狐は虎をあいしている

文字数 1,099文字

 繁華街、とある雑居ビルの半地下に居を構える、デートクラブを兼ねた会員制のバーは、金と暇と色欲を持て余した富裕層と、ハウンドやハイエナ、ブローカーといった後ろ暗い職業の人間に門戸を開いている。そういった理由で常に満席になることはなく、良く言えば隠れ家のような、悪く言えば常に閑散としている場所だ。

 だからこそ、

「おいテメェ!」

 トラブルも多い。

 L字になったカウンター席と、二人掛けのテーブル席が横並びに三つあるだけの狭い店内。店の中で怒声や悲鳴が上がることは間々あって、この日も閉店間際に始まってしまった。

「俺の依頼横取りしやがって!」

 カウンター席で荒れたように飲んでいた中年男が、つい今しがた店へ入ってきた女連れの歳下の男を見つけるや否や、短気を起こして絡んでいく。ハウンドやハイエナの同業者が揃うため、こういったトラブルは茶飯事だ。

「横取りも何も、あんたは個人で受けた依頼でしょう?」

 胸倉を掴まれたまま、まだ二十代になったばかりと思しき男が飄々と応える横で、連れの女が店を出ていく。正しい判断だな、と、カウンター内で小競り合いを見つめるアゲハは思う。

 店長とバーテンを兼務するアゲハは、この手のトラブルなど見慣れてしまっていて、動揺などしない。今日は幸い一般客はおらず、カウンター席に座る顔ぶれは後ろ暗い面々か、こういったトラブル目当ての物見遊山で店に訪れる変わった常連客、それと──。

 アゲハはちらりと、一つだけ埋まっている、店の奥のテーブル席を見る。

 バキッ、と嫌な音がして目線をやると、中年男が若い男を殴ったところだった。

「たった一回、組織(うえ)からの依頼に応えただけで調子に乗るな!」

 口角泡を飛ばす勢いの中年男を、殴られた反動でよろめいた若い男が殴り返し、

「一回でも依頼されてから物言えってんだよ、腐れジジィ!」

 本格的に始まってしまった。

 もちろん、恐らくは同業者同士の小競り合いなので、止めに入る人間はいない。皆、その殴り合いを肴にして酒を楽しむような変わり者揃いだから、

「えーと、店内で揉め事は困ります」

 アゲハは店長としての体裁で、カウンター内から声を張り上げてみたものの。

 止まらない二人に、もう一度、テーブル席へ目線をやって、溜息をついた。

 どうして誰も気づかないのか。店内が喧嘩以外でこんなにもピリついているのに。酔狂な客を除けば、ここにいるのは小物ばかりなのじゃないか。

 仕方ないとアゲハが腹を括り、二人の間に割って入ろうとカウンターを出た瞬間。

 テーブルが倒れてグラスが割れる派手な音に、一瞬、静謐が訪れる。アゲハはもう、頭を抱えるしかない。

「ッせーんだよ、お前ら」
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