第4話:軍部の台頭と満州国

文字数 1,434文字

 そして、当時の人たちも生活が苦しいので、何かに、すがる思いで軍部の考えを支持し、この動きをとめられなかった。もし世界恐慌がなかったら第二次世界大戦は起きなかったかもしれない。長年の不景気に悩んでいた農村は、1930年には豊作による米価値下がりに苦しみ1931年には東北地方で冷害による凶作にみまわれた。

 また世界恐慌のためアメリカ向けの生糸が売れなくなり養蚕農家は収入が減った。1930年代に入り日本は満州への侵略を現実化させた。満州侵略の理由には、次の3つが考えられる。1つ恐慌からの脱出、軍部は大陸進出すれば不景気脱出と説明した。2つ、満州には鉄鋼石・石炭など資源の確保できる。3つ、中国の日本権益を守るため。

 当時中国では各地で軍閥の勢力争いが活発となり政治は不安定。その中で孫文の後に国民党の指導者となった蒋介石が1927年に南京に国民政府を立てた。そして軍閥と戦いながら北へ勢力を伸ばした。国民党政府は、北への勢力拡大とともに、満州における日本の鉄道や地下資源を取り戻そうと計画を立てた。そのため日本の軍部や右翼の中には危機感を叫ぶ人がいた。

そして、満州を早く日本の物にした方がいいと考えた。日本の軍部は、中国大陸 、特に満州での日本の権益を失うことをおそれ、満州への侵略を考えた。1931年、柳条湖事件が起き、満州事変が始まる。奉天郊外の柳条湖で、関東軍「満州を警備する日本の軍隊」が南満州鉄道を爆破し中国側のしわざだとして軍事行動を開始した事件。

 この事件は、日本軍部が満州侵略のきっかけが欲しくて計画的に起こしたものだった。日本政府は、初めは戦争拡大をさけて関東軍の行動を抑えることができずにいった。日本国内の新聞は、この軍部の動きを大々的に報道し国民の多くはこれを支持した。当時の日本政府は、不戦条約などの国際法に違反していると言う指摘を避けるため戦争ではなく 「事変」 と認定するした。

これをわざわざ閣議で決定。 満州事変は、柳条湖事件から始まり満州国建国までの出来事をさす。1932年満州国を建国する。満州国の皇帝は、清の最後の皇帝・溥儀であった。しかし溥儀には、発言権はなく、日本が決めた法律に、サインするだけの存在だった。終日監視され、自由に人と会うことはできなかった。実際に、満州国の実権は、日本が握っていた。

 満州国は、日本の傀儡政権「かいらい」で、操り人形となっていた。日本が、満州国の皇帝に中国人を選んだ理由は2つあった。1つは、対外的に日本が侵略して作った国というイメージではなく満州「中国」人が自発的に作った国と見せる様にしたいため。2つ目は、支配下の満州「中国」人にとって、中国人を皇帝にした方が服従すると思ったからなどの理由による。

 満州国は 「五族協和」 を掲げていた。五族とは、日本・満州・漢民族「中国」・朝鮮・モンゴルの5つの民族を指す。満州国は現在の東北3省「遼寧・吉林・黒竜江」を中心に、日本の3.4倍という肥沃な土地があった。首都は新京、現在の長春である。満州国政府の中枢だった国務院は、日本の国会議事堂そっくりの形をしていて、今も残っている。

 関東軍司令部は日本の城のような形をしたおり、現在は中国共産党吉林省委員会の建物となっている。中国は愛国教育の一環の意味もこめて当時の建物を残している。長春は、過去を振り返る博物館である。日本政府は、満州国建国後、政治・軍事上の観点から満州への移民を積極的に推進した。
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