劇薬につき-2

文字数 1,088文字

 ドライアイスの氷塊を床下に詰め込んでいるのかと疑うほど、部屋の体感温度が下がっている。或いは、命の危機に瀕した脳が、本能的にそう錯覚させているのかも知れない。

 フユトは、自分が物事に動じることなどほとんどないと自負するが、今は足先から震えが這い登ってくる。怖い。と、心から思って、怯えている。

「──殺したかどうかは、知らね、」

 フユトが言い差すと同時、異音がした。咄嗟に顔を上げたフユトは、初めて、シギが執務机に足を載せているのを見る。きっと、今、蹴りつけたのだ。ざぁっと、頭から血の気が音を立てて引いた。

「……ァあ?」

 フユトのような雑な物言いをしないシギが、何があっても足癖だけはいいシギが、何も宿さない虚空の眼差しで子飼いを睨めつける。

「四人、」

 フユトが俯いて目線を逸らし、掠れた声で答えるも、シギは納得しないようだった。机から足を降ろすと、徐に、ゆらりと立ち上がる。

 これまで生きてきて、これ程怯えたことがあっただろうか。体の震えが止まらない。冷や汗が滲んでいる気がする。呼吸が狭まる。

「五人……です、たぶん」

 言い直したフユトに、

「何人潰した」

 冷淡な声でシギが問うた。

「つ、ぶす……?」

 単純に意味を図りかねて聞き返すと、

廃墟群(ストリート)の子ども、何人潰した」

 フユトは完全に声を失う。

 執務机からフユトの傍まで、シギはゆっくり間隔を詰めた。落ち着きを取り戻した所作でフユトの頭に手を置き、

「今はアレも俺の子飼いだ、お前に潰される謂れも道理もない」

 やはり口調だけは淡々としたまま、シギはフユトの髪を掴み上げて床に引き倒す。下手に抗えば首の筋を痛めかねない力に従い、床に伏せたフユトは一度、渇ききって痛む喉への救いを求めて、唾を飲む。咄嗟に手を突いたため、頭を打ち付けずに済んだものの、床に直撃していたら意識を飛ばしていたかも知れない。

 廃墟群で生きる孤児や、訳アリの少年少女、僅かな大人たちは、横の繋がりは大事にしても、縦の繋がりは持たないのが常だ。共存しているようでも、自らが生き残るために他人を躊躇なく差し出せる。けれども、 それはフユトが知る昔の話なのだと、息が震えた。

 硬い靴底がフユトの側頭を捉え、容赦なく踏みつける。頭蓋が軋みを上げるような圧力に目を閉じ、視覚の遮断を待っていた足がフユトの頭から離れるのと、ほぼ同時。

「──ッ、は、ぁ、」

 腹膜を抉るように鳩尾を蹴り付けられ、息が止まる。辛うじてシギの足首を捕らえて二撃目は防いだものの、

「……肋、逝った、から……」

 強烈な蹴撃に呻くこともできず、体を丸めて脂汗を滲ませ、吐息同然の声でフユトは懇願した。
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