第14話:旧日本軍の資産隠匿事件2

文字数 1,266文字

 21世紀の現在、「日本新党」、「新党日本」などが現れた事を考えると「新日本党」と言う党命は、その先駆けのような感じがするが、戦後の最初の衆院選で、女性2人が当選したが、肝心の党首「水谷明」が落選。水谷明の友人に、日本大学教授兼理事の世耕弘一代議士がいた。1946年、戦後経済復興のため経済安定本部が設置された。

 その中に隠退蔵物資処理委員会ができた。石橋湛山が委員長、世耕弘一が副委員長に就任した。水谷は、国会で問題化し世論を喚起することが、金塊返還の条件と考え、世耕に情報を提供し、世耕は、隠退蔵物資処理委員会で華々しく活躍した。この世耕弘一は、現参議院議員の世耕弘成の祖父である。

 世耕弘成は、2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙「郵政民営化選挙」で、自民党広報本部長代理及び自民党幹事長補佐として自民党のメディア戦略を担当し注目を浴びた。マスコミの討論番組等への露出度も高い。世耕弘一は、どこの倉庫にどんな品物がいくら格納されているか、どんな連中が持ち出したかを指摘する「世耕指令書」を発令した。

 それが闇商人の手に渡って詐欺の材料になったり閣僚や高級官僚、財界人らの旨い汁を吸っていた連中から妨害され1ケ月半程で副委員長の座を追われる。後藤の死後、GHQへ行く際に通訳を務めていた榎三郎という人物が、「金塊に関する権利は自分にある」と主張しだし、その榎と養子縁組をしてさらに権利を継承したとする和知という運送会社の社長が登場する。

 和知も、元新日本党の党員で水谷の部下だった。和知によれば、金塊は、南方の某国から日本軍部が奪ったもので1943年の2月か3月ころ、空母「鳳翔」「瑞鶴」に積んできたものだった。保田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房によれば、1947年8月13日の国会で当時の石橋湛山蔵相は、次の様に述べた。

 連合軍総司令部は、日本政府に千数百億円の物資を引渡しておる。2、3千万位のものが内務省の手を経たようでありますが、千数百億円のものがどこへ行っておるのか、わからない。石橋湛山は、東洋経済新報社の主幹、社長を務めた人で戦後1946年の総選挙に自由党から出馬した。選挙は落選だったが、第1次吉田茂内閣に大蔵大臣として入閣した。

 大蔵大臣として、傾斜生産「石炭増産の特殊促進」や復興金融公庫の活用などを軸とする「石橋財政」を推進したが、戦後補償打ち切り問題、石炭増産問題、進駐軍の経費問題などで、GHQと対立した。1947年の総選挙では中選挙区制における静岡2区「東部地域」から当選を果たしたが、GHQとの軋轢がもとで公職を追放された。

 後に、鳩山一郎が、日ソ共同宣言によってソ連との国交回復を果たして引退すると、岸信介と共に総裁選に出馬。熾烈な争いで1回目の投票では岸が1位だったが、石井光次郎と2・3位連合を組んで決選投票で逆転し、第55代内閣総理大臣に就任。しかし風邪をこじらせた肺炎に罹患、「政治的良心に従う」として辞職した。後任に、副総理格で入閣していた岸信介が就いた。
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