きみは美しかった-3

文字数 1,049文字

 過去の実験も踏まえながら、ヌエがどれだけ理想を追い求めようと、看護師のその目だけは決して、全てを受け入れようとしなかった。そこに見たのは反発や怯えでなくとも、油断はならなかった。ヌエは看護師を片時も手放すつもりはなかったし、まして慰み者にするわけでもなかったが、ヌエに忠誠を誓わせれば誓わせるほど、従わせれば従わせるほど、少年の魂が遠ざかっていくことだけは止められなかったし、元よりヌエに、少年にも人格があることなど理解することも、理解するつもりもなかったのだから、必然の未来ではある。

 それでもこの結果は、ヌエが渇望したものをようやく手に入れた事実と引き換えに、何かを永遠に喪失してしまったような、完璧な成功であって完璧な失敗なのだ。だからヌエは未だに、この看護師の亡き骸を辱め、忘我のエクスタシーに至ることを拒んでいる。

 嗚呼、これは確かに執着だ。粘着だ。らしくなく拘っているだけだ。

 それを誰かが愛だの恋だのと名付けるなら、そうなのかも知れなかった。惜しくなければ、さっさと解剖でも解体でもして、処分してしまえばいいのに、腐っていくだけとわかっていながら、防腐処理までして手元に置く理由なんて、どこにもない。

 記憶をなくし、過去を失っても、彼は嘆かなかった。目の前に広がる、不本意ながら手に入れてしまった今だけを見つめて、応えようとした。ヌエがどれだけ彼の自尊心を蔑ろにしようとも。彼の権利を踏みつけようとも。

 ドクター、と、均整の取れた唇で呼んでいた、あの頃が遠い。その唇は今や引き結ばれ、声を永遠に失って久しい。そうなるようにしたのはヌエだ。人形が意志を持って離れていかないよう、誰かに懐いて誰かの元へ行かないよう。

 



 遺体袋に眠る、人工的な美貌が、男でも女でもない体が、ヌエの傍らから居なくなってしまう日。命を繋いだ医者を救世主と崇めた瞳が、永久にヌエから逸らされ、別の何処かを、誰かを見つめることを。

 この少年が今のようになる前、元の体と顔立ちだった頃、純真無垢な背中を、猛スピードで走り抜ける車の前へ、それとなく突き飛ばした日。医者と名乗り出て救護し、傷だらけの体を引き取り、治療した日。本当はあの日から、ヌエは無意識に執着していた。世間に全き悪があると知らない横顔が、悪に触れて怯えて溺れる他なくなる様を、観察したいと願っていた。人らしい情緒を持たない生き物を前にして、無垢な少年がどんな感情を抱こうとも。

 ヌエが執着すればするだけ、

のかも知れない。
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