その⑦
文字数 1,552文字
「ひょっとして、この部屋にいるのは君だけか?」
「えっ?」
ふいに問われて、シェリルは返答に戸惑ったものの、
「う、うん。私しかいないと思うけど……」
「そうか……」
どうやら遅かったか。赤毛の若者はそうつぶやいたようにも聞こえたが、はっきりとはわからない。
視線の先であごを指でつまんだまま沈黙し、なにやら考えこんでいる。
そんなキリコの姿にシェリルはいつしか手にするナイフを降ろしていたが、それでもおそるおそる訊ねた。
「ね、ねえ、あなたはいったい誰なの?」
「うん? ああ、そういえば、まだくわしい自己紹介をしていなかったな」
温雅な笑みをたたえながら、キリコは内懐からなにかを取り出した。
その手の中にシェリルが見たのは、鈍い光沢を発する銀造りのペンダントである。
それだけならシェリルは驚かなかったであろう。
おもわず目をみはり、驚きにみちた視線をキリコに返した理由は、ペンダントの表面に刻まれている紋章にある。
「こ、これって教皇庁の……?」
X字にまじわった二本のウォード錠の鍵と、三重形状の教皇冠帽とが重なるように配された絵柄。
重なった二本の鍵は、神と人間、天上界と地上界との交わりをあらわし、三重形状の教皇冠帽はダーマ神教の最高司祭たる教皇だけが【神・人間・聖霊】の三者をつなぐ唯一の存在であることを表現している。
およそ教圏国の人間ならば知らぬ者はいない、ダーマ教皇庁の紋章である。
エルデイ領の担当司教がこれと同じペンダントを持っていたので、シェリルにはすぐにわかったのだ。
――ダーマ神教。それは大陸西方地帯に広く浸透する一神教の名である。
刻をさかのぼること千年前。万物の創造神ダーマより人類救世の啓示をうけた預言者ヨブ・ファティマによって創始され、迫害と弾圧で彩られた過酷な歴史を経た現在では、大陸西方地帯に散在する五十余の国々で国教と定められるまでに発展を遂げ、広大にして強固な一大宗教圏を築いている。
【地上に神の王国を築き、人類を悪魔の使いより救済せよ】
神託をうけたヨブ・ファティマは、自身に下された啓示を編纂した聖典【ヨブ記】をもとに布教を開始。
その活動拠点として創設された【ダーマ神教会】こそ、現在のダーマ教皇庁である。
ダーマ神教の総本山は教皇を首座とするダーマ教皇庁であるが、広義では教皇庁を中心に大聖堂、宮殿、美術館、図書館、病院、修道院、神学校、一般居住区などが整備された、人口五千人あまりの都市国家【ファティマ教皇領】をさす。
創始者の名を冠したこの都市国家は、教圏国の一国である神聖ラファーン帝国の国都内に領土をかまえるが、ダーマ教皇の直接統治の下、ラファーン帝国を含めたすべての教圏国から独立した存在であり、一方でそのすべてを宗教的支配下においている。
むろんバスク王国も、その支配下にある教圏国のひとつだ。
「さっきも言ったが、俺の名はキリコ。教皇庁奇蹟調査局の命令でここにきた」
「奇蹟調査局?」
その組織名はシェリルも聞いたことがある。
教皇庁の内部組織のひとつで、世の人々が体験もしくは目撃した理解不能な超常現象、いわゆる【奇蹟】を調査し、その研究をおこなっている学術機関だ。
伝え聞くところでは、博識と教養に秀でた学者肌の聖職者によって構成される組織とのことらしいが、シェリルには、目の前にいる赤毛の若者が「学者肌の聖職者」にはとても見えなかった。
しかし、嘘をついているようにも見えない。
なによりダーマ神教の聖職者たることを証明するペンダントも持っているし……。
「えっ?」
ふいに問われて、シェリルは返答に戸惑ったものの、
「う、うん。私しかいないと思うけど……」
「そうか……」
どうやら遅かったか。赤毛の若者はそうつぶやいたようにも聞こえたが、はっきりとはわからない。
視線の先であごを指でつまんだまま沈黙し、なにやら考えこんでいる。
そんなキリコの姿にシェリルはいつしか手にするナイフを降ろしていたが、それでもおそるおそる訊ねた。
「ね、ねえ、あなたはいったい誰なの?」
「うん? ああ、そういえば、まだくわしい自己紹介をしていなかったな」
温雅な笑みをたたえながら、キリコは内懐からなにかを取り出した。
その手の中にシェリルが見たのは、鈍い光沢を発する銀造りのペンダントである。
それだけならシェリルは驚かなかったであろう。
おもわず目をみはり、驚きにみちた視線をキリコに返した理由は、ペンダントの表面に刻まれている紋章にある。
「こ、これって教皇庁の……?」
X字にまじわった二本のウォード錠の鍵と、三重形状の教皇冠帽とが重なるように配された絵柄。
重なった二本の鍵は、神と人間、天上界と地上界との交わりをあらわし、三重形状の教皇冠帽はダーマ神教の最高司祭たる教皇だけが【神・人間・聖霊】の三者をつなぐ唯一の存在であることを表現している。
およそ教圏国の人間ならば知らぬ者はいない、ダーマ教皇庁の紋章である。
エルデイ領の担当司教がこれと同じペンダントを持っていたので、シェリルにはすぐにわかったのだ。
――ダーマ神教。それは大陸西方地帯に広く浸透する一神教の名である。
刻をさかのぼること千年前。万物の創造神ダーマより人類救世の啓示をうけた預言者ヨブ・ファティマによって創始され、迫害と弾圧で彩られた過酷な歴史を経た現在では、大陸西方地帯に散在する五十余の国々で国教と定められるまでに発展を遂げ、広大にして強固な一大宗教圏を築いている。
【地上に神の王国を築き、人類を悪魔の使いより救済せよ】
神託をうけたヨブ・ファティマは、自身に下された啓示を編纂した聖典【ヨブ記】をもとに布教を開始。
その活動拠点として創設された【ダーマ神教会】こそ、現在のダーマ教皇庁である。
ダーマ神教の総本山は教皇を首座とするダーマ教皇庁であるが、広義では教皇庁を中心に大聖堂、宮殿、美術館、図書館、病院、修道院、神学校、一般居住区などが整備された、人口五千人あまりの都市国家【ファティマ教皇領】をさす。
創始者の名を冠したこの都市国家は、教圏国の一国である神聖ラファーン帝国の国都内に領土をかまえるが、ダーマ教皇の直接統治の下、ラファーン帝国を含めたすべての教圏国から独立した存在であり、一方でそのすべてを宗教的支配下においている。
むろんバスク王国も、その支配下にある教圏国のひとつだ。
「さっきも言ったが、俺の名はキリコ。教皇庁奇蹟調査局の命令でここにきた」
「奇蹟調査局?」
その組織名はシェリルも聞いたことがある。
教皇庁の内部組織のひとつで、世の人々が体験もしくは目撃した理解不能な超常現象、いわゆる【奇蹟】を調査し、その研究をおこなっている学術機関だ。
伝え聞くところでは、博識と教養に秀でた学者肌の聖職者によって構成される組織とのことらしいが、シェリルには、目の前にいる赤毛の若者が「学者肌の聖職者」にはとても見えなかった。
しかし、嘘をついているようにも見えない。
なによりダーマ神教の聖職者たることを証明するペンダントも持っているし……。