第8話:米国の反撃と日本・本土爆撃へ

文字数 1,255文字

 開戦から半年、日本は圧倒的に有利で、東は太平洋の島々から、西は東南アジアにいたる一帯を占領した。占領地域で、日本は何をしたか。1つ、戦争を続けるために必要な資源や米を強制的にとる。2つ、鉱山や工場で強制的に働かせる。3つ、日本語教育を行う。4つ、日本式神社への参拝、天皇崇拝を強要する。5つ、虐殺と従軍慰安婦として強制連行する。

 それが、特に、韓国・中国・インドネシア・フィリピンなどでみられた。1942年、フィリピンのバターン半島を日本軍が占領。この時、日本軍は、捕虜にしたアメリカ軍とフィリピン兵を炎天下に約60km歩かせてアメリカ兵 2300人など多くの死者を出した。戦争中の日本軍が行った残虐行為の一つとして知られている。

 日本は 『大東亜共栄圏の建設』 をスローガンに 「アジアの諸民族を欧米の植民地支配から解放する 」 と訴えアジア各地に進駐。しかし日本としては戦争を続けるため石油・ゴムなどの資源やコメなどの食料を確保する必要があった。そこで日本は、占領した地域で軍政をしき、それまで支配していた欧米諸国に代わってアジアを支配した。

 現地の物資を徴発し、鉱山や工場で働かせたりした。それがわかるとアジアでは日本支配への日の丸を振り日本軍を歓迎する反抗が次第に表面化していった。1942年、ミッドウェーの海戦で日本が敗れる。アメリカは、日本のミッドウェー攻撃を事前に暗号で解読していた。この年の後半からアメリカの本格的な反抗が開始され、戦いの流れが変わった。

 ミッドウェー海戦の後、アメリカ軍は東方向から反攻し、太平洋の島々は次々とアメリカの手にわたった。1942年8月、アメリカは、南太平洋のガダルカナル島に上陸し、1943年2月、日本軍敗退。1944年6月、アメリカは、サイパン島に上陸。1944年7月、日本敗退。サイパン島陥落の責任を問う形で東条英機内閣は総辞職した。

 生きて捕虜となるなという日本軍の命令は民間人を巻き込みサイパン島の戦いでは女性を含めて大勢の人が断崖から海に身を投げた。そのため、そこは米軍によりバンザイクリフと名づけられた。サイパン島には米軍航空基地が作られ日本爆撃の基地となった。以前アメリカ軍の攻撃機はハワイの基地を飛び立ってきたが、日本まで距離があるため日本への空襲はできなかった。

 サイパン島の日本への距離的近さを考えると、サイパン島の陥落は、アメリカ軍の日本本土への空襲を可能にした。そんな時、千葉の保田から成東虎之助に電話が入った。数日後、保田家を訪ねた成東に、おまえの銀行口座を教えろと言われた。理由をたずねると、日本本土が空襲を受け、日本の敗戦が濃厚となった。敗戦後、日本の国は、大きな財政赤字となった。

 そのため、必ず、大増税で、借金を返すことになるだろう。その時は、財産の多い者からむしり取ることになるはずだ。だから、お前に、俺の財産を一時的に預けたいと言った。どうせ世帯に対して増税するはずだから、他の所帯でないと、分散する意味がいないと話した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み