その⑥
文字数 3,024文字
直後、瞬間的にキリコは後方に飛びすさった。
横殴りに放たれてきた巨爪が、旋風となって襲いかかってきたのだ。
必殺の一撃をかわされたのも束の間。さらにカルマンは飛びすさったキリコに、丸太のような巨腕を鞭のようにうならせて二撃、三撃を放ってきた。
巨腕を振りまわす速さといい、宙空を裂く巨爪の猛迫さといい、常人であればとうにその身体は無惨に斬り裂かれ、血まみれの肉塊となって床を転がっていたことだろう。
だが、キリコは常人ではなかった。
カルマンの苛烈な爪撃をひょいひょいと軽やかにかわし続けると、にわかに宙空に跳躍し、右の掌から聖光砲の一撃を撃ち放った。
薄闇の中を一条の閃光が疾走し、一瞬後、カルマンの肩口に音をたてて炸裂した。
無数の体鱗が火花のようにはじけ飛び、咆哮のようなうめき声が噴きあがる。
その衝撃で怪異な巨体は大きくのけぞり、均衡をくずしたカルマンはよろめくように数歩退いたが、わずかな間をおいて大きく裂けた口からとどろいたのは苦悶の悲鳴ではなく、勝ちほこったような哄笑だった。
「きかぬ、きかぬぞ、小僧っ!」
音もなく床に降りたったキリコを睨みつけ、カルマンはさらに吠えたけった。
「わが体躯をおおう体鱗はこの鉤爪同様、岩鉄に匹敵する硬度をもつのだ。貴様の妖術など蚊のひと刺しほどの痛痒も感じぬわ!」
「そのわりには足下がふらついていますよ、ベルド家の若君」
「ほざけっ!!」
雷鳴を思わせる怒号とともに、カルマンがまたも鉤爪をふるって突進してきた。
獲物に向かって蛇の鎌首が踊るように、左右あわせて十本の鉤爪がキリコを襲う。
突きさす、振りあげる、打ちおとす。
血肉に飢えた巨爪がうなりをあげ、それをキリコがかわしよけるたびに、打ち砕かれた床材が破片となって一帯に飛び散った。
まさに息をつぐ間もない、くるめく巨爪の旋風。
左に右に後方にと体術を駆使して飛びかわし続けるキリコに、聖光砲を撃つ隙すらあたえない。
「どうした、小役人。ネズミのようにちょこまかと逃げまわるために、わざわざバスクにまできたのかっ!?」
嘲りながらも攻撃の手はゆるめない。
縦横に打ちこまれる巨爪の連撃は確実にキリコを追いつめ、ついには爪先が上着をかすめ、ひきちぎられた黒革の繊維が宙空を流れた。
「ぐっ……」
「もらったぞ、小僧っ!!」
飛びかわす動きがわずかに鈍った瞬間を、カルマンは見逃さなかった。
その巨体には似つかわしくない、迅速な足さばきでキリコとの間合いを詰めると、その頭上に雷光のごとき一撃を打ちおとした。
だが五条の爪光がキリコの頭上に閃いた次の瞬間。異音をたてて砕けたのは赤毛におおわれた頭ではなく、一瞬前まで立っていた床だった。
雷速の爪撃を紙一重でかわし、宙空に飛びかわしたのである。
頭上高く舞うキリコの姿に、黄褐色の蛇眼が驚愕ににごった。
「ば、ばかなっ!」
「今度はこちらの番だ、カルマン卿!」
一瞬にして天井近くまで飛びいたったキリコは、すぐさま左の掌を眼前にかざし、眼下のカルマンめがけてふたたび聖光砲を撃ちはなった。
狙いはその蛇頭だ。
峻烈にほとばしった光の砲弾が、蛇頭の魔人めがけて一直線に宙空を降下していく。
対するカルマンは、回避することは不可能と判断したのか。
逃げるどころか逆にその場に踏みとどまり、両腕を面前で交叉させて迫りきた光弾をうけとめた。
とどろく炸裂音。
噴きあがるうめき声。
飛び散る光の粒。
のけぞる上半身によろめく下半身。
一瞬、衝撃で膝から崩れ落ちかけたが、それにカルマンは耐えた。
耐えると同時に頭上を見あげ、宙空を舞うキリコに吠えたけった。
「失敗したな、小僧。身動きのとれぬ宙空では、わが爪撃をかわすことはできぬぞっ!」
咆哮の残響が消えぬうちに、床を踏みならしてカルマンが跳んだ。
超重量級の体躯ゆえか、それはわずかな高さの跳躍にすぎなかったが、長大な巨腕の射程内にキリコをとらえるには十分だった。
「は、速いっ!?」
巨爪を閃かせて跳びあがってきたカルマンに、キリコは目をむいた。
聖光砲の直撃をうけたにもかかわらず、これほど迅速に反撃に転じてくるとは予測していなかったのだ。
迫りきた豪速の一撃に、キリコはとっさに両腕を交叉させて防御をはかったが、それはまるで意味をなさなかった。
聴く者の心を総毛立たせるような殴打音がとどろいた直後、横殴りの一撃をまともにうけたキリコの身体は、まるで強烈な突風に吹き飛ばされた木の葉のような無力さで、広間の宙空を吹き飛んでいった。
だが、広間の壁に頭から激突しようとした、その寸前――。
「聖光態!」
にわかにキリコの絶叫が広間内にとどろき、ほぼ同時、その身体が突如として黄金色の光につつまれた。
宙空でくるくると回転しながら体勢を整え、壁面に対して垂直に「着地」したのは直後のことである。
猫科の動物を思わせる、しなやかで軽やかな着地動作。だが壁面がうけた衝撃は軽くはなかった。
壁面に「着地」した瞬間、足下の壁面が悲鳴をあげて陥没し、部材が細かな破片となって飛び散り、一瞬遅れて今度は蜘蛛の巣を想起させる亀裂が壁面を縦横に走った。
異音を響かせながら走った亀裂が、やがて天井と床それぞれに達しようとしたとき。またしても壁が悲鳴をあげて部材を飛び散らせた。
キリコが壁を蹴って宙空に飛んだのだ。
「――な、なんだっ!?」
光の尾をひく黄金色の流星。
そうとしか表現できない姿で広間の宙空を突進してくるキリコを視認したとき、蛇頭の魔人はおもわず声をひびわらせた。
キリコへの一撃は、カルマンにしてみれば渾身にして必殺の一撃。
常人であれば殴打をうけた瞬間に即死はまぬがれないものだった。
たとえ運よく即死をまぬがれたとしても、半死の状態で壁にたたきつけられ、崩落した部材と砂埃の中に血まみれの屍体を埋もらせることは確実であった。
ところが現実には、即死もしなければ屍塊になることもなく、それどころか逆にその壁を利用し、反転跳躍して宙空を飛翔してくるではないか。
全身を得体の知れない光に包みこみながら……。
「き、貴様はいったい……!?」
カルマンは驚愕にひびわれた声を最後まで発することはできなかった。
猛烈な速度で宙空を飛んできたキリコの蹴りが、よける間もなく腹部に炸裂したのだ。
直後、声もなく吹き飛ばされたカルマンの巨体は、くの字に折れまがった状態で広間の宙空を疾走し、ほどなく床にたたきつけられ、その上を三転四転した後、背中から壁に激突した。
その瞬間、まるで地震でも生じたかのように広間はごうと揺れ、その衝撃で壁材だけではなく天井の部材までもが滝水のように落ちてきた。
たちまち生じた砂塵のカーテンの中に異形の巨体は隠れ、さらに追い打ちをかけるように壁と天井の部材がたてつづけに崩落してくる。
さながら巨象が突進したかのような震動と破壊。
いっそ隔壁を突き破らなかったのが不思議なくらいであった。
横殴りに放たれてきた巨爪が、旋風となって襲いかかってきたのだ。
必殺の一撃をかわされたのも束の間。さらにカルマンは飛びすさったキリコに、丸太のような巨腕を鞭のようにうならせて二撃、三撃を放ってきた。
巨腕を振りまわす速さといい、宙空を裂く巨爪の猛迫さといい、常人であればとうにその身体は無惨に斬り裂かれ、血まみれの肉塊となって床を転がっていたことだろう。
だが、キリコは常人ではなかった。
カルマンの苛烈な爪撃をひょいひょいと軽やかにかわし続けると、にわかに宙空に跳躍し、右の掌から聖光砲の一撃を撃ち放った。
薄闇の中を一条の閃光が疾走し、一瞬後、カルマンの肩口に音をたてて炸裂した。
無数の体鱗が火花のようにはじけ飛び、咆哮のようなうめき声が噴きあがる。
その衝撃で怪異な巨体は大きくのけぞり、均衡をくずしたカルマンはよろめくように数歩退いたが、わずかな間をおいて大きく裂けた口からとどろいたのは苦悶の悲鳴ではなく、勝ちほこったような哄笑だった。
「きかぬ、きかぬぞ、小僧っ!」
音もなく床に降りたったキリコを睨みつけ、カルマンはさらに吠えたけった。
「わが体躯をおおう体鱗はこの鉤爪同様、岩鉄に匹敵する硬度をもつのだ。貴様の妖術など蚊のひと刺しほどの痛痒も感じぬわ!」
「そのわりには足下がふらついていますよ、ベルド家の若君」
「ほざけっ!!」
雷鳴を思わせる怒号とともに、カルマンがまたも鉤爪をふるって突進してきた。
獲物に向かって蛇の鎌首が踊るように、左右あわせて十本の鉤爪がキリコを襲う。
突きさす、振りあげる、打ちおとす。
血肉に飢えた巨爪がうなりをあげ、それをキリコがかわしよけるたびに、打ち砕かれた床材が破片となって一帯に飛び散った。
まさに息をつぐ間もない、くるめく巨爪の旋風。
左に右に後方にと体術を駆使して飛びかわし続けるキリコに、聖光砲を撃つ隙すらあたえない。
「どうした、小役人。ネズミのようにちょこまかと逃げまわるために、わざわざバスクにまできたのかっ!?」
嘲りながらも攻撃の手はゆるめない。
縦横に打ちこまれる巨爪の連撃は確実にキリコを追いつめ、ついには爪先が上着をかすめ、ひきちぎられた黒革の繊維が宙空を流れた。
「ぐっ……」
「もらったぞ、小僧っ!!」
飛びかわす動きがわずかに鈍った瞬間を、カルマンは見逃さなかった。
その巨体には似つかわしくない、迅速な足さばきでキリコとの間合いを詰めると、その頭上に雷光のごとき一撃を打ちおとした。
だが五条の爪光がキリコの頭上に閃いた次の瞬間。異音をたてて砕けたのは赤毛におおわれた頭ではなく、一瞬前まで立っていた床だった。
雷速の爪撃を紙一重でかわし、宙空に飛びかわしたのである。
頭上高く舞うキリコの姿に、黄褐色の蛇眼が驚愕ににごった。
「ば、ばかなっ!」
「今度はこちらの番だ、カルマン卿!」
一瞬にして天井近くまで飛びいたったキリコは、すぐさま左の掌を眼前にかざし、眼下のカルマンめがけてふたたび聖光砲を撃ちはなった。
狙いはその蛇頭だ。
峻烈にほとばしった光の砲弾が、蛇頭の魔人めがけて一直線に宙空を降下していく。
対するカルマンは、回避することは不可能と判断したのか。
逃げるどころか逆にその場に踏みとどまり、両腕を面前で交叉させて迫りきた光弾をうけとめた。
とどろく炸裂音。
噴きあがるうめき声。
飛び散る光の粒。
のけぞる上半身によろめく下半身。
一瞬、衝撃で膝から崩れ落ちかけたが、それにカルマンは耐えた。
耐えると同時に頭上を見あげ、宙空を舞うキリコに吠えたけった。
「失敗したな、小僧。身動きのとれぬ宙空では、わが爪撃をかわすことはできぬぞっ!」
咆哮の残響が消えぬうちに、床を踏みならしてカルマンが跳んだ。
超重量級の体躯ゆえか、それはわずかな高さの跳躍にすぎなかったが、長大な巨腕の射程内にキリコをとらえるには十分だった。
「は、速いっ!?」
巨爪を閃かせて跳びあがってきたカルマンに、キリコは目をむいた。
聖光砲の直撃をうけたにもかかわらず、これほど迅速に反撃に転じてくるとは予測していなかったのだ。
迫りきた豪速の一撃に、キリコはとっさに両腕を交叉させて防御をはかったが、それはまるで意味をなさなかった。
聴く者の心を総毛立たせるような殴打音がとどろいた直後、横殴りの一撃をまともにうけたキリコの身体は、まるで強烈な突風に吹き飛ばされた木の葉のような無力さで、広間の宙空を吹き飛んでいった。
だが、広間の壁に頭から激突しようとした、その寸前――。
「聖光態!」
にわかにキリコの絶叫が広間内にとどろき、ほぼ同時、その身体が突如として黄金色の光につつまれた。
宙空でくるくると回転しながら体勢を整え、壁面に対して垂直に「着地」したのは直後のことである。
猫科の動物を思わせる、しなやかで軽やかな着地動作。だが壁面がうけた衝撃は軽くはなかった。
壁面に「着地」した瞬間、足下の壁面が悲鳴をあげて陥没し、部材が細かな破片となって飛び散り、一瞬遅れて今度は蜘蛛の巣を想起させる亀裂が壁面を縦横に走った。
異音を響かせながら走った亀裂が、やがて天井と床それぞれに達しようとしたとき。またしても壁が悲鳴をあげて部材を飛び散らせた。
キリコが壁を蹴って宙空に飛んだのだ。
「――な、なんだっ!?」
光の尾をひく黄金色の流星。
そうとしか表現できない姿で広間の宙空を突進してくるキリコを視認したとき、蛇頭の魔人はおもわず声をひびわらせた。
キリコへの一撃は、カルマンにしてみれば渾身にして必殺の一撃。
常人であれば殴打をうけた瞬間に即死はまぬがれないものだった。
たとえ運よく即死をまぬがれたとしても、半死の状態で壁にたたきつけられ、崩落した部材と砂埃の中に血まみれの屍体を埋もらせることは確実であった。
ところが現実には、即死もしなければ屍塊になることもなく、それどころか逆にその壁を利用し、反転跳躍して宙空を飛翔してくるではないか。
全身を得体の知れない光に包みこみながら……。
「き、貴様はいったい……!?」
カルマンは驚愕にひびわれた声を最後まで発することはできなかった。
猛烈な速度で宙空を飛んできたキリコの蹴りが、よける間もなく腹部に炸裂したのだ。
直後、声もなく吹き飛ばされたカルマンの巨体は、くの字に折れまがった状態で広間の宙空を疾走し、ほどなく床にたたきつけられ、その上を三転四転した後、背中から壁に激突した。
その瞬間、まるで地震でも生じたかのように広間はごうと揺れ、その衝撃で壁材だけではなく天井の部材までもが滝水のように落ちてきた。
たちまち生じた砂塵のカーテンの中に異形の巨体は隠れ、さらに追い打ちをかけるように壁と天井の部材がたてつづけに崩落してくる。
さながら巨象が突進したかのような震動と破壊。
いっそ隔壁を突き破らなかったのが不思議なくらいであった。