の〝差し金〟だ」
 アティリオの目線が、クロエの居る天幕へと流れる。
「──貴殿と私、アロイジウス卿の3人だけでは、ルーベン・ミケリーノを斃して良しとしかねない。クロエが同行すれば命を〝()(がまる)〟ようなことはできまい。……生きて必ず還ってこい、と、まぁ、そう考えてのことらしい」
 そう言って苦笑するアティリオにアニョロは絶句し、それから険しい目をアティリオに向けた。
「ジョスタン・エウラリオは、そのような考えで妹をアンダイエに送り出したのか⁉」
 アティリオは苦笑を貼り付かせたままの顔で応じた。
「それだけ貴殿と私とを信頼している、ということだ。──貴殿も私も、〝生きて〟還らねばならなくなった……」
 それにアニョロは思案顔を作った。それから顔を顰めて言う。
「聞きしに勝る〝人使いの荒さ〟だな」
 言って立ち上がったアニョロの背に、アティリオは投げ掛けた。
「これで半端な策では臨めなくなったろう? ……策士殿」
 それにアニョロは事も無げに振り返る。そしてふんと鼻を鳴らして返した。
「あんたこそ〝周到の人〟の二つ名が伊達じゃないのを示さねばならないんだろう?」
 曖昧に頷いたアティリオを残し、アニョロは船尾を離れ自分たちの天幕の方に向かう。
 その背を見送りながらアティリオは、不器用な異母妹(いもうと)とそれを持て余し気味のアニョロとのやり取りを思い返していた。

〝シラクイラは全てを喰い尽くすウロボロス〟

 ……そう言ったアニョロ・ヴェルガウソの口が、〝相手の息の根を絶つ戦い〟の準備…──いや、覚悟の有無を訊いた。

〝ルージューは勝ち方の見えぬ戦などしません〟

 クロエは〝あの様に〟答えたが、現実には、アティリオもジョスタンも、未だに答を見出せてはいない……。


 アティリオは小さく呟く。
「……〝先の展望〟か。世の中、見えぬことばかりだな」
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登場人物紹介

■エリベルト・マリアニ(12 →19 ⇒22歳/♂)


竜騎見習い →聖王朝宮中竜騎(アレシオ・リーノ近習衆筆頭)




本作の主人公の1人。蒼い瞳、「麻くず」の色の髪トウヘッド。幼少時より〝物静かな〟顔立ちながら、その瞳に怜悧さを宿していたという。成人後は精悍さが強調されるのはお約束。もちろん均整のとれた長身。


生家は聖王朝の武門プレシナ大公家に代々使える宮中竜騎の家柄で、父リスピオは大公麾下の〈プレシナ大隊〉にあって筆頭の竜騎長である。


アレシオ・リーノの竜騎見習いへの志願の折での〝とある行い〟がアレシオの目に留まり、取り立てられることとなる。以後、彼の半身とも言うべき存在となった。




主人公の1人アロイジウス・ロルバッハの竜騎の師であり、そのアロイジウスの姉ユリアを妻に迎えた。


そのユリアを巡り権門マンドリーニ公の勘気を被り、第1部の後半では近習衆を解任され閑職に左遷の憂き目となっているが、アレシオ・リーノからの信頼は些かも損なわれていない模様。




<メイキングこぼれ話>


モデルは『銀河英雄伝説』のキルヒアイスですよ、それは。(笑)


物語の幕開けの視点の主人公なのに、以降、第1部ではほとんど出番がありません。(汗) 失敗ですねぃ。


でも物語全体ではアレシオ・リーノの片腕として活躍することが約束されているので〝問題無しノープロブレム〟なのですよ!

■アレシオ・リーノ・プレシナ(11 →18 ⇒21歳/♂)


竜騎見習い →プレシナ第2大隊第3中隊長 ⇒第2大隊次席指揮官(プレシナ大公家嫡子)




本作の主人公の1人で、聖王朝三公の1つ、武門のプレシナ大公家の嫡子。黒曜石の瞳、射干玉ぬばたまの髪の美丈夫──女性と見紛う美貌ながら溢れる才気、命令することになれた物言い、美しきモノへの憧憬、貴族たる気概と魂……、そして前線に兵と共に在ることを厭わぬ剛健、という真の武人。(盛り過ぎw)




自らの竜騎見習いの志願の折に出会ったエリベルト・マリアニを〝竹馬の友〟として側に置き、緩慢な衰退の中にある聖王朝にあって、火薬を始めとする科学技術を利用した軍制への改革を推し進めている。


かつては元老院派の論客ランプニャーニ宮中伯に学び武威に慎重な姿勢を見せていた。


なお、自身の傲慢を戒めるためか、幼き日に施しをした〝へロット下層民の娘〟から突き返された小金貨をペンダントとして常に身に付けている。




<メイキングこぼれ話>


当然こちらはラインハルトと思いきや、黒髪の美しい貴公子。現在なら『キングダム』の嬴政な感じでしょうか?


本作全般の主人公。やはり真価は第2部以降……ということに。


ちょっとだけネタバレな感じで言うと、〝ジブリ作品『風立ちぬ』の主人公は自分の理想的な美にしか関心のない残酷な男〟というキャラ分析を読んでインスパイアされてみました。そういう複雑なキャラを描いてみたいです。(笑)

■アロイジウス・ロルバッハ(8 →14 ⇒17歳/♂)


戦利奴隷 →竜騎見習い ⇒独立竜騎(西方軍長官府附き武官/ロルバッハ家当主)




本作の主人公の1人で最年少の少年竜騎。鳶色の目と同じ色の巻き毛の髪。頭の回転が速く弁も立つ。


元はアンダイエの工房職人の子だったが、アンダイエが聖王朝に攻め落とされたことにより姉ユリア共々戦利奴隷となった。奴隷市でロルバッハ砦の独立竜騎ファリエロに救われたことで姉と共にロルバッハの養子となり竜騎となる。




竜騎として養父とエリベルト・マリアニの薫陶を受け、優れた若武者であると共に〝知識の間〟ではアニョロ・ヴェルガウソと同窓という文武両道の者である。


その人物像の最大の特徴は〝誠実な為人ひととなり〟で、理よりも情で行動する。


アニョロとはその妹アニタと共に兄妹同然に育つ。そのアニタとは互いに憎からず思う間柄であるが……。




<メイキングこぼれ話>


いたって〝普通の〟主人公です。多くを語る必要はないという……。(笑)


モデルは安彦良和の『アリオン』の主人公アリオン。


……でも、ちょっと不幸な出来事が続いてますね。ごめんよ、アーロイ。

■アニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソ(18 ⇒21歳/♂)


竜騎見習い ⇒アンダイエ商館長代理(ヴェルガウソ子爵家当主)




本作の主人公の1人。17歳で父を流行り病で失い子爵家を相続した。ヴェルガウソ家はタルデリ宮中伯家を補佐する官吏貴族の家で、画に描いたような中級貴族の家柄。貴族社会の体面は立てるが個人にへつらうということをしない性格で、少々扱いにくい人物。


一応、竜騎見習いの資格はある(師は友人でもあるエリベルト・マリアニ……)が自他共に認める文筆の人で、聖王朝の学術機関〝知識の間〟で学ぶ学徒である。知恵者を気取っている。


アロイジウス・ロルバッハの身元引受人を父から引き継ぎ、彼とは兄弟のような仲。アニタという名の妹が1人いる。




主家の主ポンペオ・タルデリの西方長官着任に伴いルージューの地に赴任、アンダイエ商館の館長代理として聖王朝西方の情報収集を取仕切っている。そういった〝裏向き〟の活動の中でルージューの姫君クロエと出会い、見初めることとなる。


左利き。




<メイキングこぼれ話>


立ち位置的には『アルスラーン戦記』のナルサス(当然ダリューンはエリベルト)。……なのだが、キャラの造形は『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリックな感じ。気の措けない〝身内〟に見せる気さくさと、貴族社会の中での達観した立居振舞とのギャップが魅力……に描きたいものです。

■ジョスタン・エウラリオ・マルティ・ポーロ(20 ⇒23歳/♂)


ルージュー辺境伯マルティ家 次男




本作の主人公の1人。物語の序盤から西のカルデラの側に居る〝いま一人の〟貴公子。(……なのだが、アレシオ・リーノ同様、第1部では余り目立っていない。)


西のカルデラの地に6つの邦を束ねるルージュー辺境伯を世襲するマルティ家の御曹司で、多くの兄弟親族がいる。


聖王朝に先駆けて火薬主体の軍制を模索するなど天賦の〝戦の才〟を持つも、一族に関わる諸豪族の干渉に嫌気がさしており、すぐ下の異母弟アティリオと図って〝出来た弟〟と〝うつけの兄〟をそれぞれに演じ、周囲の目を欺きつつ韜晦していた。


〝果断の人〟の二つ名を持つ。




その二つ名の通りの〝動くべき時の果断さ〟と〝動くべからざるそうでない時の泰然さ〟を合わせ持ち、〝過去に縛られない柔軟さ〟と〝こうと決めたら梃子でも動かぬ頑固さ〟がある。


欠点は、大邦ルージューの御曹司として育ったためか他人の風下に立つことに慣れておらず、侮られることを嫌うこと。が、傲慢であるかと言えばそういうばかりでもない。


政略で名門ユレ家の姫オリアンヌを妻に迎えたが、夫婦仲はたいへんに睦まじい様子。


プレシナ大公家の嫡男アレシオ・リーノを高く評価し、警戒してもいる。




<メイキングこぼれ話>


アレシオ・リーノの好敵手ライバル。精悍で豪快な兄貴系。イメージは『十二国記』の延王 小松尚隆かな。


〝戦バカ〟を触れ回っていますが実は深慮の人のよう。


でも人間としては判りやすく、裏表のないナイスガイを目指します。

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