第36話:東日本大震災の復興の手伝い

文字数 1,189文字

 会社は、1週間休みにして、自宅の復興と、地元の復興を最優先するように、お願いした。その後、社員一丸となって、旭市の復興ボランティア活動をしたりして、4月1日から、通常通りの仕事を開始した。しかし、会社の休みにしていた時の給料も出すと、従業員、アルバイトさんから、大歓迎された。それからも積極的に甘芋の販売に力を入れ、活動し続けた。

 それでも大震災後、仕事が休みの期間も多く焼き芋も昨年のように売れない。もちろん計画していた新店舗計画も白紙に戻すしかない。その後、千葉県旭市で被災して家が全壊した人達が、近くの中学校の体育館で避難生活をしてると聞いて焼き芋となめろうコロッケを入れたお弁当を作って差入れを始めた。1台のトラックで10人で避難所を巡回して食料を供給した。

 毎日、午前10時に、避難している150人分の食料を届けるようになり、その様子が地元の新聞に載った。すると、成田、旭、佐倉、香取、富里でも購入したいと言う人が増えてきたので、巡回して販売して周ると、飛ぶように売れ出した。5月が過ぎる頃には、東京の売店でも会社員が、普通通りに、出勤するようになり、順調に売れ始めた。

 新しい販売所計画は、1年、先延ばしにする事を決めて成田線と京成線の駅の売店でも新聞記事を見て委託販売をしてくれる事になり甘芋の販売も順調で、心配された在庫増が解消された。そして、成田空港内の売店でも甘イモの販売と「なめろう」と「なめろうのコロッケ」を委託販売してくれ、またレストランでも使ってくれる事になり順調に甘芋の在庫が減っていった。

 2011年10月になり東日本大震災の影響はあるが、復興の兆しが見え始めた。そこで、以前計画した東京の巨大駅、東京駅、池袋、新宿、渋谷の各駅に3ケ所ずつ、合計12ヶ所、上野、押上、日暮里に2ケ所ずつの合計18ケ所の増設計画を実施する機運が高まり、10月3日、本社の会議室で、成東繁、成東徹と三郎の奥さんが、会議を開き、実施する事にした。

 翌日、以前、不動産屋、鉄道会社に許認可の打診をしていて条件は決まっていたので、契約書を交わした。次に、プレハブを作る工務店に設置を依頼し、11月迄に、設置する事で合意。その後、新たに、駅周辺でパート、アルバイトさんを募集すると、1週間で集まった。その後、1週間、見習いで、現在の駅前店舗で実際に販売研修を開始。

 しかし、売れ残るのが一番心配だったので、2種類の甘イモを30トンずつ、60トンにして、慎重に完売をめざそうという意見で一致した。その後10月13日、香取農協の栗原さんとの交渉が始まった。

 60トンで、昨年の単価の10%引きで、保存と成田工場場の輸送もしてもらうという条件で交渉が妥結した。その席上、栗原さんから、100トンを売ってもらえば、さらに10%引くと言われ、考えておきますと、三郎の奥さんが答えた。
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