第7話 兼通殿、関白に
文字数 1,214文字
この年の8月、長兄伊周殿が病に倒れられた。摂政になられてから、それほど時はたっていない。かなりの重病らしい。ところが、兼家様と次兄兼通さまの心配は、兄上の病ではなく、どちらが後を継ぐかであった。
現在の位は、兼家様のほうが上。これで、かなり兼通殿との仲が悪くなっている。伊周殿からしてみると、源高明殿と仲が良く、円融帝に娘を入内させていた兼通殿は煙たい存在であったようで、何かと兼家様をかわいがっていらっしゃったせいだと思う。そんなこんなで出仕を怠っていらっしゃったせいで円融帝の覚えも、兼家様。伊周殿の重用ぶりも、兼家様。しかし兄弟の順でいえば、兼通殿。円融帝の御前で兄弟げんかを始めてしまったという話まで聞こえてくる。
兼道殿と兼家様と、どちらが後を継ぐのか。
はらはらしながらも、私のできることなどなくただただ知らせを待っていた。
人づてに聞いたところによると、道兼殿がお亡くなりになった安子様のお文に
「関白をば しだいのままにさせたまへ。 ゆめゆめたがへさせたまふな。」
(関白は、兄君のほうから順に任じてください。決して、違えてはなりません。)
としたためてあるのを帝にご覧に入れ、そのようになさったということだった。兼道殿の唯一の有利、自分のほうが兄である、をしっかり生かされた形だ。
兼家様は、たいそう気を落とされたご様子でお帰りになった。そして、昇進は全くないどころか、官位を落とされ、失意の中で日々暮らしていらっしゃる。
摂政右大臣の伊尹殿がなくなったのち、兼道殿が摂政をなさり、兼家様は、政 では思わしくないようだが、例のことは盛んなようだ。近江の女にせっせと文を送っているようである。
二月、ついに三日の餅を召し上がったそうだ。
兼家様のお子は、私の知る限りで十人。妻は、七人。なかなか、心安らかに過ごすことは難しいことだ。
ところが、その兼通殿まで病にかかられ、明日をも知れぬお命とか、いやもうお亡くなりになられたのだといううわさが飛び込んできた。早くお見舞いに行かれるように申し上げたのだが、全く聞き入れられない。
死の穢れに触れては、帝にお会いできぬと、兄上のお見舞いに行かず、内裏へと向かわれた。そんなことをしては、どんな罰が当たるかわからない。
じつはまだ、兼通殿はご存命で、その邸宅を素通りして内裏に向かわれたものだから、兼道殿は死のとこから這い起き、ふらふらのまま、内裏に登られたそうだ。それを見た兼家様は、真っ青になってどこかへ逃げてしまわれたそうだ。そして、兼通どのは、
「最後の除目行いに参り給うるなり。」(私の命の、さいごの除目をしにまいりました。)とおっしゃり、藤原頼忠(父の兄の子つまりいとこ)を摂政に任じ、兼家様を降格させた。
もちろん、独断で、帝の許可を得ていないが、あまりの迫力に帝も何もおっしゃらなかったと、伝え聞いた。やはり、罰があたったようだ。まったく、兼家様ときたら。。。
現在の位は、兼家様のほうが上。これで、かなり兼通殿との仲が悪くなっている。伊周殿からしてみると、源高明殿と仲が良く、円融帝に娘を入内させていた兼通殿は煙たい存在であったようで、何かと兼家様をかわいがっていらっしゃったせいだと思う。そんなこんなで出仕を怠っていらっしゃったせいで円融帝の覚えも、兼家様。伊周殿の重用ぶりも、兼家様。しかし兄弟の順でいえば、兼通殿。円融帝の御前で兄弟げんかを始めてしまったという話まで聞こえてくる。
兼道殿と兼家様と、どちらが後を継ぐのか。
はらはらしながらも、私のできることなどなくただただ知らせを待っていた。
人づてに聞いたところによると、道兼殿がお亡くなりになった安子様のお文に
「関白をば しだいのままにさせたまへ。 ゆめゆめたがへさせたまふな。」
(関白は、兄君のほうから順に任じてください。決して、違えてはなりません。)
としたためてあるのを帝にご覧に入れ、そのようになさったということだった。兼道殿の唯一の有利、自分のほうが兄である、をしっかり生かされた形だ。
兼家様は、たいそう気を落とされたご様子でお帰りになった。そして、昇進は全くないどころか、官位を落とされ、失意の中で日々暮らしていらっしゃる。
摂政右大臣の伊尹殿がなくなったのち、兼道殿が摂政をなさり、兼家様は、
二月、ついに三日の餅を召し上がったそうだ。
兼家様のお子は、私の知る限りで十人。妻は、七人。なかなか、心安らかに過ごすことは難しいことだ。
ところが、その兼通殿まで病にかかられ、明日をも知れぬお命とか、いやもうお亡くなりになられたのだといううわさが飛び込んできた。早くお見舞いに行かれるように申し上げたのだが、全く聞き入れられない。
死の穢れに触れては、帝にお会いできぬと、兄上のお見舞いに行かず、内裏へと向かわれた。そんなことをしては、どんな罰が当たるかわからない。
じつはまだ、兼通殿はご存命で、その邸宅を素通りして内裏に向かわれたものだから、兼道殿は死のとこから這い起き、ふらふらのまま、内裏に登られたそうだ。それを見た兼家様は、真っ青になってどこかへ逃げてしまわれたそうだ。そして、兼通どのは、
「最後の除目行いに参り給うるなり。」(私の命の、さいごの除目をしにまいりました。)とおっしゃり、藤原頼忠(父の兄の子つまりいとこ)を摂政に任じ、兼家様を降格させた。
もちろん、独断で、帝の許可を得ていないが、あまりの迫力に帝も何もおっしゃらなかったと、伝え聞いた。やはり、罰があたったようだ。まったく、兼家様ときたら。。。