第26話:フセインの処刑と三郎夫妻のアメリカ旅行

文字数 1,306文字

 3月19日にフセイン大統領とその一族の国外退去を求め、それが実現しなければ軍事行動を行うという最終通告を行いフセインが応じず、翌日、空爆を開始。その軍事行動は国連の平和維持活動「PKO」でも、国連決議による多国籍軍でもない、アメリカ軍とイギリス軍など30数ヶ国の「有志連合」による一種の集団的自衛権の行使という形をとらざるをえなかった。

 その背景には、政権内の新保守主義「ネオコン」といわれる勢力「国防長官のラムズフェルドやウォルフォヴィッツ、ボルトンといった人たち」が台頭し、冷戦終結後のアメリカ合衆国の単独行動主義が強まった現れと見られる。サダム、フセイン政権が崩壊した2003年4月、無政府状態に陥ったバグダードでは略奪・強盗が横行しイラク国立博物館も襲撃の対象とされた。

 その結果、約1万5千点が略奪され、密売目的で外国に持ち出された。イラク軍は想定以上の抵抗があったが、アメリカ軍は劣化ウラン弾やクラスター爆弾を投入してその抵抗力を抑え、2003年4月4日にはバクダードに突入。9日には市民とアメリカ軍の手によってフセイン像が引き倒され、フセイン政権は倒壊。5月1日にはイラク軍の組織的な抵抗は終わった。

 そして、ブッシュ大統領は勝利宣言を行った。フセイン自身は、その後も潜伏を続け、同年12月、捕捉された。2005年10月からイラク高等法院で裁判に付され2006年12月に死刑判決後、すぐ処刑された。これで完全に終了したかの様に思えたが、同時多発テロの首謀者と言われるビン・ラーディンを捕獲する迄、この事件の終わらないと、アメリカでは考えられた。

 そして2008年があけ、三郎は、今迄、苦労をかけた奥さんの智子を連れて5月8日からシアトルからポートランド、ラスベガス、サンディエゴ、ロサンゼルスの旅に出た。成田空港を飛び立ってシアトル・タコマ空港に到着後。その後、シャトルバスでシアトル市街のホテルに14時過ぎに到着。ホテルにチェックインし一休みしてパイクプレースマーケットを見学した。

 その後17時半にシーフードで有名な店に入り、ゆっくり夕食を取ったが、美味しかった。暗くなり、ホテルに帰り、シャワーをあびて床についた。翌日は、時差もあって、9時過ぎまで寝ていた。そして、10時にスペースニードルへ出かけたが、観光客が多く、道が渋滞していて、到着したのが11時半となり、展望室に上る前に、昼食を取ることにした。

 入店するときには、席が空いていたが、出る頃には行列ができていた。タワーの展望室に登って、周りを見渡すと、遠くにはタコマ富士が見え、シアトルの海が一望できた。展望室を散策し20分くらい滞在して、降りてくると13時近くなっていた。ニードルタワーを後にして、スターバックス1号店に向かう事にして、14時頃に到着。

 少し待って、店内に入るとクラシックな感じが残るもののスターバックのロゴが見えて、ちょっと、素敵な感じで、良い雰囲気だった。もちろんコーヒーブレークを楽しみ、ケーキとのセットを頼んで、ゆっくりした。最後に、セイコーフィールド・スタジアム「野球場」の周辺も散策し、ホテルに戻った。
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