その⑤
文字数 1,388文字
二人以外の気配が消えて静けさを取り戻した部屋で、グレアム枢機卿がおもむろに口を開いた。
「聖キリコの働き、あいかわらず見事なものだ、シトレー卿。よくぞこの一月足らずのわずかな期間のうちに、転生者の正体と狙いにまでたどりついた。たいしたものだ」
グレアム枢機卿の言葉に、シトレー今日は軽く低頭した。
「恐縮にございます、猊下。本人にかわって礼を申しあげます。されど転生者たるカルマン卿にたどりついておきながら、その彼を捕り逃がしたのは由々しき失態。先刻も申しあげましたように、すべてはかの者を推挙した私に責任がございますれば、当人には寛大な処置を願うものであります」
「なに、たいした傷手とはなるまい」
グレアム枢機卿は微笑し、軽く手を振ってみせた。
「ルシオン卿も書簡の中でふれていたが、聖キリコが短期間のうちにカルマン卿にたどりついたからこそ、害は王家にまでおよばずにすんだのだ。フェレンツ卿の言ではないが、バスク王をカルマン卿の魔手から救っただけでも十分な成果といえよう」
渇いた喉を潤すようにコーヒーの一杯を干し、枢機卿は語をつないだ。
「卿も知ってのとおり、かの国王は教圏諸国においても屈指の敬虔な神教徒。万が一にもかの王を失えば、それはバスク国内にとどまらず教圏全体にも影響をおよぼしたにちがいない。ジェラード侯爵をはじめとする犠牲者たちには気の毒であったがな」
「それでは猊下、バスク王のもとにはすでに警護の聖武僧を?」
「うむ、すでにかの国に派遣した。十名ほどの聖武僧がルシオン卿の指揮の下、これより王宮の内外を護衛することになるだろう。もっとも……」
言いさして言葉をきった枢機卿の口もとに、皮肉っぽい微笑が浮かんだ。
「当のカルマン卿にしてみれば、もはやバスク王に執着している場合ではなくなるであろうがな」
「たしかに……」
グレアム枢機卿の意図を了解し、シトレー大司教はうなずいた。
ほどなくダーマ教皇の御名によるカルマンの手配令が、すべての教圏諸国に発せられる。
罪状はジェラード侯爵をはじめとする貴族らへの殺戮行為と、そして悪魔崇拝者としてだ。
とくに後者は、教圏世界においては親殺しにも勝る重罪である。
早晩、カルマンの行動は著しく制限され、もはや人目を避けるように動くことを強いられるであろう。
そうなればバスク国王の生命をつけ狙う余裕などなくなる。それがグレアム枢機卿の論じるところであった。
そのグレアム枢機卿がふいに話題を転じた。
「ところで、シトレー卿。これからちと散策に付きあわぬか」
「散策、でございますか?」
唐突な、それでいて思わぬ誘いに、シトレー大司教は困惑したように瞬きをした。
グレアム枢機卿が薄く笑う。
「そうだ。久しぶりに〈あの男〉の顔が見たくなったのでな」
〈あの男〉という一語をグレアム枢機卿が口にした瞬間、シトレー大司教の表情に緊張めいた色が走った。
枢機卿が何者をさしているのか、シトレー大司教にはすぐにわかったのだ。
「シトレー卿も知ってのとおり、あそこに通じる道は二人でないと開けられぬのでな。卿にはすまぬが、しばし付きおうてくれぬか」
グレアム枢機卿は立ちあがり、シトレー大司教もそれに従って部屋を出た。