炸風 5
文字数 4,580文字
上空から矢を射掛けることで中庭を制圧したボネッティは、飛空艇を降下させるよう命じた。が、ある程度の高度を残し着底はさせなかった。中庭の西方軍の兵に対する優位を維持するためである。
そうして睨みを利かせつつ、艇からロープを下ろさせた。
ルーベン・ミケリーノは下ろされたロープと周囲の状況を確認する。飛空艇の床板までまだ1パーチ(約3メートル)ほどの高度差があり、それを腕の力だけで上るのは鍛えられた者でなければ無理である。
ルーベンは
そしてその背から
「よくも私を
溢れ拡がる鮮血に衣を濡らし痙攣するドメニコーニの耳元に、背後から抑揚のない声でルーベン・ミケリーノが言い放つ。
「報いはおまえの命だ。……怨み言の類いあれば、
手にしたグラディウスを引き抜き、頽れるドメニコーニを打ち捨てると、ルーベン・ミケリーノは素早くロープを手に取った。
ルーベン・ミケリーノが甲板に上がると、ボネッティは艇の操舵の士官に合図する。まだロープに手を伸ばしていない中庭の多くの兵を残し、飛空艇は上昇に転じた。
ルーベン・ミケリーノと共に艇の上にのぼれた者は、グエルリーノ・トリヤーニら数人で、上昇に転じた艇の挙動に、掴んでいたロープから振り落とされる者もいた。
「御三男殿、ご無事で!」
艇の上に上がったルーベン・ミケリーノは、面前で片膝を突いたボネッティに短く応じた。
「よく
「は……」 ボネッティは大仰に上体を動かしつつ応える。「
「──〈ミアガルマ〉は?」
皆まで聞くということをせずルーベン・ミケリーノは状況を確認する。ボネッティは答えた。
「すでに
「よし」 ルーベン・ミケリーノは頷くと命じた。「〈ミアガルマ〉に向かう」
アニョロは、頭上で旋回を終え離脱して行こうという飛空艇を、苦い表情で見上げている。
最後の
だがここでルーベン・ミケリーノの命を諦める、という選択は彼にも、彼に組した者らにもない。幾つかの〝次なる策〟を頭に思い描き始める…──。
──と、下ろした視界の中で影が躍った。
再び目線を上げ
1頭の
低空から高度を取ろうと
速度と高度を上げたワイバーンの首の先は、ルーベン・ミケリーノの乗る飛空艇だった。
「アロイジウスですね……」
側のクロエがワイバーンの背の人影を遠く見て言った。その〝確信している声音〟に、目も良いのだな、とアニョロは改めて感心する。
「どうしますか?」 クロエはアニョロを向いて訊ねた。「私たちは?」
「ワイバーンには乗れたな?」
短く訊き返したアニョロに、クロエは〝当然〟とばかりに頷いて返す。それを確認したアニョロは中庭の中にテオドージオ・ダオーリオの姿を捜し出すと、〝後事を託す〟という顔で頷いてみせた。
ダオーリオが応じると、
「──では行こう」
と、アニョロはクロエに先立って歩き出した。「……竜舎はこっちだ」
同じ頃──。
やはり〝名を持たぬ女〟からの幻影で長官府での不首尾のことを知ったアティリオが、コレオーニ商館から飛空艇を出させていた。
「あとは任せた」
ベタニア・パルラモン以下、見送りに出た商館の上席者らが肯いて応える。
「──やってくれ」
艇の上のアティリオはベタニアから艇の長に視線を移すと、ルーベン・ミケリーノの座乗船〈ミアガルマ〉が在る東港へと艇を向けるよう命じた。
飛空艇の上では、ルーベン・ミケリーノが
咽喉の渇きを潤し、
「実戦は初めてか?」
答が返るまでには一拍ほど掛かった。
「はい……」
ルーベン・ミケリーノはワインの杯を返しつつ、重ねて問うた。
「怖いか?」
「…………」 さらに間を置いてから、竜騎見習いの少年は応えた。「いえ」
少年を見下ろすルーベン・ミケリーノの口許が、ふん、と嗤ったようだった。
どう応えるべきか迷うふうの少年に、ルーベン・ミケリーノは言った。
「私の傍に居ろ」
少年は緊張の面差しのままルーベン・ミケリーノを見上げると、頷いて応えた。
「はい」
その頃アンダイエの市中では、マンドリーニの私兵軍と西方軍とが、
この〝動き〟を、当初、西方軍は牽制していない。2隻の繋がれた桟橋のある区域と市街中央との間に阻止線を引き、
そうして2隻の帰還兵らが接収を拒むと、東港の
やがてロターリオは、頃合いを見計らうと飛空船から打って出、接収に赴いた兵を押し返してしまった。そしてそのまま私兵軍を追う態で、手下の兵と〝武器を手にした船乗り〟共を市中に兵を雪崩れ込ませたのだ。
彼らの手のうちの武器は兵営から持ち出されている。
そして、最初に騒ぎを起こした船乗りの中にジェンナーロ・バンデーラの姿があったことを知る者は、公にはいない。
市中で聖王朝の兵同士が弓を合わせる上空で、アロイジウスは目指す飛空艇──先ほど中庭からルーベン・ミケリーノを〝吊り上げた〟
艇の中央に立つルーベン・ミケリーノを確認する。
アロイジウスはワイバーンの高度をそのままに維持させながら、8の字を描く様に艇の正面に回り込ませ、そのまま突っ込ませた。
艇の上は、単騎とはいえワイバーンの襲撃に騒然となった。弓兵が正面に長弓を引きアロイジウスを迎え撃とうと試みるが、真正面から突っ込んでくる的はいかにも小さく、また細い艇の奥行の方向から迫って来るということが、折り重なった味方が互いを邪魔して狙いを付けることを難しくしていた。
ルーベン・ミケリーノが舌打ちする。思い切りの良さと巧みな
──‼
ワイバーンの背の者の顔は、
その目が真っ直ぐに自分を射ている。
ルーベン・ミケリーノは、知らず嗤っていた。
なるほど……。
だが、大人しく討たれてやることはないがね…──。
アロイジウスは、飛空艇からの矢を意に介さずに敵の懐に飛び込む。
そして〝神懸った〟技で乗騎を──ほぼ垂直に──急上昇させ、速度を高度に替えて減殺した。ルーベン・ミケリーノの頭上で、ワイバーンが降下に転じるわずかな時間、動きを止める。
そのときにはもう、アロイジウスは大きく弓を引き絞っていた。
「ルゥゥベンッ……‼」
抑えていたい感情が口から溢れ出た。「……ミィケリィイノォォッ…──」
アロイジウスは、視線の先で確かにルーベン・ミケリーノの嗤ったのを見た。
視界の中で、薄く嗤ったルーベン・ミケリーノは、次の瞬間、傍らの少年──竜騎見習いの出で立ちはしていた…──の肩に手を伸ばした。
──…っ⁉
そして細い身体をアロイジウスの矢の射線へと突き出すと、その影に隠れた。そう……盾に使ったのだ。
一方、アロイジウスが矢を放つ
竜騎の目には、怒りと、軽蔑……いや、侮蔑か…──が、逡巡と混ざって浮かんでいるようだ……。
──青いな、アロイジウス・ロルバッハ。構わんよ……せいぜい〝見下げて〟くれるがいい……。
ルーベン・ミケリーノは、掴んだ少年の肩と背を衝いて飛ばした。少年の身体が船縁を越えた。
──くっ……!
アロイジウスは半瞬の中で〝躊躇った〟後、弓と矢を放ってワイバーンを降下させていた。
艇の上の射手が放つ矢が次々と打ち上がってくる。
そんな中を、アロイジウスは乗騎を真っ直ぐに降下させた。
そうしながら、アロイジウスは〝我ながら甘い〟と思っている。
例え何であろうとも、〝
実際、ルーベン・ミケリーノの目を見、少年をどうするつもりなのか判ったときには、構わず矢を放つべく狙いを定めた。──少年の身体がミケリーノを離れる隙を、逃さず射るつもりだった。
だが実際に少年が盾にされ艇の上から突き落とされたとき、ルーベン・ミケリーノの目論見の通りに、アロイジウスは番えた矢を外し弓も放ってしまっていた。
──アニタの〝声〟を聴いた気がした。
その〝声〟は悲鳴にも似てアロイジウスの心に響き、その声に
もしその声に従わなければ、彼方の世界でも、二度と彼女に会うことができなくなるように思えたから……。それは、彼には耐えられないことだった。
今度は後方から降り注ぐ矢を意識から消し去り、アロイジウスは乗騎の降下速度を上げさせる。
浮き島の〝地表〟──アンダイエの街路の石畳──の上に激突する前に、気を失い落下する少年の身体にワイバーンを寄せることができた。
アロイジウスは腕を伸ばし、その細い身体を引き寄せる。少々無理な体勢となったが少年を鞍の上に置き、ワイバーンを急降下から緩降下、それから上昇へと操る。
ワイバーンの飛行姿勢がどうにか安定したとき、左の二の腕に〝熱い衝撃〟を感じた。
流れてゆく視界の隅を確認すると、矢が刺さっている。
その光景を見た4組の目がある。
3組は、少し遅れて到着したアニョロとクロエ、そしてアティリオ・マルティのそれである。
そのうちの男2人は、アロイジウスのこの行動を、やはり〝甘い〟と思う。だが、なればこそ〝アロイジウスらしい〟とも思っている。
それでいい。
2人は同じように思っていた。
あのような
いよいよ〝幕引き〟のときが来たことを、2人はそれぞれに感じている。