その②
文字数 2,176文字
手にしていた侯爵夫妻の生首を無造作にほうり投げ、カルマンは怒気のゆらめく両眼でキリコを睨みつけた。
「どこの下郎かは知らぬが、この私に無礼な口をたたくと許さんぞ」
「この人は下郎なんかじゃないわ。れっきとした教皇庁のお役人さんよ!」
それまでキリコの背中に隠れていたシェリルが叫んだ。
その一語にキリコはあやうくよろめきそうになったが、なんとかこらえた。
むしろ心情の発露をおさえられなかったのはカルマンのほうだ。
「なに、教皇庁の役人だと!?」
教皇庁の名を耳にした瞬間、たちどころにカルマンの表情が一変した。
カルマン自身、「人間」であったときから信仰心とは無縁な性格で、教会に足を運んだことも数えるていどであったが、それでもダーマ神教とその総本山たる教皇庁を冒涜すべきではないことくらいはわきまえていた。
それだけに嘲罵した相手が教皇庁の人間と知り、さすがに驚いたのだ。
ひとつには、その装いからキリコが【教皇庁のお役人】に見えなかったこともある。
沈黙するカルマンを見すえつつ、キリコは淡々とした声で応じた。
「わが名はキリコ。教皇庁の命をうけて参上いたした」
「ほう……どうやら下郎という言葉は、取り消さねばならないようだな」
そう口にするカルマンであったが、すぐに冷笑が毒気をともなってきた。
「それで、教皇庁の役人がこの屋敷になんの用だ? 上役の司祭にでも命じられて、侯爵家に寄進の願い出にでもきたのかな?」
冷厳とした表情と声がそれに応えた。
「バスク諸侯カルマン・ベルド卿。あなたの生命をもらいうけにきたのだ」
「……なに?」
なんだ? 今、この男はなんと言ったのだ?
さしものカルマンもいささかならず意表を突かれて、戸惑ったようにキリコの顔を見なおした。
自分の命をもらいうけにきた。たしかに今、この男はそう言った。
命をもらいうけるとは、この私を殺しにきたというのか? 教皇庁に務める役人が……。
カルマンは小さく息をのみ、それまでとは異なる目色であらためてキリコの表情をうかがった。
驚きと困惑の念によるものか、その双眸は微妙に濁っていた。
「ほう、こいつはおもしろいことを言う。不殺生を説く教皇庁の人間が私を殺しにきたというのか。どうやら教会から足が遠のいていた間に、ダーマ神教は教義を変えたらしいな」
そう興がったように笑うカルマンであったが、その表情は中途半端に凍りついた。
視線の先に映る冷厳とした表情に、キリコが真剣であることを認識したからだ。
「理由は言わずともわかるはずだ、カルマン卿。それとも空が朱色に染まったあの夜、あなたの前に突如として出現し、その【魔体】をあたえた者は、われらのことについてなにも語らなかったのかな?」
「な、なにぃ!?」
カルマンはまたしても驚かされた。
余人が知るはずもない「自分の正体」と「あの夜」のことを、まるで当事者のごとくキリコが口にしたからだ。
(な、なぜ知っているのだ。いったい何者なのだ、この男は……!?)
キリコに対する驚愕と疑念が胸膈で増幅を続けたとき、それまで脳裏の奥深くに沈んでいたひとつの記憶をカルマンは思い起こした。
「そ、そうだ、思いだしたぞ……」
わずかな間をおいて、カルマンの口からあえぐような声が漏れた。
まるで喚起された記憶を噛みしめるかのようであった。
「た、たしかにあのとき【彼】は言った。いずれわが生命を狙うべく、教皇庁の刺客がわが前にあらわれるであろうと……たしかその刺客の名は聖武僧……!?」
カルマンはいったん言葉をきり、狼狽にうわずらせた声をキリコに投げつけた。
「それが貴様だというのかっ!?」
投げつけられた声にキリコは答えることなく、冷然とした宣告をカルマンに返した。
「カルマン・ベルド卿。教皇庁の命によりあなたの生命を頂戴させてもらう。覚悟していただこう」
烈しい声ではない。居丈高な口調でもない。
むしろ諸侯であった者への敬意すら含んでいる声だ。
にもかかわらずカルマンは、まるで音も光もない落雷をその身にうけたような衝撃を実感していた。
無意識のうちに自分が畏怖していることに気づいたのだ。
「お、おのれぇ……」
だが歯を噛み鳴らしながらうめき声を漏らしたとき、カルマンははたと気づいた。
自分はいったいなにに畏怖しているのだろうか、と。
その疑問に思いいたったとき、カルマンの口からくぐもった笑い声が漏れた。
カルマンは思いだしたのだ。
今の自分はもはや人間などという下等な生き物ではなく、超常の力と肉体をもつ【魔人】であるという事実を。
カルマンはひとつ息を吐き、自嘲ぎみにつぶやいた。
「フッ、私としたことがまさか教皇庁の名に惑わされて己を見失うとはな。どうやら信仰心とやらが、まだこの身にかすかにだが残っていたらしい……」
口を閉じると、カルマンは底光りするような眼でキリコを見すえた。
その顔には、さっきまで浮かんでいた畏怖の翳りはもはやなかった。
「どこの下郎かは知らぬが、この私に無礼な口をたたくと許さんぞ」
「この人は下郎なんかじゃないわ。れっきとした教皇庁のお役人さんよ!」
それまでキリコの背中に隠れていたシェリルが叫んだ。
その一語にキリコはあやうくよろめきそうになったが、なんとかこらえた。
むしろ心情の発露をおさえられなかったのはカルマンのほうだ。
「なに、教皇庁の役人だと!?」
教皇庁の名を耳にした瞬間、たちどころにカルマンの表情が一変した。
カルマン自身、「人間」であったときから信仰心とは無縁な性格で、教会に足を運んだことも数えるていどであったが、それでもダーマ神教とその総本山たる教皇庁を冒涜すべきではないことくらいはわきまえていた。
それだけに嘲罵した相手が教皇庁の人間と知り、さすがに驚いたのだ。
ひとつには、その装いからキリコが【教皇庁のお役人】に見えなかったこともある。
沈黙するカルマンを見すえつつ、キリコは淡々とした声で応じた。
「わが名はキリコ。教皇庁の命をうけて参上いたした」
「ほう……どうやら下郎という言葉は、取り消さねばならないようだな」
そう口にするカルマンであったが、すぐに冷笑が毒気をともなってきた。
「それで、教皇庁の役人がこの屋敷になんの用だ? 上役の司祭にでも命じられて、侯爵家に寄進の願い出にでもきたのかな?」
冷厳とした表情と声がそれに応えた。
「バスク諸侯カルマン・ベルド卿。あなたの生命をもらいうけにきたのだ」
「……なに?」
なんだ? 今、この男はなんと言ったのだ?
さしものカルマンもいささかならず意表を突かれて、戸惑ったようにキリコの顔を見なおした。
自分の命をもらいうけにきた。たしかに今、この男はそう言った。
命をもらいうけるとは、この私を殺しにきたというのか? 教皇庁に務める役人が……。
カルマンは小さく息をのみ、それまでとは異なる目色であらためてキリコの表情をうかがった。
驚きと困惑の念によるものか、その双眸は微妙に濁っていた。
「ほう、こいつはおもしろいことを言う。不殺生を説く教皇庁の人間が私を殺しにきたというのか。どうやら教会から足が遠のいていた間に、ダーマ神教は教義を変えたらしいな」
そう興がったように笑うカルマンであったが、その表情は中途半端に凍りついた。
視線の先に映る冷厳とした表情に、キリコが真剣であることを認識したからだ。
「理由は言わずともわかるはずだ、カルマン卿。それとも空が朱色に染まったあの夜、あなたの前に突如として出現し、その【魔体】をあたえた者は、われらのことについてなにも語らなかったのかな?」
「な、なにぃ!?」
カルマンはまたしても驚かされた。
余人が知るはずもない「自分の正体」と「あの夜」のことを、まるで当事者のごとくキリコが口にしたからだ。
(な、なぜ知っているのだ。いったい何者なのだ、この男は……!?)
キリコに対する驚愕と疑念が胸膈で増幅を続けたとき、それまで脳裏の奥深くに沈んでいたひとつの記憶をカルマンは思い起こした。
「そ、そうだ、思いだしたぞ……」
わずかな間をおいて、カルマンの口からあえぐような声が漏れた。
まるで喚起された記憶を噛みしめるかのようであった。
「た、たしかにあのとき【彼】は言った。いずれわが生命を狙うべく、教皇庁の刺客がわが前にあらわれるであろうと……たしかその刺客の名は聖武僧……!?」
カルマンはいったん言葉をきり、狼狽にうわずらせた声をキリコに投げつけた。
「それが貴様だというのかっ!?」
投げつけられた声にキリコは答えることなく、冷然とした宣告をカルマンに返した。
「カルマン・ベルド卿。教皇庁の命によりあなたの生命を頂戴させてもらう。覚悟していただこう」
烈しい声ではない。居丈高な口調でもない。
むしろ諸侯であった者への敬意すら含んでいる声だ。
にもかかわらずカルマンは、まるで音も光もない落雷をその身にうけたような衝撃を実感していた。
無意識のうちに自分が畏怖していることに気づいたのだ。
「お、おのれぇ……」
だが歯を噛み鳴らしながらうめき声を漏らしたとき、カルマンははたと気づいた。
自分はいったいなにに畏怖しているのだろうか、と。
その疑問に思いいたったとき、カルマンの口からくぐもった笑い声が漏れた。
カルマンは思いだしたのだ。
今の自分はもはや人間などという下等な生き物ではなく、超常の力と肉体をもつ【魔人】であるという事実を。
カルマンはひとつ息を吐き、自嘲ぎみにつぶやいた。
「フッ、私としたことがまさか教皇庁の名に惑わされて己を見失うとはな。どうやら信仰心とやらが、まだこの身にかすかにだが残っていたらしい……」
口を閉じると、カルマンは底光りするような眼でキリコを見すえた。
その顔には、さっきまで浮かんでいた畏怖の翳りはもはやなかった。