第35話:東京の主要駅での販売強化と東日本大震災

文字数 1,358文字

 20トンのサツマイモを売るには、今の販売所よりも乗降客の多い駅で売るべきだという話になり、どこで売るかの会議を首脳陣で話し合った。上野、押上、日暮里に加えて、次の候補として新宿、池袋、東京、渋谷、新橋、秋葉原、北千住があがった。そこで、池袋、新宿、渋谷、新橋、東京の5つで売る事にした。トラックで、東京、新宿に大型トラックで運ぶ事にした。

 駅前の販売所の場所を借りて、11月10日から、なめろう、なめろうコロッケ、2種類の焼き芋を注文と同時に温めてだした。すると思った通り早朝出勤の会社員を中人に飛ぶように売れて持参する量を翌日から倍に増やした。結局4日間で、大きな段ボール10つを朝だけ100kgを売り切った。夜になり寒くなると一層、売れ行きが増え、やはり100kgを完売。

 そして、売上の90%が、焼き芋になった。そのために早朝6時と夕方17時に調理済みの焼き芋を各店舗に100kgずつ5つずつ配達した、来年は、大きなの駅の複数ある出口、全て、売店をつくる計画をたて、必要な資金の見積と、関係する不動産屋、プレハブメーカーと打ち合わせをしようと考えた。三郎の奥さんと繁が、打ち合わせして、資金のめどが立った。

 2011年が空け、販売データを取ると会社員の購入量が一番多い時間は、朝6時半から8時半、11時から13時、17時半から0時までと判明。プレハブの建物は工場で製造しトラックで駅前に移動しで1時間足らずで設置し、電気、水道をつなげば、完成。東京駅、池袋、新宿、渋谷の各駅に3つずつ、計12ヶ所、上野、押上、日暮里に2ケ所ずつの総合計18ケ所を増設。

 2011年1月も甘イモが売れて万事、順調に回転した。2月、3月と焼き芋の売れ行きが飛ぶように売れて好調。そんな3月11日一段落していた15時前、突然大きな地震が起きて、三郎に、奥さんが抱き付き悲鳴を上げた。大きな地震が、しばらく続き、電気が止まった。幸い、三郎の家は、高台にある農家で、洪水の心配はなかったが、台所が大変なことになっていた。

 地震が収まり靴を履いて台所へ行くと茶箪笥から食器、ガラスコップが落ちて破片が散乱していた。大きな破片をとってから掃除機で吸い取った。しばらくしてテレビがつくと東北太平洋岸の大津波の映像が映り、家や車、人が流されている様子が放送された。それを見ていると、恐怖で、鳥肌が立った。携帯電話は繋がらず、工場や売店にも全く繋がらなかった。

 半日が過ぎると寒くなりストーブを焚いて、まんじりともせず、ただ地震のニュースをぼんやりと眺めていく事しかできなかった。幸い工場でも大きな災害にはならず怪我人も出なかった。しかし、外房、旭市でも家が全壊して死亡者が13人も出た様だ。建物全壊425棟、半壊335棟、床上浸水387棟、床下浸水116棟と千葉県内で、いちばん大きな被害を受けた。

 昔の様に、海辺の売店とレストランをやっていたら大きな被害を受けただろうと考えると、ぞっとした。そのうち電話がつながり工場でも怪我人なし東京の主要駅でも大きな被害がなく、ひと安心した。この時、成田の工場で焼き上がった焼き芋を地元の住民に通常の半額で販売し一部の人達には無料で配った。そして駅の販売店での販売は、道路の状態が回復するまで中止した。
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