その⑧
文字数 3,043文字
「――だが、諸卿らの知らぬ事実がここにある!」
峻烈な声、という表現があるならば、まさにこの声がそうであろう。
ひと声で貴族たちの意識を過去から現在に引き戻すことに成功したカルマンは、語調そのままに余人が知らぬ秘められた事件の「裏側」について語りはじめた。
カルマンは言う――。
ひとつ、事件現場となった屋敷で働いていた料理人は全部で十五人。だが、調理場で遺体となって発見されたのは十四人だったこと。
ふたつ、後日、湖で溺死体となって発見された残りの一人は、事件の一ヶ月前までジェラード侯爵の屋敷で働いていた料理人であったこと。
みっつ、ベルド家の陰謀と結論づけた憲兵隊長が、その後、この湖水地方の一角に、およそ憲兵の俸給ではとうてい入手不可能な豪華な別荘を建てていたこと。
さらにその土地は、ジェラード侯爵の親族から譲りうけたものであったこと……。
カルマンの口から語られた秘められた事実に、貴族たちの間にざわめきが生じたが、彼らの面上に浮かんだ心の声は「まさか」という驚きのものではなく、むしろ「やはり」という得心にも似たものだった。
一連の事件の裏では宮廷におけるシャラモンの政敵であったジェラード侯爵と、その一派による「なんらかの関与」があったのではないかと、貴族たちの間ではまことしやかにささやかれていたのだ。
それを公然と口にする者がいなかったのは、むろん確たる証拠がなかったからだが、それ以上に彼らを沈黙に走らせたのは、最大の敵が消え、いまや名実ともにバスク最大の貴族となりおおせたジェラード侯爵に睨まれたくはない、という自衛本能が働いたのもたしかであった。
ざわめきがおさまるのと前後して、貴族たちは一人また一人と視線を動かした。
期せずして視線が注がれた先にいたのはジェラード侯爵である。
不審と疑念に満ちた貴族たちの視線に気づき、バスク最大の貴族は声をわななかせた。
「ば、ばかな! まるで私が裏で陰謀の糸をひいていたような言いぐさではないか!?」
ジェラード侯爵を見すえるカルマンの顔に、優美なまでの冷笑が浮かんだ。
「そのとおりだ、侯爵。すべては貴様の奸計であったのだ。謀略と刺客をもってわがベルド家に大逆犯の濡れ衣を着せたこと、よもや知らぬとは言わぬであろうな?」
「な、なにを世迷いごとを言うかっ!」
激憤のきわみ。ジェラード侯爵は床を蹴りつけて吐きすてると、カルマンに指を突きつけてあらたな怒号をその顔に投げつけた。
「貴様、妄言もいいかげんにしろ! そのような大それたことをして、いったい私になんの益があるというのか。下手をすれば、大逆犯として処断されていたのは私のほうではないかっ!?」
口から唾を飛ばしてわめくジェラード侯爵を、カルマンは冷然とした目で見すえた。
「そう……貴様の言うとおり、一連の謀略には貴様にもそうとうなリスクをともなわせることはたしかだ。だが、どれほどの危険をともなおうとも、貴様にはそれをやらなければならない事情があったのだ」
「じ、事情だと……?」
なんのことだと反問したげな表情のジェラード侯爵に答えることなく、カルマンは無言で広間内の貴族たちに向き直り、高い声を吐きだした。
「諸卿らは知っていたか。国王ハルシャ三世が、次の国王に第二王子のグレシャム王子を即位させる意向であったことを!」
そう言い放つとカルマンは口を閉じ、自分の発した言葉の効果を楽しむかのように薄笑いをたたえて貴族たちを眺めやった。
自らの発言に対する貴賓たちの反応は、カルマンが期待したどおりの、否、それ以上の成果をもたらした。
誰もがカルマンの言葉に「とほうもない衝撃」をうけ、ざわめきすらなく壇上のカルマンを凝視していた。
バスク国王ハルシャ三世には二人の息子がいる。
一人は、この年二十七歳になる長男のウォレス王子。
もう一人は、五歳年少の次男グレシャム王子である。
ともに洗練された容姿の王子たちであるが、こと性格となると、そこには実の兄弟とは思えないほどの違いがあった。
長男のウォレス王子は、二年前にジェラード侯爵の娘を后に迎えいれて家庭をもうけたが、神聖王国の模範的君主と評されている父王とは対照的に信仰心や倫理とは無縁の人物で、幾人もの愛妾を囲い、商人から賄賂を受けとり、同年代の貴族たちと毎日のように遊び歩くという放蕩三昧の生活を送るなど、父王の悩みの種となっていた。
一方、次男のグレシャム王子は父王同様、ダーマ神教の敬虔な教徒で、教義で定められている朝夕二回の礼拝を怠ったことは、洗礼をうけた五歳のときから一度もない。
まだ独身であるにもかかわらず異性との交流よりも神学などの学問を好むという性格で、奔放な兄からはたびたび変人扱いされていた。
当人は第二王子という立場もあり、王族としての人生よりも僧籍に入り、聖職者としての立身を考えていたようである。
放蕩癖のある第一王子と信仰心の厚い第二王子。対照的な性格の二人の王子に、バスクの貴族たちは「愚兄賢弟の見本だな」などと陰でささやいていたものである。
バスク王家にかぎらず長子即位は王位継承の基本ではあるが、王家の将来を考えれば父王の判断はむしろ英断ともいえた。
驚愕から解放された貴族たちの顔に一様に得心の色が広がったのは、彼らも国王の判断を英断と思ったからであろう。
だが、そのように考える貴族が大勢を占める中で、ただ一人、蒼白の態で沈黙を守る貴族の姿をカルマンの碧い目は見逃さなかった。
「フフフ。さすがに貴様だけは皆と思いを等しくというわけにはいかぬようだな、ジェラード侯爵」
冷笑まじりの一語に鼓膜を刺激されたジェラード侯爵は、はっとわれに返り、壇上のカルマンを見返した。
「な、なんのことだ?」
「貴様にしてみれば王族をはじめ多方面にあらゆる手を尽くし、ようやく自分の娘をウォレス王子の后とすることに成功したというのに、弟のグレシャム王子に即位されてはその苦労も水の泡となってしまう。商人どもの言葉を借りれば、それまでの投資が無駄になる。そうであろう、侯爵?」
国王の義父として権勢をふるおうとしていた野心と、そのための尽力が無為になる恐れがあることをカルマンが薄笑いまじりに指摘すると、またしても憤激のきわみ、ジェラード侯爵は歯をむきだしにしてわめきだした。
「そ、それがどうしたというのだ! 次期国王の即位の話と貴様の父親が犯した事件と、なんの関係があるというのだっ!?」
カルマンは繊弱なあごの付近に、肉食獣めいた微笑をたたえた。
「ジェラード侯爵。貴様の狙いは国王の岳父として権勢をふるい、このバスクを実行支配することにあった。ところがハルシャ王が次男のグレシャム王子を即位させる意向であることを、おそらく貴様はウォレス王子から聞いたのであろう。そのことを知り貴様はウォレス王子以上に驚き、焦り、そして考えた。即位の件を国王が発表する前に、わが父シャラモンを利用して国王を謀殺してしまおうと。いや、貴様たちというべきかな。なぜなら国王弑逆計画には、娘婿たるウォレス王子も加担していたのだから……」
「――――!?」
峻烈な声、という表現があるならば、まさにこの声がそうであろう。
ひと声で貴族たちの意識を過去から現在に引き戻すことに成功したカルマンは、語調そのままに余人が知らぬ秘められた事件の「裏側」について語りはじめた。
カルマンは言う――。
ひとつ、事件現場となった屋敷で働いていた料理人は全部で十五人。だが、調理場で遺体となって発見されたのは十四人だったこと。
ふたつ、後日、湖で溺死体となって発見された残りの一人は、事件の一ヶ月前までジェラード侯爵の屋敷で働いていた料理人であったこと。
みっつ、ベルド家の陰謀と結論づけた憲兵隊長が、その後、この湖水地方の一角に、およそ憲兵の俸給ではとうてい入手不可能な豪華な別荘を建てていたこと。
さらにその土地は、ジェラード侯爵の親族から譲りうけたものであったこと……。
カルマンの口から語られた秘められた事実に、貴族たちの間にざわめきが生じたが、彼らの面上に浮かんだ心の声は「まさか」という驚きのものではなく、むしろ「やはり」という得心にも似たものだった。
一連の事件の裏では宮廷におけるシャラモンの政敵であったジェラード侯爵と、その一派による「なんらかの関与」があったのではないかと、貴族たちの間ではまことしやかにささやかれていたのだ。
それを公然と口にする者がいなかったのは、むろん確たる証拠がなかったからだが、それ以上に彼らを沈黙に走らせたのは、最大の敵が消え、いまや名実ともにバスク最大の貴族となりおおせたジェラード侯爵に睨まれたくはない、という自衛本能が働いたのもたしかであった。
ざわめきがおさまるのと前後して、貴族たちは一人また一人と視線を動かした。
期せずして視線が注がれた先にいたのはジェラード侯爵である。
不審と疑念に満ちた貴族たちの視線に気づき、バスク最大の貴族は声をわななかせた。
「ば、ばかな! まるで私が裏で陰謀の糸をひいていたような言いぐさではないか!?」
ジェラード侯爵を見すえるカルマンの顔に、優美なまでの冷笑が浮かんだ。
「そのとおりだ、侯爵。すべては貴様の奸計であったのだ。謀略と刺客をもってわがベルド家に大逆犯の濡れ衣を着せたこと、よもや知らぬとは言わぬであろうな?」
「な、なにを世迷いごとを言うかっ!」
激憤のきわみ。ジェラード侯爵は床を蹴りつけて吐きすてると、カルマンに指を突きつけてあらたな怒号をその顔に投げつけた。
「貴様、妄言もいいかげんにしろ! そのような大それたことをして、いったい私になんの益があるというのか。下手をすれば、大逆犯として処断されていたのは私のほうではないかっ!?」
口から唾を飛ばしてわめくジェラード侯爵を、カルマンは冷然とした目で見すえた。
「そう……貴様の言うとおり、一連の謀略には貴様にもそうとうなリスクをともなわせることはたしかだ。だが、どれほどの危険をともなおうとも、貴様にはそれをやらなければならない事情があったのだ」
「じ、事情だと……?」
なんのことだと反問したげな表情のジェラード侯爵に答えることなく、カルマンは無言で広間内の貴族たちに向き直り、高い声を吐きだした。
「諸卿らは知っていたか。国王ハルシャ三世が、次の国王に第二王子のグレシャム王子を即位させる意向であったことを!」
そう言い放つとカルマンは口を閉じ、自分の発した言葉の効果を楽しむかのように薄笑いをたたえて貴族たちを眺めやった。
自らの発言に対する貴賓たちの反応は、カルマンが期待したどおりの、否、それ以上の成果をもたらした。
誰もがカルマンの言葉に「とほうもない衝撃」をうけ、ざわめきすらなく壇上のカルマンを凝視していた。
バスク国王ハルシャ三世には二人の息子がいる。
一人は、この年二十七歳になる長男のウォレス王子。
もう一人は、五歳年少の次男グレシャム王子である。
ともに洗練された容姿の王子たちであるが、こと性格となると、そこには実の兄弟とは思えないほどの違いがあった。
長男のウォレス王子は、二年前にジェラード侯爵の娘を后に迎えいれて家庭をもうけたが、神聖王国の模範的君主と評されている父王とは対照的に信仰心や倫理とは無縁の人物で、幾人もの愛妾を囲い、商人から賄賂を受けとり、同年代の貴族たちと毎日のように遊び歩くという放蕩三昧の生活を送るなど、父王の悩みの種となっていた。
一方、次男のグレシャム王子は父王同様、ダーマ神教の敬虔な教徒で、教義で定められている朝夕二回の礼拝を怠ったことは、洗礼をうけた五歳のときから一度もない。
まだ独身であるにもかかわらず異性との交流よりも神学などの学問を好むという性格で、奔放な兄からはたびたび変人扱いされていた。
当人は第二王子という立場もあり、王族としての人生よりも僧籍に入り、聖職者としての立身を考えていたようである。
放蕩癖のある第一王子と信仰心の厚い第二王子。対照的な性格の二人の王子に、バスクの貴族たちは「愚兄賢弟の見本だな」などと陰でささやいていたものである。
バスク王家にかぎらず長子即位は王位継承の基本ではあるが、王家の将来を考えれば父王の判断はむしろ英断ともいえた。
驚愕から解放された貴族たちの顔に一様に得心の色が広がったのは、彼らも国王の判断を英断と思ったからであろう。
だが、そのように考える貴族が大勢を占める中で、ただ一人、蒼白の態で沈黙を守る貴族の姿をカルマンの碧い目は見逃さなかった。
「フフフ。さすがに貴様だけは皆と思いを等しくというわけにはいかぬようだな、ジェラード侯爵」
冷笑まじりの一語に鼓膜を刺激されたジェラード侯爵は、はっとわれに返り、壇上のカルマンを見返した。
「な、なんのことだ?」
「貴様にしてみれば王族をはじめ多方面にあらゆる手を尽くし、ようやく自分の娘をウォレス王子の后とすることに成功したというのに、弟のグレシャム王子に即位されてはその苦労も水の泡となってしまう。商人どもの言葉を借りれば、それまでの投資が無駄になる。そうであろう、侯爵?」
国王の義父として権勢をふるおうとしていた野心と、そのための尽力が無為になる恐れがあることをカルマンが薄笑いまじりに指摘すると、またしても憤激のきわみ、ジェラード侯爵は歯をむきだしにしてわめきだした。
「そ、それがどうしたというのだ! 次期国王の即位の話と貴様の父親が犯した事件と、なんの関係があるというのだっ!?」
カルマンは繊弱なあごの付近に、肉食獣めいた微笑をたたえた。
「ジェラード侯爵。貴様の狙いは国王の岳父として権勢をふるい、このバスクを実行支配することにあった。ところがハルシャ王が次男のグレシャム王子を即位させる意向であることを、おそらく貴様はウォレス王子から聞いたのであろう。そのことを知り貴様はウォレス王子以上に驚き、焦り、そして考えた。即位の件を国王が発表する前に、わが父シャラモンを利用して国王を謀殺してしまおうと。いや、貴様たちというべきかな。なぜなら国王弑逆計画には、娘婿たるウォレス王子も加担していたのだから……」
「――――!?」