第43話「最終章」:母、成東智子の葬儀

文字数 1,234文字

 1月23日、早朝、かなり病状が悪いと病院彼連絡が入り、その日の昼過ぎ、亡くなったと連絡が入った。しかし、インフルエンザ・ウイルスがなくなるまで面会できませんと言われウイルスが消えたら連絡しますと言われた。翌日、インフルエンザ・ウイルス・テストで陰性になったので1月24日、病院に、ご遺体を引き取りに来て下さいと電話が入った。

 その後、昼過ぎ、葬儀社の車で、病院に行って、母、智子の遺体を棺に入れて自宅の広間に置いた。以前、葬儀社の人に斎場を探してくれるように、お願いした。すると、以前、父が葬儀をした斎場なら5日後、1月29日なら空きがあると言うのでお願いした。お通夜は、自宅で、行うことにして、その用意も、お願いした。

 そして、一応、母の実家のある茨城北部の助川家にも成東智子の葬儀の案内状を送った。その他、近所から5人が自宅でのお通夜に来ると言った。数日後、茨城の助川家から、現在、当主の助川圭介さんが来ると電話が入ったので、葬儀は、1月29日なので、前日、智子さんの家に泊まって、お通夜に参加してから、翌日葬儀に出てくれるように話すと了解しましたと言われた。

 そちらに1月28日午後18時までに着くように行きますと電話が入った。1月28日は、ここらでは珍しく、みぞれ交じりの寒い日となった。夕方18時前、茨城の助川家から助川圭介さんが来られた。挨拶をして夕食を食べていただいた。その晩、助川圭介さんは智子さんのおい子さんと言い、叔母の智子さんは、聡明な人で、水戸の有名女学校を卒業。

 その後、地元の名門、日立製作所に就職した才媛だったと聞かされた。人には優しく、情の厚い人でしたと、昔のエピソードなどを聞かせてくれた。翌日もみぞれが降る寒い朝、マイクロバスには、念のためタイヤチェーンつけてやってきた。成東の親戚など合計11人を載せ1時間かけて葬儀場へ向かった。斎場は小高い丘の上にあった。

 そこで、案の定、雪の坂道をゆっくりとマイクロバスが登っていった。そして、一番、小さな部屋で葬儀が始まり、お坊さんの読経が始まり、終わると食堂へ場所を移し精進お年の時、故人の話をした。そして13時過ぎに骨拾いの儀式を智子の子供達2人で行い、骨壺を霊柩車に載せ、車で40分の成東家の菩提寺に向かった。

 斎場を出ると、晴れて、眩しい太陽が、顔を見せた。お寺に着く頃には、すっかり晴れた。みぞれが溶けて、亡き、智子の伴侶の三郎の墓石には、解けた雪が水になり、したたっていた。そのお墓に、息子の成東繁と成東徹が、お参りして、顔を上げると、水のしずくに、太陽の光が降り注ぎ、虹色に光ったように見えた。

 それは、まるで、亡き、母、智子の美しい笑顔を見ているようだった。それを見て、長男の成東繁は、智子さんに、いつまでも、面倒も見てくれて、ありがとう、あの世では、父、三郎と仲良く、やってください。それから、私達の仕事が、繁盛するように、宜しくお願いしますと頭を深々と下げた。【終了】
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