第21話:虎之助が倒れ、その後、亡くなる

文字数 1,610文字

 やがて1981年も秋風が吹いてきて、11月が過ぎて、足早に過ぎて行った。そして1982年を迎えた。1982年2月7日の寒い朝、成東虎之助が、早朝、胸が苦しい、痛いと言いだし、奥さんが慌てて、救急車を呼んだ。直ぐに、近くの、旭中央病院に担ぎ込まれて、診断の結果、急性心筋梗塞とわかり、緊急手術となった。

 直ぐに、三男の三郎に連絡すると、孫の成東繁と徹が病院に駆けつけた。1時間ほどでPTCAバルーン手術が終わった。それで胸の痛みは、収まったが、毎月1回ずつ、検査をするように言われ、旭中央病院に通いだした。その頃、虎之助の家では、虎之助の容態が心配になり、三郎が同じ家に住んで、虎之助がお金を出して古くなった農家を改修しようと言った。

 今、住んでいる4LDKの農家と大きな4Kの離れの改修工事を地元の工務店に依頼し、見積もりを取ると予算2千万円で引き受けてくれた。畳部屋を1つ残し、それ以外は全て洋室にして、風呂とトイレを洋式にし新品に交換。屋根もスレートに替え、外壁の傷んでいる箇所を交換し、全部塗り替える。そして、同じ敷地の家に、三男の三郎に住んでもらう様に頼んだ。

 三郎が、一銭も出さないで、大丈夫か聞くと、虎之助が金なら大丈夫と言った。そして、1982年6月、改修工事が全て終了した。虎之助の家に、奥さんと、孫の成東繁と成東徹が住んでくれ、もう1つの家に息子の三郎と奥さんが住んでもらうことになった。その後、虎之助は、胸の痛みを訴えず、過ごした。秋風が吹き始め寒くなり12月を迎え、1983年があけた。

 2月7日の早朝、虎之助の奥さんの優美さんの大きな悲鳴で、成東繁と成東徹が飛び起きた。お爺さんの部屋に行くと優美さんが虎之助が死んだと言った。兄の繁は、口元に手をやると既に息をしていなくて、脈を計ると打っていない。弟の徹は、駆け足で、隣に住む、三郎を起こしに行った。直ぐに、三郎達が、駆けつけて、虎之助の枕元に来た。

 成東繁に、どうだと聞くと、亡くなったと、静かに答えた。そこで、三郎が、病院に電話をすると、すぐに、虎之助さんのご遺体を車で病院に運んで下さいと言われて、車に乗せて、病院へ向かった。病院に着くと救急室に運ばれ先生がやってきて脈拍、瞳孔を確認し、ご臨終ですと言い、死亡時刻を告げた。30分程で、死亡診断書を書きますので、待って下さいと告げた。

 その後、それを役場に持って行き、成東虎之助さんの死亡の手続きをとって下さいと言われた。しばらくして封筒に入った死亡診断書を渡してくれた。病院での精算を終えて、ご遺体は、少しの間、預かりますから、できるだけ早く、葬儀社の人に言って遺体を引き取りに来て下さいと告げられた。

 その頃には、空が白々明け始めた。近くの葬儀社に電話を入れて、虎之助の遺体の引き取りの話、葬儀の打ち合わせをしたいと言うと、できるだけ早く病院に向かいますと言われ電話を切った。20分程で霊柩車が、来て、虎之助の遺体を棺に入れた。そして自宅に帰って近親者が、手分けして、役場で、虎之助さんの死亡の手続きを取った。

 孫の成東繁が、父の三郎に、お父さんは、店があるから、店に行って、仕事の指示を出して下さいと言い、ここは、私と弟の徹が手伝いますから大丈夫ですと言った。すると三郎と奥さんが、宜しく頼むと言い、何かあったら直ぐに電話してくれと告げた。その後、家を後にし、店に車で出かけた。その後、繁が、中心となって、葬儀の場所と時間の連絡を調べる事にした。

 すると、ここから8kmはなれた旭第2斎場で1983年2月12日、午前11時から葬儀ができる事になり予約を入れた。その後、虎之助さんの奥さんの優美さんに預金口座を聞くと、3つの銀行に口座がある事わかり車で出かけて、口座を閉鎖して、全て、奥さんの優美さんの口座に入金する手続きを取った。そうしているうち、昼になり、昼食を取り、家に帰った。
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