喰らふ

文字数 1,320文字

 スコープを覗いて照準を定める。狙うのは標的の頭部だ。政財界大物の禿頭。男からも女からも恨みを買いながら、これまでよく生きてこられたと思うような生き様の老人。

 遮蔽物なしに周囲を見渡せる、標的まで百メートル以内のビルの屋上に伏せって、フユトは機会を待っている。霧雨舞う冬の入口で、指先が悴んでいく。

 さすがに長生きする大物だけあって、周囲には要人警護が数人、警戒するように辺りを見回していた。時折、照準にかかる彼らの不規則な動きを観察して、一瞬の隙をつき、消音器付きライフルのトリガーを絞る。禿頭の向こう側に血霧が舞い、年齢にしては恰幅のいい身体が崩折れた。

 腕のいい傭兵を法外な賃金で雇っている、との噂通り、弾道と傷の入射角から判断したのだろう、異変に気づいた要人警護の一人と、スコープ越しに目が合った。ライフルを分解して格納する時間などなく、その場に放置し、外付けの非常階段を駆け下りる。

「──ク……ッソ、」

 遠距離射撃では仕留め損なうリスクが高いと、狙撃場所を絞り込んだのが仇になった。凡そ百メートルの距離など雑作なく、連中の足はすぐに追いつけるだろう。

 地上十階の高さから一階まで一気に駆け下り、靴裏の砂で足を滑らせながら、フユトは立ち並ぶビルの合間を無軌道に駆け抜けた。追っ手を撒いたことを確認する頃には息も絶え絶えで、初冬なのに汗が止まらない。消耗しきって座り込む。肩で息をする。

 息が整うまで待って顔を上げ、周囲を確認する。いつの間に、怪しいネオンが輝く界隈まで出ていた。富裕層と貧困層の間、中間層と呼ばれる一般市民に愛される、場末の歓楽街の路地裏だった。とすれば、狙撃場所から一キロばかり離れただろうか。

 二つ返事で依頼を受け、リスクを負わない選択をしたのはフユト自身であるとはいえ、間違いなく手練だろう男たちを何人も相手にするのでは、割に合わなくなる。きっと無傷では済まないし、最悪の場合、見せしめとして吊し上げにされかねない。

 防寒にダウンベストを羽織っているとはいえ、汗が冷えたせいか悪寒がした。ぶるっと体を震わせて立ち上がり、笑う膝を叱咤しながら、歓楽街の目抜き通りを目指して歩き出す。

 高級クラブばかりが並ぶ歓楽街と違って、こちらはどこも閑散としていた。店の扉をくぐれば賑やかなのだろうが、人通りはない。

 いよいよ体が冷えてきた、とフユトは内心で舌打ちしながら、白い溜息をつく。ピンク色の妖しいネオンが灯るモーテルの前に差し掛かり、ふと、その足を止めた。

 肩にかかる青黒い髪の男と、仲睦まじそうな女の二人連れが、ビル型モーテルの中に消えていった。女の方がけばけばしく着飾ったり極端に露出していたり、或いは吐き気を催すほど香水を纏うような、見るからに商売女であれば、まだ気にしないでいられたものの、腕を組んでいた女は堅気そのものの出で立ちだった。

 ガラス製の重たい灰皿の角で後ろ頭を殴り付けられたような、そんな衝撃と共に動じてしまう自分に、フユトは戸惑いを隠せない。けれども、あれだけ逃げ出さないよう雁字搦めの束縛をしておきながら、片や、親密そうな女と密会をしているなんて、そんなの、どうしたって、

「……許せるかよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み