その①
文字数 2,537文字
部屋の隅におかれた巨大な暖炉の中で、薪まきと炎がせめぎあう音をたてている。
室内は重厚な造りで色調も沈んだ雰囲気をかもしだしているが、一方で、所有者の個性をあらわす調度品の類は皆無といってよい。
部屋の中央におかれた黒檀こくたん造りの巨大な円卓。
卓上に置かれた数個の燭台。
円卓を囲むように並べられた十二個の革造りの安楽椅子、それだけである。
燭台の灯火は暖炉のぎらついた炎とくらべるとあまりに弱々しく、安楽椅子に座る男たちの顔ですらはっきりと照らすことはできない。
それでも黒を基調とした祭服姿の男たちの、その胸もとで鈍く輝く銀造りのロザリオだけは自らの存在を強く主張していた。
「……先刻、バスク王国より急報が届いた」
ふいに場に流れでたその声が、円卓を囲む男たちの視線をひとつの方向に向けさせた。
彼らの視線が固定された先には、銀色の頭髪をもつ一人の初老の男がいた。
年齢は六十代前半。
ととのった太い眉にするどく威圧感のある目つきが印象的な、精悍せいかんな風貌をした男である。
円卓を囲むほかの男たちを見まわしつつ、初老の男は低声で語をつないだ。
「バスク国教会のルシオン大司教からの伝報ふみによれば、今より五日前、同国にて〈ヴラドの渇き〉が確認されたとのこと。これすなわち、新たな《御使い》が同国のいずこかに誕生したこと意味する。急ぎかの国に聖武僧を派遣し、すみやかに対処せねばなるまい」
語尾に重なるように、同意のうなずきが列席者の間に連鎖した。
男の名をグレアムといった。
万物の創造主ダーマを唯一絶対の神として崇める【ダーマ神教】において枢機卿の階位をもち、その総本山たるダーマ教皇庁にあっては、内部組織の一つ【奇蹟調査局】の長官たる要職にあり、さらには次期教皇の有力候補者たることを目されている人物であった。
彼とともに円卓を囲む他の男たちも皆、大司教の階位をもつダーマ神教の高位司教であり、枢機卿に仕える奇蹟調査局の審議官であった。
グレアム枢機卿の発言後、しばし重い沈黙が座をおおっていたが、列席者の一人がゆっくりと手をあげてその静寂を破った。
五十年配の彫りの深い端整な顔だちをした長身の所有者で、名をシトレーという。
十二人いる審議官の一人で、グレアム枢機卿の側近として信を得ている人物として知られていた。
「シトレー卿には、誰か推挙したい者がおられるのか?」
グレアム枢機卿が訊ねるとシトレー大司教は小さくうなずき、声調をととのえた。
「はい、猊下。バスク王国は教圏南方の国。同じ南方のアーデルハイム王国には現在、聖キリコが滞在しております。かの者に一任してみてはいかがでしょうか?」
「聖キリコか……」
「さようです。アーデルハイムからバスクまではいささか距離はありますが、かの者であれば一日とかかりません。事態は急を要しておりますれば、まず適任ではないかと」
シトレー大司教の提案に、グレアム枢機卿だけではなくほかの大司教たちの間にも賛同が広がりかけた、そのとき――。
「また聖キリコですか、シトレー卿?」
毒のこもった声。そうとしか表現できない陰気な声が座の一角から流れでた。
誰何の視線が向けられた先にいたのは、列席者の一人バーハイデン大司教だった。
年齢はまだ四十代前半と、グレアム枢機卿やシトレー大司教とくらべるとひとまわりも若いが、グレー色のかかった髪にはすでに白いものが目立ち、両頬はげっそりと痩せこけ、そのせいか実齢以上にその容姿は老けてみえた。
「バーハイデン卿には、かの者への一任に、なにか異論でもあるのですかな?」
そう問うたシトレー大司教の声は相手が年少者にもかかわらず丁寧な口調であったが、それとは対照的に両目にはあきらかな不快の光があった。
そんなシトレー大司教の心情を知ってか知らずか、冷ややかな声がバーハイデン大司教の口から返ってきた。
「かの者を推挙したいシトレー卿のお気持ちはわかりますが、あまりこだわりすぎるのはいかがなものかと思いますな」
「こだわりすぎるとは異なことを言われる。地理的にはむろんだが、聖武僧としての彼のこれまでの功績をかんがみて、適任と思えったゆえに推挙したまでのこと。かの者のこれまでの実績を知らぬバーハイデン卿でもありますまいに」
「まあ、実績は認めましょう。しかしながら、今さら指摘するのもなんですが、かの者の父親はダーマの教義に背いた背教者ではありませんか。そもそもそのような人物の血縁者を教皇庁の守護者たる聖武僧に任じたことじたい、私としてはですね……」
「バーハイデン卿……」
胸の内で増幅する不快の発露をどうにかおさえつつ、シトレー大司教は噛みしめるように声を継いだ。
「親の罪が子におよぶ教義などダーマにはない。ましてやかの者は、十五の齢に聖武僧に任じられてから今日までの三年間、ダーマ神教と教皇庁のために、幾度となく死線を越えた働きを見せている。これ以上、なにを望むというのか」
「しかしですな、シトレー卿……」
「もうよかろう、バーハイデン卿」
グレアム枢機卿が両者の間に声をはさんできた。
聴く者の心にずしりと響く、重くてたしなめるようなその声に、バーハイデン大司教はたちまち発声の意志をそがれたらしい。ごく微量の不満の色を面上に浮かべるも、そのまま押し黙ってしまった。
一方、バーハイデン大司教とは理由は異なるが、同じように沈黙したシトレー大司教を見やりつつ、グレアム枢機卿は語をつないだ。
「シトレー卿の推挙をうけてかの者を聖武僧に任じたのは、ほかならぬこの私だ。もし、万にひとつにもかの者に背教の疑いあるときは、私とシトレー卿がその責をうけよう。だが今は、かの者の資質について議論をかわすよりも、バスク王国からの急報に対処するほうが先決だと思うのだが、バーハイデン卿は如何?」
「はあ、たしかに……」
反論の余地もなく、恐縮した態でうなずくバーハイデン大司教に、グレアム枢機卿は続けて問うた。