その⑨
文字数 1,578文字
「屍生人ですって? でも、あれは空想上の怪物でしょう」
屍生人とは、「悪魔憑き」と呼ばれる一種の憑依現象によって屍体のまま蘇った、文字どおり屍体のまま生きる人間のことである。
神教圏の国々においては、異教徒や背教者の死後の姿として、聖職者などの口からこの存在がたびたび語られる。
ダーマの教義に背いた者は死後において天上の世界にいくことはかなわず、屍生人となって未来永劫、現世をさまようことになる。だから日々の敬虔な信仰心が大切というわけだ。
むろん、話をするほうも聞くほうも、そのような怪物がこの世に実在するとは本気で思っていない。
信仰心の大切さを説くための、一種の方便として教会によって創造された空想上の怪物だ。
すくなくともシェリルは、これまでそう信じてきた。
だが、シェリルがそのことを口にすると、薄い苦笑がキリコの口もとをかざった。
「空想の怪物かどうか、今宵、君は身をもって知ったはずだが?」
「…………」
シェリルは声を詰まらせた。たしかにそのとおりであった。
空想上の怪物というなら、自分の家族や他の貴族たちを次々と殺したあの兵士たちは、いったいなんだというのか……。
「世間では悪魔憑きなどとも呼ばれているが、正直なところ、どういう魔道の法なのかはわれわれ教皇庁の人間にもよくわからない。ただひとつたしかなのは、《御使い》は死者をも自在に操ることができるということだ。今宵、君たちを襲わせたようにな」
得体の知れない冷たいものが背中を流れ落ちるのを自覚しつつ、シェリルはさらに疑問を口にした。
「で、でも、どうしてカルマン卿がそんな怪物に?」
「彼は転生したのさ。自分の一族を破滅においやった連中に復讐するためにな」
「転生って……つまり、生まれ変わったということ?」
そのとおり、と、キリコは小さくうなずいた。
「もしかしたら君も目撃したんじゃないかな。そう、今から一月くらい前。夜空が朱色に染まった奇怪な光景をさ」
「……み、見たわっ!」
おもわず声を高くさせたシェリルは、自身が目撃した怪異な現象について語りはじめた。
「夜、屋敷で飼っている犬がやたら騒ぐので窓から外を見たら、西の方角の空が赤く染まっていたの。それも夕焼けのようなあざやかな赤色ではなくて、なにかこう、黒ずんだ血のような色に。なにかの天変地異の前ぶれじゃないかって、屋敷の使用人たちが怯えていた。もちろん、私もだけど……」
「あれは〈ヴラドの渇き〉という現象だ」
「ヴラドの……渇き?」
「そう。この世に《御使い》が誕生するときに発生する、一種の怪異現象だ。空が朱色に染まったあの夜、カルマン卿は人間であることを棄てたのさ。さっきも言ったように、一族を破滅においやった人々に復讐を……」
言いさしてキリコは声をのみこみ、頭ごと視線を転じた。
それまでの温雅な表情から一変、ただならぬその険しい顔つきに気づき、シェリルも同じ方向に視線を走らせた。
コツコツという異音に気づいたのは直後のことである。
「な、なに、この音?」
「気づかれたか……」
蝶番が鈍い擦過音を奏でた直後、広間の扉のひとつがゆっくりと開き、そこから一個の人影があらわれた。
広間内をおおう薄闇にその容貌はすぐには確認できなかったが、大窓から差しこんできた月光がそれを解決した。
あざやかな黄金色の光に照らされたその素顔を見たとき、シェリルはおもわず息をのみ、心身を戦慄に硬直させた。
舞踏会場で見たときは知らなかったが、今ならその正体がわかる。
一族の復讐のために《御使い》なる悪魔に生まれ変わった青年貴族のことを……。
屍生人とは、「悪魔憑き」と呼ばれる一種の憑依現象によって屍体のまま蘇った、文字どおり屍体のまま生きる人間のことである。
神教圏の国々においては、異教徒や背教者の死後の姿として、聖職者などの口からこの存在がたびたび語られる。
ダーマの教義に背いた者は死後において天上の世界にいくことはかなわず、屍生人となって未来永劫、現世をさまようことになる。だから日々の敬虔な信仰心が大切というわけだ。
むろん、話をするほうも聞くほうも、そのような怪物がこの世に実在するとは本気で思っていない。
信仰心の大切さを説くための、一種の方便として教会によって創造された空想上の怪物だ。
すくなくともシェリルは、これまでそう信じてきた。
だが、シェリルがそのことを口にすると、薄い苦笑がキリコの口もとをかざった。
「空想の怪物かどうか、今宵、君は身をもって知ったはずだが?」
「…………」
シェリルは声を詰まらせた。たしかにそのとおりであった。
空想上の怪物というなら、自分の家族や他の貴族たちを次々と殺したあの兵士たちは、いったいなんだというのか……。
「世間では悪魔憑きなどとも呼ばれているが、正直なところ、どういう魔道の法なのかはわれわれ教皇庁の人間にもよくわからない。ただひとつたしかなのは、《御使い》は死者をも自在に操ることができるということだ。今宵、君たちを襲わせたようにな」
得体の知れない冷たいものが背中を流れ落ちるのを自覚しつつ、シェリルはさらに疑問を口にした。
「で、でも、どうしてカルマン卿がそんな怪物に?」
「彼は転生したのさ。自分の一族を破滅においやった連中に復讐するためにな」
「転生って……つまり、生まれ変わったということ?」
そのとおり、と、キリコは小さくうなずいた。
「もしかしたら君も目撃したんじゃないかな。そう、今から一月くらい前。夜空が朱色に染まった奇怪な光景をさ」
「……み、見たわっ!」
おもわず声を高くさせたシェリルは、自身が目撃した怪異な現象について語りはじめた。
「夜、屋敷で飼っている犬がやたら騒ぐので窓から外を見たら、西の方角の空が赤く染まっていたの。それも夕焼けのようなあざやかな赤色ではなくて、なにかこう、黒ずんだ血のような色に。なにかの天変地異の前ぶれじゃないかって、屋敷の使用人たちが怯えていた。もちろん、私もだけど……」
「あれは〈ヴラドの渇き〉という現象だ」
「ヴラドの……渇き?」
「そう。この世に《御使い》が誕生するときに発生する、一種の怪異現象だ。空が朱色に染まったあの夜、カルマン卿は人間であることを棄てたのさ。さっきも言ったように、一族を破滅においやった人々に復讐を……」
言いさしてキリコは声をのみこみ、頭ごと視線を転じた。
それまでの温雅な表情から一変、ただならぬその険しい顔つきに気づき、シェリルも同じ方向に視線を走らせた。
コツコツという異音に気づいたのは直後のことである。
「な、なに、この音?」
「気づかれたか……」
蝶番が鈍い擦過音を奏でた直後、広間の扉のひとつがゆっくりと開き、そこから一個の人影があらわれた。
広間内をおおう薄闇にその容貌はすぐには確認できなかったが、大窓から差しこんできた月光がそれを解決した。
あざやかな黄金色の光に照らされたその素顔を見たとき、シェリルはおもわず息をのみ、心身を戦慄に硬直させた。
舞踏会場で見たときは知らなかったが、今ならその正体がわかる。
一族の復讐のために《御使い》なる悪魔に生まれ変わった青年貴族のことを……。