その⑤
文字数 1,615文字
薄闇の中で奇怪な影がうごめき、奇怪なうめき声が大気を微動させた。
広間の一角に小山のように盛りあがった怪異なその黒影を、シェリルはなかば自失した態で見守っていたが、やがてその口からあえぐような声が漏れた。
「な、なんなのよ、あれは……!?」
いかに不死身の魔人とはいえ、人間の姿であったときは首が折れまがろうが顔が消えようが、すくなくとも「カルマン卿」と呼べる存在であった。
しかし目の前で超魔態とやらに変貌した青年貴族は、もはや人間と呼べるだけの姿を成していなかった。
蛇の頭と人間の四肢。
むろん服は着ておらず、かわりに腹部と内太股以外の体面を暗褐色の鱗がおおっていた。
身体の大きさと比較して不均衡なまでに伸長した巨腕の先には、まるで暴君竜の爪を思わせる湾曲状の鉤爪が凶暴な光をたたえていた。
左右に大きく裂けた口の中には無数の鋭い歯牙が光り、さらにその奥には、深紅色の細長い舌が上下左右に踊るのが見える。
黄褐色の光を発する丸い眼はまさしく蛇の眼そのもので、まるで毒蛇が擬人化したようなその姿にシェリルの舌はもつれ、「ス、ス、ス」となかなか言葉にならない。
「蛇人間! これが《御使い》の正体なの!?」
「いや、すべて同じというわけではない」
声をわななかせるシェリルに、キリコは頭を振ってみせた。
「個々の《御使い》によって、さまざまな怪物に変身する。狼の怪物であったり、猿の怪物であったりな。おそらくこのカルマンという御仁は、人間であったときは蛇のように狡猾で嫌らしい性格の持ち主だったのかも知れんな」
「そういうものなの、超魔態って?」
「いや、知らん。そんな気がしただけさ」
「あ、あのね……」
二人がそんなやりとりをしている間にも、蛇頭人体の怪物と化したカルマンは圧倒的な量感をともなって動きだした。
人間であったときとくらべて身長は二倍。体重にいたってはおそらく五倍はあるであろう怪異な巨体が一歩踏みだすたびに、厚く強固なはずの広間の床が鈍い悲鳴をあげた。
「たしかキリコとかいったな、小役人よ」
黄褐色に光る丸眼をじろりと動かし、カルマンはキリコを見すえた。
口の中で舌でも鳴らしているのか、シュルルという奇怪な音が漏れ聞こえてくる。
「この姿を見た以上は、もはや貴様には確実な死があるのみだ。貴様らが信奉するダーマの神も助けてはくれんぞ。グフフ」
まさに爬虫類の笑声。キリコ以外の者が見れば、それだけで卒倒したであろう。
シェリルが顔を蒼白にさせながらも意識を維持できたのは、ある意味、奇跡に近かった。
だが奇怪な笑声とは対照的に、黄褐色に光るふたつの蛇眼にはキリコへの敵意と憎悪とが沸騰していた。
怪異な姿をさらさざるをえなくなった屈辱の念が、そこには垣間見えた。
そのことにキリコは気づいていたが、あえてそしらぬ態をよそおい肩ごしにシェリルに声を投げた。
「シェリル、できるだけ離れていろ」
「ど、どうする気なの?」
「きまっている。あの怪物を倒すのさ。教皇庁からそう命じられてきたんだからな」
「倒すって、あ、あれを……!?」
正気の沙汰じゃないわ。そう言いたげにキリコを見つめるシェリルの表情は、キリコの決意に驚いているというよりはむしろ呆れているそれだった。
それに気づいたのであろう。キリコが苦笑を漏らす。
「まあ、やってみるさ。さあ、はやく離れるんだ」
シェリルはうなずき、一目散に広間の奥隅へと走っていった。
金属がこすれるような擦過音がキリコの鼓膜を刺激したのは直後のことだ。
両手の鉤爪をこすりあわせながら、カルマンが歩を進めてきたのだ。
「覚悟するがいい、小僧。その肉体、この鋼の爪で細切れにひき裂いてやるわっ!」