風の子ら 7
文字数 4,199文字
長い影が伸びてきてカルデラの底を暗く収めていくのと対照的に、上空は明るく空の青さが残っており、雲が輝くようである。
山にかかる西の雲が焼かれ朱く染まっているのを遠目に望んでいたジョスタン・エウラリオ・マルティ・ポーロは、陽が落ちて夕映えが収まるとようやく側らの人影の方に声を掛けた。
「──今日は格別に美しく燃えたな」
満足気にそう言ったジョスタンは、組んでいた腕を解くと腰に吊っていた革袋から一口を含み、それを側らに立つ弟へと放った。中には酒が入っている。
「兄上…──」
受け取ったアティリオ・マルティ・アブレウは、同じように一口含み、兄ジョスタンに苦笑交じりに返す。
「──
「城の中でしたい話ではないと思ったがな?」
「それはそうだが…──」
アティリオは酒の詰まった水筒を兄へと放り返した。ジョスタンは笑ってそれを受け取ると、落ち着いた声と
「それで、どうだった?」
アティリオは一息を吐いて口を開いた。
「ピエルジャコモが伝えるところによれば、メツィオ郊外の営地で
ピエルジャコモ・ガブリエーレ・コレオーニは聖王朝の版図内で手広く商いをしている交易商である。主に手掛けるのは飛行石でありワイバーンやグリフォンといった飛翔獣であるが、弓や鎧といった武具から兵の糧食までと、その手掛ける品目の幅は広い。〝死の商人〟といってもいい男であった。
そして一代にして財を築いた男であるが、誰もその素性を知りはしない。
「
ジョスタンはピエルジャコモからの情報に一定の信頼を置いているが、僅かばかりの懸念に眉根を寄せることもする。
「ピエルジャコモがシラクイラに卸した
アティリオは、兄の慎重な面差しに笑顔になった。
ジョスタンも一応は笑みを返した。が、内心では弟ほどに楽観はしていない。
ルージューの一族は聖王朝に10年も先んじて火薬の可能性に着目していたのは確かだ。ようやく
しかしながら聖王朝が火薬に目を付けたのは事実なのだ。
それに、自作は出来なくとも既にある物を買い付けることはできる……。
ジョスタン・エウラリオ・マルティ・ポーロはこの年20歳。弟のアティリオ・マルティ・アブレウは19歳。母は違うが共にルージュー辺境伯たるマルティ家に生まれた男子である。
ジョスタンはポーロ家出身の側女から生れた次男であり、三男のアティリオの母はアブレウ家出身の側女であった。
共に父伯から認知を受けているものの非嫡出子であり、本来であれば西のカルデラの六邦を束ねるマルティ家の相続権とルージュー辺境伯の称号の継承権からは遠い存在である。二人の上に嫡出子のイポリト・セレドニオ・マルティ・ムニティスがいた。
だが運命が三人の立場を変えた。流行り病がイポリトの視力を奪ってしまったのである。
これによりルージュー一族の中で主家マルティ家の相続を巡る暗闘が始まった。次男ジョスタンを推す一派と、三男アティリオを擁そうという一派との争いである。
当人らの思惑はともかく、周囲は2人を放っておきはしない。
「聖王朝に
一族の内部におけるジョスタンの評価は〝果断の人〟である。情報を吟味するに当たっては常に物事の本質を訊く。
「シラクイラ軍、第2大隊のアレシオ・リーノ…──プレシナ一門の次期総帥とのことです……」
反対にアティリオは〝周到の人〟であった。出来得る限り多くの情報の収集に努める。一族とその周辺に関わる情報を一手に彼が吟味をする仕組みを模索し、構築を始めていた。
「ほぅ……」
弟アティリオからその名を聞いてジョスタンは目を細めた。プレシナ大公家の嫡男であることで彼の名を知らぬ者は聖王朝に居ないが、ジョスタンは彼を直接見知っていた。──7年前の〝あの日〟、11歳で竜騎見習いに志願した彼をメツィオの
当時13歳だったジョスタンは、アレシオ・リーノの
(あのヘロットの娘は、その後どうしているのだろう)
そんな追憶に誘われそうになったジョスタンを、弟の冷静な声が引き戻した。
「……──火薬は
「では、数を揃えることは難しいな」
「それがそうでもないらしい」
アティリオも難しい表情になって言葉を継いだ。
「集中して投擲することを前提にピエルジャコモにかなりの量の火薬を仕入れさせているようだ」
これを聞いたジョスタンは思案顔になるとしばし黙った。
再びプレシナ大公家の嫡男の顔を脳裏に思い描く。15歳で竜騎に叙され、精鋭〝プレシナ大隊〟で序列3番の中隊の長を務めているというが…──火薬に目を付けその導入を主導しているというのであれば、その経歴は〝親の七光り〟ばかりではないだろう。生れついた家の影響力を有効に使っている。それに火器については、集中して大量投入することの効果を理解しているようだ。
アティリオも〝他人を安心させる〟楽観顔から半分ほど笑みを消して言った。
「そう遠くない時期に、火薬の精製も行われるようになるだろうな。 ──どうなされます? 兄上」
その弟の揶揄の混ざった口調に、ジョスタンはただ苦笑を返す。
「どうもしようないさ。こういうことは相手あってのことだ。こちらの思惑だけでことは運びはしない」
「…………」
アティリオは兄を見返す目線を静かに細める。その探るような目にジョスタンは面倒そうに頭を掻いた。
「だが……プレシナ大公家とピエルジャコモの周囲から目は離すなよ」
「承知した」
このように2人の兄弟は、それぞれの力量を認め合う仲であった──。
アティリオは兄の〝動くべき時の果断さ〟と〝
ジョスタンは弟の〝成果を得るの必要な段取りを作り上げる才〟と〝労を厭わず
そして2人とも〝過去に縛られない柔軟さ〟と〝こうと決めたら梃子でも動かぬ頑固さ〟を持っていた。
──そう言ったところは、よく似ている。
西のカルデラの地を治めるルージュー辺境伯マルティ家には、この2人をはじめ五指に余る若き男子がいる。
次兄ジョスタンの上に盲目となった長兄イポリトがおり、ジョスタンと母を同じくするポーロの姓を持つ弟が2人。アティリオの母とも別の側女が生んだ弟が1人。
──皆それぞれに〝光るモノ〟を持っていたが、年長のジョスタンとアティリオの器量が抜けているのは衆目一致している。
そういう息子たちに囲まれて、ルージュー辺境伯ライムンド・ガセト・マルティは、ここ西のカルデラの地に君臨していた。
その領邦は6つの邦を束ね、聖王家の居城フォルーノクイラから遠く直接支配の及ばぬ辺境ということもあって半ば独立王国のような様相を呈していた。実際、そう振舞っている。
カルデラの周囲に連なる外輪山が瘴の浸潤を防ぎ、カルデラ内部の広大な土地を残したのだ。
度々侵入を繰り返していた辺境の異邦民の土地が瘴に飲み込まれたことで、その脅威が去ったことも一因である。後には強大な軍事力が残され、やがてそれも形骸した後には広い辺境領を治める権限だけが残った。
湧き出した瘴が大地を侵し始めた当初、混乱した聖王朝はこれら辺境伯領をそのままにした。〝いずれ瘴に沈む土地〟だと打ち棄てたのである。
事実、多くの辺境伯領が瘴に沈んでいったのだが、ルージュー辺境伯領──西のカルデラの地──はその立地に援けられて現在まで命脈を保っている。
瘴に沈む
土地は肥沃であり、飛行石をはじめ多くの鉱物資源が残されている。自然は〝浮き島〟の地表などとは比べようもなく豊かで、カルデラの森林や湖沼には多くの獣や鳥が生息している。故に一般の民にも肉を食す文化が残り、また乳や乳製品を産する畜産も盛んであった。
その豊かさを享受しながら穏やかに暮らす民が居り、その平穏を守るためにルージューの一族が武威を拡大している。
聖王朝はルージューの地の豊かさに目を付けた。
ルージューの一族はそれに気付いている。
この年、アレシオ・リーノは18歳。
プレシナ大公家の嫡子としてシラクイラ軍で頭角を現しつつある。
竜騎エリベルト・マリアニは19歳。
アレシオ・リーノの近習として、彼の側近の地位を固めつつある。
アニョロ・ヴェルガウソは18歳。
いまだ官職になく、神殿付きの〝知識の間〟に詰める学究の徒でしかない。
辺境伯領のジョスタン・エウラリオ・マルティ・ポーロは20歳。
弟アティリオらと共に父伯ライムンド・ガセトを補佐し、聖王朝の動きに備えている。
そして竜騎見習いのアロイジウスは14歳。
シラクイラの地で文武に励む日々を送っている。