第20話:虎之助の三男の子供達が千葉で仕事したい

文字数 1,444文字

 三郎の長男、成東守、次男、成東繁、三男、成東徹は、普通のサラリーマンには、なりたくないと言い、自然のある場所で食べるだけの収入と、雨をしのげる家があれば十分だという考え。 長男の成東守だけが、千葉大学を卒業した。しかし、次男、成東繁、三男、成東徹は、高校を卒業してフリーアルバイターとして生活し、親の家に同居していた。

 そして、夏は、銚子の海でサーフィン。冬は、山小屋やスキー場のロッジのアルバイトをした。長男の守も弟たちの自由な暮らしに憧れた。千葉大学を卒業後、公務員になりハイエースを買い、弟たち2人が、外房の海でサーフィンを教えてもらった。そのため祖父の銚子近郊の大きな農家で3食付きで泊まりに来ていた。

 そんな姿を見ていた父の三郎が、1981年5月、うちの店で働かないと言い、銚子の店に成東繁と成東徹を雇っても良いと言うと、2人が了解した。その後、祖父、虎之助の家から、銚子の三郎の店で、なめろうコロッケ作りと弁当の販売、配達、原料の魚の運搬などを引き受けた。そして、平日週休2日と言う条件で働き出した。そんな自然の近くで自由な生活、また、アパート代金もかからず、働いた金のほとんどをサーフィンや遊興費に使えるので大喜びした。

 そのうち地元の可愛い子を見つけて付き合い始めた。1981年9月、成東繁が、3歳年下の地元で知り合った寺田早苗さんを祖父の家に連れてきて紹介。寺田さんは、銚子の漁師の娘で、銚子漁業協同組合に入って事務の仕事をしていると話した。魚料理が得意で、サーフィンの選手になった程の腕前で、繁にサーフィンを教えたのがきっかけで、仲良くなったと話しくれた。

 美味しそうなケーキを持参してくれた。弟の徹が、俺も、実は、こっちで彼女を捜したので、そのうちに、お爺さんの家に連れてくると言った。その後、早苗さんが持参してくれたケーキを分けて、早苗さんが珈琲を入れて、いただいた。そして、早苗さんが将来、この近くの海辺でサーフィンショップを経営したいなと、夢を語った。

 すると、その話を聞いていた、弟の徹が、その時は、俺にも手伝うよと言った。それに対して商売がうまくいくかどうかもわからない。だから儲かり始めたら雇ってやるよと言うと徹が、兄貴、そんな事、言って、もし、俺が、兄貴の店の近くで、サーフィンショップを作ったらどうすると笑いながら言った。そしたら、両方のショップが、共倒れになるだけさと笑った。

  それを聞いていた、早苗さんが、そういうのを「とらぬ狸の皮算用」って言うのよと、話すと、大笑いとなった。その話を聞いていた、祖父の虎之助が、お前ら、いくら持ってるのだと聞くと、繁が30万円、弟の徹が10万円と言った。店を作るなら、もう一桁上でないと無理だと言った。それを聞いて早苗さんが、私は、200万円持ってるわよと告げた。

 それを聞き、繁と徹が、思わず、スゲーと言うと、おばあさんが、やはり、若い子達も女性上位ねとニヤリとした。そんな話をじっと聞いていた、虎之助が、本気で商売する気があるなら、投資してやると言った。すると徹が、投資って返済するんでしょと聞くので、もちろんだと言い、貸した金に利子や配当を加えて数年後に返すのだと説明した。

 もし、返せなかったらと聞くと、負債を抱えて倒産だと言って笑った。繁が、そんなの当たり前だろと言い、商売を始めたら、稼ぐしかないのと、徹の肩をたたいた。徹が、今のうちに金を貯めておこうと言うと、みんなが、あきれたように笑った。
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