第23話:成東食堂の成功

文字数 1,333文字

 その後、優美さんが、三郎の経営する成東食堂の借入金がなくなった事で、旦那さんが亡くなった時の故人の遺産2億円を、長男の和彦に1億円、次男の研次に1億円残すと遺言に書き入れた。その後、成田空港の拡大と共に、成東食堂の成長も一層、加速していった。その後、1988年、三郎は、60歳になって成東食堂を成田空港食堂店と成田駅前食堂店に分けた。

 そして成田空港食堂店の社長を成東徹にして成田駅前食堂店の社長に成東繁を抜擢した。この頃の成田空港食堂店の売上は月1億円、成田駅前店食堂も月1億円となり利益率は50%を超えた。つまり、年間純利益6億円を超えていたのであった。従業員は30人ずつだった。これで十分に利益が取れたので、それ以上手を広げることは、せず、利益率向上をめざした。

 そんな1988年、2月3日早朝、成東優美さんが起きてこないので成東繁が部屋に入ると、冷たくなっていた。成東繁が病院に運んで医者に診せると急性心不全で昨晩、亡くなったと話した。優美さんが生前、三郎に、私の親戚は、ここにいないので、もし、万が一の時は、家族葬でかまわないから、静かに見送って欲しいと言っていた。そこで、以前依頼した葬儀社に話した。

 葬儀は、家族と一部、成東食堂の方を入れて6人、葬儀を行う事にした。葬儀の日取りは、2月8日11時からとなった。葬儀当日、みぞれ交じりの寒い日で車2台で斎場へ行き、荼毘にふされている間、故人の思い出話をして在りし日の優美さんの思い出を語った。故郷を離れても寂しい顔一つせずに子孫達のために尽くしてくれたことは、生涯忘れないと、三郎が言った。

 その後、骨を三郎と、成東繁、成東徹の3人で、とり行い、別れを告げた。その翌日、三郎が、長男の和彦と次男の研次に遺産の1億円の話をすると、2人とも、もう高齢だから必要ないし、三郎の所では、商売をしているのだから、有効に使ってくれと言われ、お礼を言って、使わせてもらうと告げた。そして、成東食堂の資金として、使わせてもらうことにした。

 さらに、三郎は、東大を出て、頭脳明晰であり、日本経済の成長にかけたいと、ソニーとマイコンのメーカーの日本電気と富士通に興味を持っていた。その後、株式四季報を読んでいた。NECのPC9801CVというパソコンの表集計ロータス123を使って、買いたい株であるソニー、日本電気、富士通の標準偏差を計算して、買い値を決めた。

 計算すると1988年は、株価は高く、下げを待つべきだとわかり、じっと待った。三郎は、成東食堂の重職からは解放されたが、相談役として問題点の洗い出しや改善点の指摘などの仕事をする相談役になり、各店舗を不定期に訪問した。そして接客態度、調理商品の味や盛りつけなどを調査し続けて、毎月20万円の給料をもらい資産は1億円を超えた。

 そして問題のある接客態度をとった職員を呼びつけて注意して改善がされていないと退職させたりもいた。そして1989年を迎えた。その頃、注目していた株は、全て高値にあり。下げ始めると予想したとおり秋から下げ始めた。食堂では、マグロを好む外人客が多い事がわかり、マグロの価格が、落ちた所を買いつけ、冷凍して刺身として店で出すと外人客に好まれた。
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