その⑧
文字数 1,470文字
その頃、広間内ではキリコとシェリルがようやく起きあがろうとしていた。
「おい、大丈夫か?」
そう声をかけて、先に立ちあがったキリコがシェリルに手をさしのべた。
「ええ、なんとか……」
応じたシェリルの表情はいまだ混乱しているようにも見えたが、それでもキリコの光輝く手を握り、ゆっくりと立ちあがった。
直後、シェリルは見た。キリコの身体から発光が失われていく瞬間を。
「光が消えた……?」
「うん。あまり長い時間、続けられるものではないのでね、聖光態は」
シェリルに怪我がないことを確認するとキリコはすぐに露台へと駆け出たが、その足は露台内を数歩踏みだしただけで止まった。
わずかな時間、キリコはなにかを感じとるように露台内にたたずんでいたが、やがてひとつ息を吐きだすとゆっくりとした歩調でシェリルのもとに戻ってきた。
破壊された大窓と、無念さをにじませた表情でそこから戻ってきたキリコを見やり、シェリルはすべてを察した。
「に、逃げたの、あの人?」
「どうやらそのようだ」
苦笑まじりにキリコはうなずいた。
建物付近にカルマンの魔気はまったく感じられない。
おそらく屋敷はおろかすでに敷地内からも飛び出して、周囲に広がる深い森の中に逃げ去ったのであろう。
そのことをキリコが告げると、安堵したのかそれとも緊張の糸が切れたのか。シェリルはへなへなと床に崩れ落ち、その場にへたりこんでしまった。
しばしの時間、シェリルは放心したように床に座りこんでいたが、やがてひとつの事実に思いいたると立ちあがるなりキリコに質した。
「そ、そうよ。あの人は……カルマン卿はまだ生きているんでしょう?」
「ああ。《御使い》の生命力はかぎりなく不死に近いからな。腕の一本を斬り落としたくらいではまず死ぬことはない。それどころか数日もすれば腕も再生して、なにごともなかったようにピンピンしているだろう」
淡々と説明するキリコの顔をシェリルはきょとんとした表情で見つめていたが、みるみるうちにその顔は怒りにひきつった。
「ピンピンって……じゃあ、何をのんびりしているのよ。早く追いかけなさいよ。あいつを殺すために教皇庁からきたのでしょう、あなたは!?」
突然のシェリルの剣幕に、キリコはおもわず目をみはった。
「あ、あいつは私の家族を……弟は、ルチアはまだ七歳になったばかりなのに……それを、それを……!」
震える声と連なるように、シェリルの両目からたちまち大粒の涙があふれ落ちてきた。
「ジェラード侯爵に恨みがあるのなら、侯爵にだけ復讐すればいいじゃない。どうして関係のない人たちまで巻きこむのよ。私の家族がなにをしたっていうのよ!」
言葉になっていたのはそのあたりまでだった。
シェリルは嗚咽を漏らし、声をあげてその場に泣きくずれた。
そんなシェリルの姿をキリコは無言で見つめていたが、やがて自分の上着をその身体にかけて静かに語りだした。
「追いかけてもいい。それが俺の使命だからな。でも、君はどうする。このまま屋敷もろとも焼け死ぬつもりなのか?」
「……えっ?」
シェリルは顔をあげてキリコを見やった。
キリコの発した言葉の意味を、とっさに理解できなかったのだ。
それが理解できたのは、どこからともなく聞こえてきたパチパチというなにかが焼けるような異音と、広間内に漂いつつあった熱気と白煙によってだった。