第6話 源高明殿のこと(安和の変)
文字数 1,483文字
安和二年、大変なことが起こった。
何がどうなったのか、よくわからないが、都はこのうわさで持ち切りだ。
私が聞き及んだところによると、源満仲という者が中務(なかつかさ)少輔(しょうすけ)橘(たちばな)のなにがしという者と左兵衛(さひょうえ)大尉(たいい)源のなにがしという者が謀反(むほん)を企んでいるということを密告したそうだ。こともあろうに、東宮であられる安子様の三の宮様を廃しようというたくらみだったのだと。
安子様には、いずれも優れた御子様があまたいらっしゃる。
一宮が、先年お亡くなりになった村上帝のお子様で、今の帝(冷泉天皇)。
女御は、私の一の姫である。
二宮が、為平親王様。妃は高明殿の娘。お子もいらっしゃる。
三宮が、守平親王様。今の東宮の宮。まだ幼い。
姫宮もたくさんいらっしゃる。
帝にはお子がまだいらっしゃらないので、弟宮が東宮に立たれた。
このできごとに、高明殿がかかわっていらっしゃるとは思えないが、東宮が為平親王様にかわれば、一番有利になられるのは高明殿で。
左大臣まで上り詰めていらっしゃった高明殿は、出家して難を逃れようとなさったが、大宰府(だざいふ)の職を命じられ無理やり大宰府へと旅だって行かれた。
高明殿の、あまりの悲運に涙を流さない者はない。
ああ お気の毒なこと、と嘆く者もあれば、まあ これで藤原の天下は安泰ですね、とけしからぬことを申す者もあり。兼家様は高明殿と親しくしておられましたが、大丈夫ですか、と心配する者もあり。
私も、お気の毒やら、心配やらで気の休まることがない。
それからしばらくたって、高明殿の北の方愛宮 様より文が届く。この方は、兼家様の異腹 の妹君である。この度の件で尼になられた。
なぜか、お礼のお手紙である。長歌 を贈っていただき、どれだけ心がなぐさめられたか、涙なしに読むことができなかったということが切々と書かれ、歌が添えてある。
何のことだろうか…???
お文をいただいて返事 をしないわけにはいかないので、覚えがないことをしたためてお返しの歌を送る。もちろん自筆である。私の文字も、ずいぶん上達したのだ。
その返事を読まれ、送り先が間違っていたと使いの者が叱られていたという話が伝わってきた。
ということは、このごろ初冠 をすませ名を道綱殿と改められたお子の母君、受領 の二の君が長歌を送られたのであろう。
まったく迷惑な話だと思いながら、どのような歌であったのか、つてをたどって聞いてみた。
長歌
あはれいまは かくいふかひも なけれども おもひしことは
はるのすえ はななむちると さわぎしを あはれあはれと ききしまに
にしのみやまの うぐひすは かぎりのこえを ふりたてて
きみがむかしの あたごやま さしていりぬと ききしかど
ひとごとしげく ありしかば……
(いまさら言っても仕方のないことですが、高明殿が現世を捨て仏道に入られてしまったと聞いておいたわしい、お気の毒にと思っておりましたのに、とうとう大宰府に旅立ってしまわれ…… あと 七五 × 約五十句 つづきますが略します)
反歌(はんか)(長歌の後に添える五七五七七の歌)
やどみれば よもぎのかども さしながら あるべきものと おもひけむやぞ
(あの美しかったお屋敷が、すっかり荒れ果て、今ではよもぎが生え御門(ごもん)も閉ざされたままです。こんなことになろうとは、誰も思ってみないことでした。)
「さしながらある」が、「すっかりそのまま荒れてしまう」と「鍵がさされているままでそこにある」の掛詞になっている。
さすが、道綱殿の母君だ。
何がどうなったのか、よくわからないが、都はこのうわさで持ち切りだ。
私が聞き及んだところによると、源満仲という者が中務(なかつかさ)少輔(しょうすけ)橘(たちばな)のなにがしという者と左兵衛(さひょうえ)大尉(たいい)源のなにがしという者が謀反(むほん)を企んでいるということを密告したそうだ。こともあろうに、東宮であられる安子様の三の宮様を廃しようというたくらみだったのだと。
安子様には、いずれも優れた御子様があまたいらっしゃる。
一宮が、先年お亡くなりになった村上帝のお子様で、今の帝(冷泉天皇)。
女御は、私の一の姫である。
二宮が、為平親王様。妃は高明殿の娘。お子もいらっしゃる。
三宮が、守平親王様。今の東宮の宮。まだ幼い。
姫宮もたくさんいらっしゃる。
帝にはお子がまだいらっしゃらないので、弟宮が東宮に立たれた。
このできごとに、高明殿がかかわっていらっしゃるとは思えないが、東宮が為平親王様にかわれば、一番有利になられるのは高明殿で。
左大臣まで上り詰めていらっしゃった高明殿は、出家して難を逃れようとなさったが、大宰府(だざいふ)の職を命じられ無理やり大宰府へと旅だって行かれた。
高明殿の、あまりの悲運に涙を流さない者はない。
ああ お気の毒なこと、と嘆く者もあれば、まあ これで藤原の天下は安泰ですね、とけしからぬことを申す者もあり。兼家様は高明殿と親しくしておられましたが、大丈夫ですか、と心配する者もあり。
私も、お気の毒やら、心配やらで気の休まることがない。
それからしばらくたって、高明殿の北の方
なぜか、お礼のお手紙である。
何のことだろうか…???
お文をいただいて
その返事を読まれ、送り先が間違っていたと使いの者が叱られていたという話が伝わってきた。
ということは、このごろ
まったく迷惑な話だと思いながら、どのような歌であったのか、つてをたどって聞いてみた。
長歌
あはれいまは かくいふかひも なけれども おもひしことは
はるのすえ はななむちると さわぎしを あはれあはれと ききしまに
にしのみやまの うぐひすは かぎりのこえを ふりたてて
きみがむかしの あたごやま さしていりぬと ききしかど
ひとごとしげく ありしかば……
(いまさら言っても仕方のないことですが、高明殿が現世を捨て仏道に入られてしまったと聞いておいたわしい、お気の毒にと思っておりましたのに、とうとう大宰府に旅立ってしまわれ…… あと 七五 × 約五十句 つづきますが略します)
反歌(はんか)(長歌の後に添える五七五七七の歌)
やどみれば よもぎのかども さしながら あるべきものと おもひけむやぞ
(あの美しかったお屋敷が、すっかり荒れ果て、今ではよもぎが生え御門(ごもん)も閉ざされたままです。こんなことになろうとは、誰も思ってみないことでした。)
「さしながらある」が、「すっかりそのまま荒れてしまう」と「鍵がさされているままでそこにある」の掛詞になっている。
さすが、道綱殿の母君だ。