第39話:成東三郎の死と葬儀

文字数 1,437文字

 やがて、梅雨になり、あけると暑い夏になった2013年7月8日、三郎が、入院したと連絡が入り、成東繁と成東徹が入院した成田赤十字病院へ行った。病室に入ると三郎の奥さんが、よく来てくれたと言い心臓の具合が良くないと話した。三郎は、痩せて顔色も良くない様子で顔が青白い。三郎の奥さんが、今年82歳になり、心臓の動きが良くない様だと知らせた。

 そして、2013年8月18日、三郎が危篤だと連絡が入り、病室に入ると、もう既に、むしの息だった。三郎が、2人を呼んで、気丈に、後は、頼んだぞと言った。その後、安心したようにして息を引き取った。享年84歳。その後、急いで、奥さんが2人の息子に手分けして、葬儀社と斎場の手配をしてといい、それが決まったら葬儀の案内書を送れと指示した。

 その話を終えると急に、現実に戻り三郎の奥さんが病室で号泣。成東繁と成東徹が、葬儀社に電話して、斎場の空きを調べて折り返し電話が欲しいと伝えると了解と答えた、その後、8月23日なら車で40分の斎場が空いていると、電話が入り家から近い斎場は、1週間以上先まで予定が入っていると言われたので、仕方なく、そこに決めた。

 その後、葬儀の招待状を成東繁と成東徹と部下にお願いし書き始め夕方には終了。棺に入った、父の遺体は、自宅に置かれ、その近くで、三郎の奥さんが、かかってくる電話の応対をしていた。成東繁の奥さんは、三郎の奥さんを気遣い、冷たいお水を持ってきたり、食事の世話をしていた。その日は、成東繁夫妻が、三郎の家に泊まって、面倒を見てあげた。

 やがて、葬儀の日となり、9時過ぎに、9人乗りのハイエースを2台借りてきて、成東繁と、徹の2人が運転した。その車に、近所の親戚、友人などが乗れるだけ乗って、出発した。9時40分頃、斎場に入り、受付を若い人にお願いし、喪主は、成東繁が務めることにし、挨拶を担当して、弟の成東徹が、会社のスタッフなどに、指示して葬儀の運営をになった。

 10時過ぎると、少しずつ葬儀の参列者が集まりだした。11時までに140人が集まり、会場は9割方、埋まった。その後も政治家の秘書、会社社長の代理など多くの人が来ては挨拶して不祝儀袋を置いて、直ぐ帰り、慌ただしかったが、11時、定刻になると、喪主の成東繁が、参列者に挨拶して、亡き父の生い立ち、その後の活躍、仕事の功績などを話して、挨拶を終えた。

 次に、お坊さんが入ってきて、お経を読んでから、弔電を読み上げた。その後、次々と焼香が始まった。焼香を終えると、帰る人もいて、列席者の数が減ってきた。12時には、葬儀の儀式が終了し、近親者などに、別室に昼食が、用意してありますので、移動お願いしますと伝えると、次々と移動して言った。そして、三郎の遺体が荼毘にふされた。

 13時過ぎに、骨拾いの儀式のため、子供、奥さんが、一連の儀式を執り行い、骨壺に入れた。その後、菩提寺に向かって、ハイエース2台と2大の大きなワゴン車に分乗して、30人以上が、霊柩車の後に続いた。40分位して、菩提寺に到着して、お墓に、埋葬する儀式をして、葬儀を終えた。

 しかし、一部の老人達は、亡き、三郎の功績の話や、エピソードをして、故人との別れを惜しんだ。そうして17時には、成東家の関係者が自宅に帰ってきて、近所の人達は、挨拶して帰っていった。女達が夕食の支度をし始め、男達が風呂を沸かして入り夕食をとった。息子達2人は、その晩、亡き三郎の家に母と共に泊まっていった。
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