その⑦
文字数 1,567文字
すると、それまで押し殺されていた気配が解放されて露わになった。
直後、二人が視線を走らせた先の薄闇が揺れ、ほどなく廊下の角から金色の髪をもつ若い男が姿をあらわした。
それは、すでに帰路についたはずのフェレンツ大司教であった。
純金を溶かして染めあげたかのような見事な黄金色の髪は、薄暗い廊下内にあってもはっきりとわかる。
「……はい、猊下。私も同じ考えです」
そう応じると、もはや隠れている必要もなくなったこともあってか。
フェレンツ大司教はそれまでとは一転した、若さに準じた颯爽とした足どりで二人の前にやってきた。
軽く頭をさげる若い大司教に、グレアム枢機卿が皮肉っぽい視線を向ける。
「夜分に諜者のまねごとかな、フェレンツ卿?」
「なにとぞ非礼をお許しください、猊下。かねてから私も〈あの男〉の姿をこの目で見てみたかったものですから、ついこのような手段をとってしまいました」
「われらが向かうと、なぜわかったのかね?」
「シトレー卿が一人部屋に残ったときに直感が働きました。おそらく〈あの男〉のもとに向かうために猊下はシトレー卿を残したのであろうと。そして結果は、やはりそのとおりでした」
グレアム枢機卿とシトレー大司教は同時に苦笑を漏らした。
あいかわらず頭が切れる男だ、と二人の表情は言いたげであったが、グレアム枢機卿が薄い笑いをたたえながら口にしたのは別のことだった。
「それにしても尾行とは、名門の誉れ高きフェレンツ家の子息にはそぐあわない行為だと思うのだが、どうかな?」
「平にご容赦を。すべては未熟者の幼稚な好奇心ゆえです」
あらためて非礼を詫びるフェレンツ大司教の顔には、声ほど悪びれた様子はない。
他方、グレアム枢機卿にも本気で咎めようとする様子はない。
微苦笑まじりにグレアム枢機卿は小さくうなずき、踵を返すとふたたび歩きはじめた。
ついてくるがいいという意思表示である。
フェレンツ大司教はにやりと笑い、二人の後を、今度は堂々とした歩調でついていった。
一階の通路を奥へと進んでいった三人の男たちは、ほどなく地下へと通じる両開きの大きな鉄扉の前にいたった。
そこには銀色の甲冑とサーベルで武装した、見るからに屈強な体躯つきの二人の衛兵が扉の前をかためている姿があった。
「これは枢機卿猊下……!」
深夜、唐突にあらわれた三人の高位司教に、二人の衛兵は驚いたように目をみはった。
とりわけ次期教皇との声もあるグレアム枢機卿の顔を知らぬ者は、教皇庁内はむろん教皇領内にも一人としていない。
緊張した態でしゃちほこばる二人の衛兵に、グレアム枢機卿は片手をあげて応じた。
「夜分の警備、ご苦労。地下に向かいたいので通してもらいたい」
「はっ。それでは恐縮ですが、規則にのっとり所属と名前と階位をお願いいたします」
「奇蹟調査局長官アレッサンドロ・グレアム。階位は枢機卿」
「同局審議官ダニエル・シトレー。階位は大司教」
「同じく審議官アルフォンツ・ド・フェレンツ。階位は大司教です」
三人があいついで名乗ると、二人の衛兵はそれぞれの内懐からウォード錠を取り出し、それを二箇所ある扉の鍵穴に入れた。
やがて厚く堅牢な鉄造りの扉は蝶番の鈍い金属音とともに開け放たれ、二人の衛兵は扉の前から一歩退いた。
「これも規則により、通過後はふたたび施錠させていただきます。なにとぞご了承ください」
グレアム枢機卿は小さくうなずいて衛兵に応じると開かれた扉をくぐり、二人の大司教をともなって奥へと進んでいった。
閉ざされる蝶番の響きと、それに続く施錠音が三人の鼓膜に届いてきたのは、それからすぐのことである。