その②
文字数 1,168文字
教皇領ファティマは、国都メサイアの中心部から北西に位置する【洗礼者の丘】の上にあり、領地の東西南北四ヶ所には、ラファーン軍が駐屯するための城塞が築かれている。
面積でいえば、ファティマは国都全体の五分の一ほどの大きさしかない。
その狭い国土の中に、ダーマ神教の創始者たるヨブ・ファティマの名を冠した都市国家は広がっているのだ。
ファティマの夜は静寂という一語につきる。
街中の各所には華美さをおさえた、だが歴史の重さと建築美術の荘厳さを感じさせる建物が整然と建ちならんでいるが、通りを歩く人の姿はほぼ皆無といっていい。
夜、酒に酔い、街中で浮かれ騒ぐような軽薄な人間はこの都には存在しないのだ。
レンガ造りの、あるいは木造りの質素な館の奥。
ランプの淡い光につつまれながら静かに書物に目を通し、紙上にペンを走らせ、神に今日一日の安穏を感謝しながら葡萄酒の入ったグラスに自らの信仰を無言のうちに映す。そのような人々が住む街なのである。
その一画。教皇領の行政府、別名【ファティマ聖庁】とも称される教皇庁の建物は、周囲を濃い緑葉樹の森に囲まれた街の北端に建つ。
ダーマ教皇の居城である【聖ファティマ宮殿】や、教圏諸国の君主の戴冠式などに使われる【聖ファティマ大聖堂】などにくらべると、教皇庁の建物は巨大でもなければ荘厳でもない。
質素な石造りの総四階建ての建物は、知らぬ者が見れば領内で働く聖職者たちの集合住居と思うであろう。
だが、荘厳でも華麗でも巨大でもないこの建物こそ、五十余の国々からなる教圏世界を統べる事実上の聖座であった。
この建物内で秘密の会話がかわされ、指示が下されると、各地に派遣された聖職者たちが動きだし、目撃された【奇蹟】の調査に動く。
あるいは異端者や背教者の調査と捜索命令がひそかに発動され、対象となった者に対する苛烈な「処置」が実行される。
または仰心に疑問符がつけられた君主と極秘に接触し、叱責し、諭し、信仰の重要性を説き、それでも改まらないときは「病」などを理由に王位からの退位を迫る。
ある意味において教皇以上の権力、果断さ、そして冷淡さをもって教圏の国々を統べる最強の行政機関。それがダーマ教皇庁なのである。
この夜、その教皇庁の四階にある奥まった一室では、グレアム枢機卿を筆頭に奇蹟調査局の審議官である大司教たちが集まり、円卓を囲んでいた。
日々、教圏各地からもたらされてくる数々の【奇蹟】と、それに付随する報告について意見をかわしあうのが常であり、今宵も例外ではなかった。
この夜だけでも二十を超える報告や問題について議論がかわされ、その中のひとつにバスク王国からもたらされた案件があった。