第24話 円融上皇の独り言
文字数 423文字
余は、今生帝一条帝の父である。一条帝は、いまだ幼く、余が様々な助言を与えるのは、当然だ。それなのに、兼家は、それは摂政の役目だという。臣下に過ぎない兼家より、上皇である余の発言のほうが強いのが当然だ。
先日も、蔵人頭である藤原実資に命じて、政り事を行ったのに、兼家もすぐに別の事案を実資に命じている。実資は、学識が高く、有職故実に優れ、実直で、曲がったことは行わない。そろそろこのものの官位を上げてやりたいが、兼家の都合が悪くなるので反対してくる。まったく嫌な状態だ。
永祚元年(989年)、実資に命じて、式部の丞と院分国についての命令文を、兼家のもとに送るようにした。彼らは、立派な働きをするはずだ。一条帝のため、余はよい人事を行う考えである。
三月になり、兼家が、孫の一条帝と娘の皇后詮子を連れて春日大社に参詣した。一条帝の健康が思わしくなく、余があれだけ反対したにも関わらず。天皇や皇后より、兼家のほうが上であるようなふるまいではないか。
先日も、蔵人頭である藤原実資に命じて、政り事を行ったのに、兼家もすぐに別の事案を実資に命じている。実資は、学識が高く、有職故実に優れ、実直で、曲がったことは行わない。そろそろこのものの官位を上げてやりたいが、兼家の都合が悪くなるので反対してくる。まったく嫌な状態だ。
永祚元年(989年)、実資に命じて、式部の丞と院分国についての命令文を、兼家のもとに送るようにした。彼らは、立派な働きをするはずだ。一条帝のため、余はよい人事を行う考えである。
三月になり、兼家が、孫の一条帝と娘の皇后詮子を連れて春日大社に参詣した。一条帝の健康が思わしくなく、余があれだけ反対したにも関わらず。天皇や皇后より、兼家のほうが上であるようなふるまいではないか。