第27話 道長内覧に

文字数 813文字

 しかし、長兄道隆の権勢は長くは続かなかった。5年後の長徳元年(995年)病に伏し、4月3日、嫡子の内大臣伊周に関白を譲りたいと帝に奏上したが、帝は許されなかった。道隆の政を快く思っていらっしゃらなかったから。とりあえず、病中の内覧のみ許された。そして、4月10日、43歳でお亡くなりになる。
 ところが、4月27日に摂政となった次兄道兼は、そのあとすぐに病にかかり、5月8日に35歳で、後を追うように亡くなってしまう。
 兄君たちには気の毒なことであったが、これは弟道長の出番である。ところが、帝は定子様の兄君で道兼の嫡男の伊周を関白にする考えでいらっしゃる。伊周では、帝の助けにはならない。言動の端々に、帝をないがしろにし、自分の思い通りの政治を行おうとするこころ持ちが見受けられる。なんとしても、止めなくてはならない。
 わたくしは、帝のもとに急いだ。
「いかでかくは思し召し仰せらるるぞ、大臣越えられたることをだに、いといとほしく侍りしに……」
(なぜ、そんなことをおっしゃって道長の摂政就任を退けられるのです。この母の同母の兄弟である道隆の後を道兼に継がせたのならば、次は当然道長に継がせるべきでしょう。若輩の伊周に大臣の位を越えられたことでさえ、この母が、どれほど気の毒なことと思っていたことか。……兄弟の順を守り正しい政治を行われることが、天皇であるあなたのなさるべきことです。)
 かなり語気も強く申し上げたのに、同意してくださらない。
 もう一度呼び出してもらうように申し付けたのに、顔を見せてくださらない。仕方なく、ご寝所に入り込み、直接訴える。涙ながらに、心も言葉も尽くして申し上げる。
 やっとのことで、帝の了承を得て、控えていた道長に「あはや、宣旨下りぬ」(ああ、やっと道長を内覧にするというご命令が下りました。)と告げた。
 こうゆうときには、強気で押して決して引かないことだ。令和の世での経験を生かすことができた。
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登場人物紹介

時姫…彰子のおばあちゃん。摂津守藤原中正の娘。

   藤原兼家の妻。藤原道隆・藤原道兼・藤原道長・超子・詮子の母。

藤原兼家…彰子のおじいちゃん。

     藤原師輔の三男。兄は、伊尹と兼通。

詮子…時姫の次女。円融天皇の后。

   子供は一条天皇だけ。道長の姉。

   彰子の父方の伯母。夫の母でもある。

   

円融天皇…兼家の姉の安子の三男。村上天皇の第五皇子で、安子の三男。兄の朱雀天皇から譲位された。

     彰子の父方の大伯父(おじいちゃんのお姉さんの子)に当たる。夫の父でもある。

     子供は一条天皇だけ。后は、たくさんいる。

彰子…当分出てこないけど、三人目のヒロイン。

   藤原道長と源倫子の長女。

   一条天皇の妻。紫式部が女房として仕えた。

一条天皇…円融天皇と詮子の子。

     定子(清少納言が女房として仕えた)や詮子(紫式部が女房として仕えた)の夫。

     他にも、妻がいる。

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