第24話:三郎の株で大儲けとネットバブル崩壊

文字数 1,350文字

 そこで、今後、マグロも中心に外房の漁港を回り質の良いマグロを安い時期に買い冷凍庫で保存して刺身として食堂に出す事に積極的になった。すると成田空港店での売り上げが好調となった。なめろうの方は、外人客には受けない。1990年を迎え日本株の下げが大きくなった。その後、1992年8月19日、ソニー株を3500円で2万株を7000万円で購入した。

 そして、マグロが安い時期に手に入った時には、マグロの中落ち丼を京成成田駅前店、国鉄成田駅前店でも売り出すと安く美味しいと、評判になり、数日で、売りきててしまう様になり、大きな利益をもたらしてくれた。さらに、成田の近くに、大きな高層マンションが、いくつも作られて人口が増えて、その点でも、成東食堂全体の売り上げが上がってきた。


 その後、1997年の8月12日にソニー株を成り行きで全株、2万株を売ると12200円で全株売れ、税引き後利益が20500万円となり、資産残金が25000万円となった。その後、ヤフー株が新規上場するというので、N証券の口座に15000万円を入金して、10株購入したいと担当者に伝えた。10月下旬にヤフー株の公募株価が70万と決まった。

 担当者に無理を言いヤフー株の新規公開株4株を手に入れた。1997年11月4日の公開初日、株価が200万円となった。その後、1999年3月26日に2倍分割し4株が8株に増えた。更に、同年、9月27日にも2番分割して、8株が16株になった。年が明けた2000年になっても上昇が続き、2000年2月22日の朝、成り行きで全株売り出すと直ぐに売れた。

 売れた価格が1株、なんと16790万円であり、税引き後利益が209600万円となった。余りの金額に呆然として、めまいがするくらいに驚いた。これで、十分過ぎる程の資産ができ、総資産が20億円近くなった。その後、株価が下がり始めた。夏が過ぎ、年末には、インターネット関連株の下げがひどく、大損する投資が大勢出ているとニュースになった程だった。

 特に、光通信は、14日間ストップ安が続き、株価が12分の1にまで下がり、信用取引で焦げ付いて、土地、屋敷を売るはめになったと言う人の話が証券会社で出たくらいだ。事の発端は、携帯電話販売代理店「HIT・SHOP」を全国に展開し、無料で端末を配布した。携帯電話事業者「キャリアー」とケータイ1台当たり数万円の報奨金が支払われる契約を結んだ。

 いわゆる「ゼロ円商法」で濡れ手で粟の利益をかすめ取った。ケータイの販売が一定の台数を超えると手数料が急増する契約だった。架空の携帯電話契約を大量に行った「寝かせ」を暴かれ墜落。2000年2月中間決算「当時は8月決算」で、株式公開以来、初めて営業赤字に転落。孫正義のナスダック・ジャパン設立構想から光通信株・事件まで僅か10カ月で雲散霧消した。

 そうして2001年を迎えた。その後も株式市場は、依然として、低迷していた。そこで、三郎夫妻は、3月に伊東、熱海の温泉へ行き、早咲きの桜を見たり、暖かい日には海辺を散歩したりしていた。その帰り、横浜中華街で食事をして近くのホテルニューグランドに泊まって、元町で、買い物を楽しんで過ごしていた。幸い、大病する事もなく元気で過ごしていた。
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