凪 1
文字数 4,596文字
ルージューの高原は一面が燃えるような紅葉に染まっていた。こうして空を行く飛空艇から見遣れば眼下に広がる
アニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソは、そんなカルデラの地の景色を、ルージュー一族の2人の御曹司──〝果断の人〟ジョスタン・エウラリオと〝周到の人〟アティリオと共に見ていた。
カプレントのアンダイエ商館に2人が、ここ〝西のカルデラの地〟でよく見る型──大きな
ルージューの地にある種の緊張が奔っていたこの時期に、供廻りの者すら連れず2人だけで〝
そんなアニョロを、ジョスタンは飛空艇の上から同道するよう誘った……いや、そうすることを求めた。
このとき、共に船上に上がろうとしたクロエは乗船を承知してはもらえなかった。怪訝な
それでアニョロは、未来の妻をそっと引き寄せてそのまぶたに軽くキスをし安心させてやると、一人で船上に上がったのだった。
その前後で、クロエがジョスタンのことを〝意識したのかしなかったか〟は、アニョロは知る気もなかった。ただ船上から、まだ少し不安げな面差しのクロエに微笑んでやっただけである。
そうしていま3人は、カルデラ内側の秋の空の中を飛んでいた。
確かに秋のカルデラの鳥瞰は美しい景色であったが、そればかりに意識がいっていたアニョロではない。ここカルデラの地ではよく見掛ける気嚢を背負った型の飛空艇についても、シラクイラ辺りではほとんど見ることがないだけに興味をそそられていた。
そんなアニョロの横顔に、アティリオが静かに質した。
「──…〝なぜこのような効率の悪い
それが内心で思った通りの指摘だったので、アニョロは思い切ってアティリオを向き、頭上の気嚢を指差して訊いてみた。
「この気嚢の中に空気よりも軽い水素を詰めて浮力を稼いでいるのでしょう? しかしここカルデラは飛行石の産地だ。そんな〝ケチくさい〟ことをせずとも良質の飛行石を使えば、このように空気抵抗で船脚に不利な艇を造る必要はないでしょう?」
「…………」
面と向かって〝ケチくさい〟と言われたアティリオは、苦笑混じりの顔を
仕方なしにアティリオは、お道化けるふうに肩を竦めて言った。
「ま、これもまた我ら西方の
「風情…──」
そう言われたところで、そんな理由では納得しかねる、といった態のアニョロが〝好奇心の延長〟から再び口を開こうとしたとき、ジョスタン・エウラリオが横から割って入ってきた。
「──良質の飛行石などないからだ」
アニョロは、そのすげない物言いにあからさまな棘を感じ、ジョスタンを向いて目で質した。ジョスタンは憮然とした顔で応じた。
「確かにルージューの地は飛行石の産地だ。が、高い錬石の技術はここにはない。
そう言って後は〝木で鼻をくくった〟ように黙ってしまったジョスタンを、アティリオがやれやれと引き継ぐ。
「──技術がなければ品質を高めるのに時間が掛かる。
出来上がった
西方向けの生産は能力が制限された中でやり繰りしているのだから時間は更に掛かるわけで……結果、西方では〝並〟以上の飛行石の供給は、常に追い付かない」
その説明をアニョロは黙って聞いていた。
〝
カルデラの地の精錬の技術は年を追って充実してきており、2人が言う程カルデラの地の技術が劣ったものということもなかった。
それでも実際に飛行石が足りていないのも事実であろうが、むしろそれはルージューの急激な軍備の増強に需給の
そういう事情をアニョロは理解していたが、彼らからしてみればこの〝軍備の増強を強いている〟のは
だからアニョロは、ルージューの置かれた現状をこう評した。
「なるほど……それで不良となる飛行石の力を〝化学の力〟で補っている、と」
ふん、と鼻を鳴らすジョスタンの脇でアティリオが応えた。
「
その言葉にアニョロは言葉を失った。水素で浮かす船を軍船に使う、というのには驚きである。
その表情の変化を〝
「火気のことを気にしているか? 確かに水素は良く燃える。とても前線で戦列など組ませられないが、カルデラの内側で輜重の運搬に使うのなら問題はない」
確かに……と、アニョロは思う。
──後方の船腹を〝水素の気嚢で補助した船〟で
やはりルージューの〝果断の人〟は無能ではないらしい。
アニョロがそんなふうに評価を新たにしたジョスタンとアティリオの2人のマルティであるが、このときには未だ〝水素を用いた工夫の全て〟を、
「さて……ルージューの〝進取の気風〟が解ったところで」
話が一段落したところでアニョロから話題を転じた。
「いったい何の話です? 義兄どのが2人揃って」
会話の主導権を失いたくなかった。
対してジョスタンとアティリオは目線を交わす。数拍の後、結局ジョスタンが口を開いた。
「クロエのことだ」
「…………」
アニョロは妻となる女性のかつての〝想い人〟と正面から向かい合う羽目となった。
「聖王朝と戦となった場合、ヴェルガウソ家はどうする?」
一拍を置いてアニョロは答えた。
「我が家はタルデリ宮中伯に従属する家柄。愚かな主家であろうとそれに殉じることが望まれる」
「体面か?」
鼻で笑ったジョスタンにアニョロもまた、ふ、とつまらないことのように嗤い、肯いて返す。それにジョスタンが表情を消して質した。
「お前の体面などどうでもよいが、クロエはどうなるのだ?」
「我が妻であれば私に従うのが道理」
アニョロは、どう見ても好意的でない〝この義兄となる人物〟に、そう面倒そうに言い放ってみせた。
「…………」
言い切られたジョスタンの片眉が撥ね上がった。
なるほど、アニョロも同じ年頃で同じように妹を持つ身である。その関係性は少々異なるが、この男が妹を想う心情は理解した。
それでその表情の変化に満足することにして、アニョロは言継いだ。
「……故に、いよいよ開戦が避けられぬとなればマルティに送り返そうと決めている」
ジョスタンの方は言ったアニョロの顔をあらためて見返したが、やがて溜息混じりに首を振てみせた。
「お前はクロエのことがまだわかっていないようだ……」
それにアニョロが反応し掛けて口を開くその前に、ジョスタンは凛とした声で続けた。
「そんなことを言い出せば、あの妹のこと……マルティから持たせた護り刀で自分を突いてから聖王朝の側で戦えと、そう迫るだろう」
「…………」
アニョロは言葉を飲み込んだ。
ジョスタンの指摘は〝確かにそうかも知れない〟と彼を納得させてしまったのだ。
言葉の無いアニョロに、ジョスタンはなおも言継ぐ。
「
それはそのままクロエが言いそうな台詞だった。
アニョロは視線を外すと遠くの山々の方を見やって、それから数拍を置いてから言った。
「──…彼女は、そのように〝どちらの側〟と簡単に言えるだろうか。あの
ジョスタンの表情も困ったように改まった。それを頭を一つ振って払い除け言う。
「クロエのことはともかく……ヴェルガウソの家は、それでよい」
ようやく〝本題〟に入ったようだった。
「……?」
静かに目線を向けて先を促すアニョロに、まるで上役であるかのような口調でジョスタンは言った。
「当面、我らルージューは戦となっても和議の道を探る。お前はその際の〝
「…………」
そう言われたところでマルティ兄弟の思惑が解らぬアニョロは、怪訝なままの表情になって2人を見返した。
ジョスタンは顔を向けては来ずに、腕組みをして言った。
「──アンダイエの商館長代理として、我らとの関係はこれまで通りに願う。〝
そして開戦となれば商館に引き籠り門を閉じてしまえ。我らは商館を〝敵の砦〟として囲むことはするが踏み込みはせぬ」
意固地なふうに、ジョスタンは言い終えるや黙ってしまった。後はアニョロの視線を無視するようにアティリオの方を向いて頷いた。
後はアティリオが引き取った。
「カプレントに取り残された態で貴方には戦の顛末を見届けて頂く。そして、その上で和議の使者に立ってもらいたいのです」
これにはアニョロも怪訝となった。この時点では戦の気配は有れど開戦すらしていない。弓矢を交えた訳でもないのに、もう和議の算段とは……。
「やはりルージューは、聖王朝には勝てぬと……?」
怪訝な思いのままに、ふと訊いていた。
「まさか……」
そのアニョロを、むしろ不思議なものでも見るようにアティリオは見返してきた。ジョスタンは溜息を吐いている。
「降りかかる火の粉を払ったとしても、こちらが〝手打ち〟の算段をしてやらねばシラクイラの貴族は納得をしないでしょう? ……ですから、貴方にはそれをやってもらう…──」
〝
「──と、
破顔すると、そう締め括った。
それは、ルージューの勝利を全く疑っていない、そういう物言いであった。