第12話:終戦直後の混乱期に不正が横行

文字数 1,397文字

 当時の闇市について少し話をしておくと、池袋は極東会、新宿は尾津組とかに分かれていて、新橋も松田組が押さえていた。彼らが三国人とも結合しているわけだけれど、第三国人は、単なる供給源であり、直接的に闇市をコントロールしていたわけではなく、砂糖とか食料品を、仲買人のところに運んだりした。ですから、そこに流れてくる物資を横流し儲けたりする。

 闇市の現場に持って行くわけではなくて、暴力団の親分のところ運搬するだけ。そうやって、ある時期までは、割合自由に儲けることはできた。しかし、最終的には、王さんも、新橋にあった会館の不法占拠事件で裁判に負けることになりますよね。はっきり言えば、第三国人の力が社会的にも法的にも弱ってきた結果でしょう。

敗戦から1947年の2・1闘争まで、たとえば、国鉄労組の立場からだと、隠退蔵物資摘発運動というのがあったんです。仙台にも航空廠があって、その倉庫には大豆がいっぱいあったりしましたが、それを摘発しました。また、日本陸軍が、蔵王のふもとの農家の蔵などに、建築資材と称してバターや缶詰などの食料物資を隠していました。その情報をよく知っているのが第三国人だったのです。

 釘などの建築資材は、国鉄が引き取って、その後の鉄道建設の基本材料にしましたが、情報をくれた第三国人たちに、食料などの物資を渡した。共産党が最初に手をかけたのは、隠退蔵物資の摘発でした。全国的にやりましたが、それを一生懸命手伝ってくれたのが第三国人たちでした。そして情報をよく知っていました。もしかすると、アメリカ軍が第三国人に情報を流したのかもしれない。

 1946月に東京湾から大量の金塊が発見された。GHQの調査によるとこれらの財宝は、日本軍の隠匿物資であると判明したと、戦勝国のメディアが報じた。報道では東京湾と書かれていたが、越中島の一角で謝礼を目当てにした日本人がGHQに密告した事で発見された。隠匿された財宝の価値は、20億ドル以上とされ未だ発見されていない財宝もあり、引き上げは順調に進んだ。

 財宝の元は、本土決戦のために軍が、国民からかき集めた国民の財産だった。1943年に金属類回収令が発令されて、日本国民から軍部が強制的に指輪などの金属類を回収した。国民から回収した金属を溶かして金・銀・プラチナを延べ棒にし、トラックに積み込まれ日本銀行に一旦納められた。

 第二次世界大戦終戦時の混乱期、大量の貴金属やダイヤモンドなどの宝石類を含む軍需物資が、保管されていた日銀地下金庫から勝手に流用されていた隠退蔵物資事件や、件の日銀地下金庫にGHQのマーカット少将指揮の部隊が調査・押収に訪れた際に、彼らによる隠匿があったとされた事件などが発生した。GHQの管理下に置かれた押収資産は、戦後復興・賠償にほぼ費やされたとされるが、資金の流れには不透明な部分がある。

 これがM資金に関する噂の出典となった。こうした噂が真実味を持って信じられた背景には、降伏直前に旧軍が東京湾の越中島海底に隠匿していた、金塊1200本・プラチナ塊300本・銀塊5000トンという大量の貴金属が1946年4月6日に米軍によって発見された事件や終戦直後に各種の軍需物資が隠匿され、闇市を通じて流出していた。そのひとつが旧軍で特攻隊員などに興奮剤として服用させていたヒロポンであり、現在に至る覚醒剤渦の根源となっている。
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