第37話 彰子入内
文字数 1,224文字
「彰子様、入内の日が決まりました。」
4歳下の弟、太郎君(後の頼通、このとき8歳)とまり遊び(太郎君は蹴鞠けまりを、わたしはまり投げをして、仲よく遊んでいた。普通、姫君は弟とまり遊びはしないらしいけど。)をしていたら、出雲に呼び戻され、お部屋で話を聞いた。
「入内って、何だったかしら。」
「彰子様は、一条帝のお嫁さんになるのですよ。」
「あれ?一条帝のお嫁さんは、いとこの定子お姉さまじゃないの?」
「この時代の貴族や天皇は、たくさんのお嫁さんを持っていたのですよ。」
「なんで?どうして?」
出雲は、困った顔をしている。出雲でも、知らないことがあるみたい。
「光の君も、たくさんの奥様がいらっしゃったでしょう?」
「うん。そういえば。」
・・・今までの姫君は、高校生だったから、話が早かったが、小学生は、難しい・・・入内されて大丈夫だろうか・・・そういえば、時姫様は、兼家様が道綱の母君と結婚なさった時、うそつき!!と怒っていらっしゃったような・・・
出雲の心配をよそに、長保元年(999年)2月9日、裳着を終えた年の11月1日、一条天皇の後宮に入内し、7日に女御宣下をうけた。このとき私はまだわずか12歳であった。
その日は、あまりにあわただしく、何をどうしたのか、よく思い出すことができない。儀式は、父道長の権勢のまま、にぎにぎしく行われ、一条帝からも、一条帝の母君で国母であり父の姉でもある一条帝の母君東三条院様からも、定子様からも、祝いの品が次々と届けられ、美しい絹を何重にも着せられ、とにかく大変な一日だった。そのうえ、定子様のおなかから、一条帝の一の皇子様までお生まれになり、そちらにも祝いの品を贈り、寿ぎの言葉が飛び交い、何がどうしたのか…。十二歳の頭では、理解しきれなかった。
まさか、この時お生まれになった皇子様が、わたくしのお子になられるなど、思ってもいなかった。
翌長保2年(1000年)2月25日に、わたくしは中宮になった。このとき、天皇の配偶者(妻)・母・祖母に与えられた「皇后・皇太后・太皇太后」の三后はすでに埋まっていたので、本来なら私が中宮になるのはおかしい。父道長は、強引に、定子様は皇后なので、わたくし彰子を中宮にする、というわけのわからない理屈を述べたらしい。それが通ってしまったのも、皇后定子様、皇太后遵子様、太皇太后詮子様の三人が三人とも出家して仏道に帰依し、神事にかかわれなくなっていたことが大きい。神を祭る者こそ天皇であるのだから。
私は、中宮としてのお役目を務めることとなる。これは、大切なお役目であるから、12歳の私が必死で式のいつ、何を言うかをおぼえ、実行するのにずいぶん緊張したものだ。
一条帝はお優しく、まだ子どもで対等なお話などできないわたくしのところにも訪れてくださり、何くれと気を使ってくださった。定子様にも、お文をいただいたり、季節の花や珍しい菓子などを贈っていただいたりとよくしてくださった。
4歳下の弟、太郎君(後の頼通、このとき8歳)とまり遊び(太郎君は蹴鞠けまりを、わたしはまり投げをして、仲よく遊んでいた。普通、姫君は弟とまり遊びはしないらしいけど。)をしていたら、出雲に呼び戻され、お部屋で話を聞いた。
「入内って、何だったかしら。」
「彰子様は、一条帝のお嫁さんになるのですよ。」
「あれ?一条帝のお嫁さんは、いとこの定子お姉さまじゃないの?」
「この時代の貴族や天皇は、たくさんのお嫁さんを持っていたのですよ。」
「なんで?どうして?」
出雲は、困った顔をしている。出雲でも、知らないことがあるみたい。
「光の君も、たくさんの奥様がいらっしゃったでしょう?」
「うん。そういえば。」
・・・今までの姫君は、高校生だったから、話が早かったが、小学生は、難しい・・・入内されて大丈夫だろうか・・・そういえば、時姫様は、兼家様が道綱の母君と結婚なさった時、うそつき!!と怒っていらっしゃったような・・・
出雲の心配をよそに、長保元年(999年)2月9日、裳着を終えた年の11月1日、一条天皇の後宮に入内し、7日に女御宣下をうけた。このとき私はまだわずか12歳であった。
その日は、あまりにあわただしく、何をどうしたのか、よく思い出すことができない。儀式は、父道長の権勢のまま、にぎにぎしく行われ、一条帝からも、一条帝の母君で国母であり父の姉でもある一条帝の母君東三条院様からも、定子様からも、祝いの品が次々と届けられ、美しい絹を何重にも着せられ、とにかく大変な一日だった。そのうえ、定子様のおなかから、一条帝の一の皇子様までお生まれになり、そちらにも祝いの品を贈り、寿ぎの言葉が飛び交い、何がどうしたのか…。十二歳の頭では、理解しきれなかった。
まさか、この時お生まれになった皇子様が、わたくしのお子になられるなど、思ってもいなかった。
翌長保2年(1000年)2月25日に、わたくしは中宮になった。このとき、天皇の配偶者(妻)・母・祖母に与えられた「皇后・皇太后・太皇太后」の三后はすでに埋まっていたので、本来なら私が中宮になるのはおかしい。父道長は、強引に、定子様は皇后なので、わたくし彰子を中宮にする、というわけのわからない理屈を述べたらしい。それが通ってしまったのも、皇后定子様、皇太后遵子様、太皇太后詮子様の三人が三人とも出家して仏道に帰依し、神事にかかわれなくなっていたことが大きい。神を祭る者こそ天皇であるのだから。
私は、中宮としてのお役目を務めることとなる。これは、大切なお役目であるから、12歳の私が必死で式のいつ、何を言うかをおぼえ、実行するのにずいぶん緊張したものだ。
一条帝はお優しく、まだ子どもで対等なお話などできないわたくしのところにも訪れてくださり、何くれと気を使ってくださった。定子様にも、お文をいただいたり、季節の花や珍しい菓子などを贈っていただいたりとよくしてくださった。