その⑨
文字数 1,637文字
そんなことを考えながら歩を進めるフェレンツ大司教の耳に、前を歩くグレアム枢機卿とシトレー大司教の会話が聞こえてきた。
「先ほどの続きですが、猊下。やはり人々の信仰がゆらいでいる要因は、昨今、われわれ聖職者の間に生じている、あいつぐ不祥事も影響していると見るべきでしょうな」
「うむ。たしかに要因のひとつであることは否定できぬな」
グレアム枢機卿の口から小さなため息が漏れた。
ここ一年だけ見ても、聖職者でありながら娼婦に溺れた者、寄進された金品を着服した者、教会の予算を流用して商売に手を出す者など、教圏各地から教皇庁にもたらされる不祥事の種類は多岐にわたり、かつ枚挙にいとまがない。
仮にも地上における神の代理人を称している者が世俗にまみれ、悪事に手を染めていては、いかに神の教えを説いても説得力をもたぬのは道理というものである。
後背からフェレンツ大司教が声をはさんできた。
「まじめに神を信じ、善行を積んでいる者がほとんどなのですが、残念ながら世の中というものは、善行に励む人間よりも悪事に走る人間のほうに関心がいきやすいものですからね。かといって事実を隠蔽すれば、事態はさらに悪化するでしょうし」
「そのとおりだ、フェレンツ卿」
グレアム枢機卿は振り返ることなくうなずき、語をつないだ。
「神の代理人たるわれらダーマ神教の聖職者は、常に試練に直面し、それを克服する責務をおびているのだ。不祥事の隠蔽という愚行に走ったが最後、われらは神の代理人としての資格を失い、それはすなわち、教圏世界の崩壊を意味する。地上の正義を保つためにも、われらは常に試練と向き合っていかなければならぬのだ」
「難儀なことですね」
若い大司教の率直な感想は、初老の枢機卿を苦笑させた。
「そう、たしかに難儀なことではある。だが、われらはそのことから逃げるわけにはいかぬ。神に仕える者が不都合な事実から目をそらし、不名誉を恐れて隠蔽に走るようなことがあれば、われらの先人たちが千年間かけて築きあげてきた、ダーマ神教と教皇庁の権威にほころびが生じるどころではすまぬ」
グレアム枢機卿が口を閉ざすと、三人の周囲にわだかまるような沈黙が訪れた。
二人の大司教が考えているよりも、グレアム枢機卿がはるかに深刻な懸念を現状に抱いていることに気づいたからだ。
三人は重い沈黙を保ちつつ、さらに階段を降り続けた。
それにしてもどこまで降りるのだろうか? 歩きつつフェレンツ大司教は内心でいぶかった。
なにしろ、ここまでかなりの段数を下ってきたはずなのに、ランプの灯火に照らされた石造りの階段はさらに下へ下へと続いているのだ。
もっとも、それ以上にフェレンツ大司教がいぶかった、というより驚いたのは、前を歩く二人の高位司教にである。
三十代の自分が息を乱し、足腰に疲労を感じているにもかかわらず、グレアム枢機卿とシトレー大司教は息を乱すどころか表情も足どりも平然としたもので、疲労など微塵も感じていないのはあきらかであった。
人知れず陰で、なにか肉体の鍛錬でもおこなっているのだろうか?
そんな疑問をフェレンツ大司教が脳裏にめぐらせている間にも、ようやく階段の先に出口らしき扉が見えてきた。
安堵の息を漏らすフェレンツ大司教の視線の先で、グレアム枢機卿とシトレー大司教は開けた扉をくぐり、数歩遅れてフェレンツ大司教もそれに続いた。
「こ、これは……!?」
扉をぬけて一歩踏みだしたとき、フェレンツ大司教は驚きのあまり声を失った。
それも当然であろう。
長く階段を下った先にフェレンツ大司教が目の当たりにしたのは、見わたすかぎり一面、白乳色に輝く世界が広がる鍾乳洞であったのだ。
雨水や地下水の浸食によって形づくられた天然の白岩石による空間が、頭上高く、そして奥深くへと広がりを見せていたのである。