第18話:成東三郎が銚子で料理屋を開く

文字数 1,553文字

 この話を保田の親戚の魚料理店の大将にすると銚子にもう1店舗店を出したいと思っていたので渡りに船だと言い大歓迎すると言い魚の仕入れ配達もしてやると言ってくれた。そして銚子の港から車で10分の所にあった廃業した料理屋を改装して魚料理屋にする事にした。保田一族の工務店が改装を安くしてくれる話もあり1976年3月1日に開店した。

 三郎の店、開店の日、保田家の関係者10人と共に成東夫妻も食べに行った。すると刺身も寿司も塩焼き、煮物も美味しかった。その後、保田家の親戚達も三郎の店を贔屓にしてくれ、にぎわった。しかし、魚の旬の時期は良いが、シーズンオフになると売上が落ちた。そこで、何とかならないか、三郎が考えて、日立時代に大型冷凍庫用にモーターを作った事を思い出した。

 翌日、日立時代の仲間に、冷凍庫付きの業務用大型冷蔵庫のでテストデータ作成に協力するから試作機を送ってくれと話すと了解してくれた。成東先輩が、定期的にキチンとデータを提出してくれるなら試作機を送りますと連絡が入った。それに対して、データ作成用紙を送るように、成東三郎が、日立の後輩に手紙を書くと、データ作成用紙が送られてきた。

 1976年10月に三郎が魚料理店を開いて、サンマ、アジ、サバ、イワシ、舌平目、エビ、カニなどの料理を出し始めたが、その中でも大量に取れるサンマ、アジ、サバを冷凍する事を考えた。つまり捕れすぎた魚を冷凍し、シーズン・オフに提供と考えた訳だ。シーズン・オフであれば、値段も少し上げられる。魚の値段は漁獲量に比例して多ければ下がり安く手に入る。

 その時、安価で大量に購入できる。また、「なめろう」の様に、味噌、アジの身の細切れ、ねぎとしょうがのみじん切りを混ぜた物。もっとパンチを効かせるため、中にニンニクのみじん切りを混ぜた物を作り、冷凍保存、長期間にわたり風味が落ちなければ、必ず大儲けできる。イカ、タコ、エビ、カニも取れない時期、提供できれば、評判が立ち繁盛するだろうと考えた。

 三郎は、特に、千葉のなめろうなら、魚の形が悪くとも、身が欠けたものでも、何でも使えるので、なめろうの冷凍を作成する事にした。そして料理店が暇になると、アジとイワシでなめろうを作り始めた。溶かしやすいように平べったく冷凍して作った。その後、アジ、イワシ、サンマ、サバ、カツオ。さらに、高級魚のブリ、マグロ、タイの「なめろう」も試作した。

 その後、1977年4月、「なめろう」の評判が良くなったので、安い時、形の悪くて安価な魚を大量一括買い自分の食堂の利益を増やす算段をした。さらに、奥さんが、ミンチならコロッケを作ると、子供達も喜ぶはずと、試作品を作った。そして自分の子供達になめろう・コロッケを出してみると大喜びして直ぐ、平らげてくれた。そして、美味しいと言ってくれた。

 そこで、食堂でも提供。すると持ち帰りたいというお客さんが増えたので食堂の「なめろうも」今晩中に食べる事を条件に持ち帰り許可した。これがヒットし、この店のトップ商品になった。高級魚を調理して出す店は、銚子に多いが、持ち帰りができる便利な魚料理店は、他になかったので、三郎コロッケ、三郎なめろうと商品名を書いた紙袋に入れて、お客さんに渡した。

 そうすると少し遠くからも評判を聞きつけた家族が、車で来るようになり三郎コロッケ、三郎なめろうは、人気がうなぎ登りとなり、農家のおばちゃんのアルバイトも募集して、大勢で作り始めた。

 そして、農閑期に大量に作り、冷凍保存して、冷凍のコロッケ、なめろうも売り出し、大々的に宣伝した。さらに、クチコミでも評判となり、三郎の食堂は、料理を食べに来る、お客さんの数より、店先のなめろう関連商品を買って帰る人の方が、圧倒的に多くなった。
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